『鎌倉殿の13人』12話 コメディと言う勿れ、頼朝の愛人の家を壊して燃やしてしまう義経(菅田将暉)
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』12話。頼朝(大泉洋)の愛人・亀(江口のりこ)の存在が政子(小池栄子)にバレてしまった。重い展開だった11回から一転、コメディタッチの展開になるかと思いきや、事はそう単純には運ばない。『亀の前事件」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが振り返りながら解説します。
頼朝(大泉洋)を怒らせてしまう義経(菅田将暉)
『鎌倉殿の13人』のサブタイトルはこれまでさまざまな意味に読み取れるものが多かったが、3月27日放送の第12回では「亀の前事件」とド直球だった。
亀の前とは、頼朝(大泉洋)の妾である亀(江口のりこ)のこと。頼朝は彼女との関係をこれまで正妻の政子(小池栄子)にひた隠しにしてきたが、今回とうとうバレて、周囲の人々をも巻き込んで事件となる。
浮気が原因の事件だけに、コメディタッチで描かれるものと思いきや、コメディと言う勿れと言わんばかりに、身内のりく(宮沢りえ)や義経(菅田将暉)の思惑が絡んで事態が予想外に大きくなり、結果的に頼朝の足元の不安定さが露呈するという展開を見せた。北条義時(小栗旬)も頼朝と北条のあいだで板挟みとなり苦労が絶えない。
事件が起こったのは、寿永元年(1182)、政子と頼朝の嫡男・万寿(のちに鎌倉幕府の2代目将軍となる源頼家)が産まれて間もない頃だった。頼朝は万寿の誕生を前に御家人たちを集め、産まれ来る子の乳母の役目を比企能員(佐藤二朗)に頼むと同時に、出産後の祝いの儀を執り行う者を指名する。さらに安産祈願のため鶴岡八幡宮に奉納する馬を引く役を、「見栄えがする者」との理由で畠山重忠(中川大志)とともに義経に任せようとした(重忠がいつもイケメン要員扱いなのがおかしいが)。しかし義経は、自分はそんなことをするためにここにいるのではないと反発し、頼朝を怒らせてしまう。
『吾妻鏡』にも似たようなエピソードが出てくる。ただし、それは万寿の生まれる前年に行われた鶴岡八幡宮の若宮宝殿の上棟式でのこと。義経はこのとき、大工に与える馬を引くよう頼朝に言われ、下の手綱を引く者がいないと口答えする。だが、頼朝に「おまえはこの役目が卑しいものと思い、あれこれ言って渋っているのだろう」と叱責され、恐れをなしてすぐさま馬を引いたという。この話は、頼朝が義経に対する態度を一変させ、御家人と同等に扱った出来事として知られる。
「後妻打ち」騒動
ドラマにおいて事件が起こる発端となったのは、またしても阿野全成(新納慎也)の占いだった。産まれたばかりの万寿が病気がちなのを心配した全成は、親の不徳が原因と見立てる。さらにその不徳とは頼朝に政子とは別に思い人がいることだと、婚約者となっていた実衣(宮澤エマ)にこっそり打ち明けた。
実衣は全成に口止めされたにもかかわらず、どうにかしたいとの思いから、頼朝の弟のひとり源範頼(迫田孝也)に話してしまう。範頼はさらに北条時政(坂東彌十郎)に舅として頼朝に釘を刺しておいてほしいと依頼。それを傍らで時政の妻であるりくも聞いていた。彼女はあろうことか、一番知られてはならない政子に教えてしまう。
りくがそうしたのは、頼朝と政子の関係をこじらせようとの思惑からであった。そのため、政子に仕返しをしてはどうかと勧め、京には「後妻(うわなり)打ち」という、前妻は後妻の家を形だけなら打ち壊しても許される習わしがあることを教えるのだった。政子はまんまとこれに乗ってしまう。こうして、亀の住む家をりくの兄の牧宗親(山崎一)に襲わせる手はずが整えられた。
りくが政子に頼朝の浮気を知らせた場面に居合わせた義時は、うっかり2人に亀の居所を教えてしまった。それが災いのもとになりかねないことを三浦義村(山本耕史)の言葉で気づくと、慌てて亀のもとを訪ねて退避させ、義経を警護につける。だが、これが裏目に出た。
その夜、義経は何と宗親に加担し、それまでの鬱憤を晴らすように、弁慶(佳久創)ら家来とともに破壊の限りを尽くしたあげく、家を燃やしてしまったのだ。これにはちょっと壊すだけのつもりだった宗親は腰を抜かす。翌朝、駆けつけた頼朝も、義時から政子の命令によるものと聞いて唖然とするしかなかった。このときの頼朝が口にした「ここまでするかぁ?」が、いかにも大泉洋の言いそうなセリフだったので、つい笑ってしまったが。
このあと、宗親と義経は御所に出頭し、頼朝から裁きを受けた。義経には前回、兄の義円を陥れようとしたときに続き謹慎処分が下される。そして宗親に対し頼朝は、おまえのせいでかわいい弟を罰するはめになったと、その場で髻(もとどり)を切るという恥辱を与えた。
現代の我々からすると、たかが束ねた髪を切っただけじゃないかと思うのだが、宗親のうろたえようはただごとではなかった。ある本によると、当時の人たちにとって人前で髻を切られるのは《現代で言えば、人前でいい大人のズボンとパンツを下ろし尻を叩いたような辱め》に相当するという(細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫)。
だが、事はこれで終わらなかった。頼朝は続いてりくを時政とともに呼び出し、叱りつけた。これに対しりくは、元はといえば自分の浮気が原因なのに開き直る頼朝に怒りを爆発させ、あれほど嫉妬していた政子に同情までしてみせる。
そこへ当の政子も現れ、りくと一緒になって頼朝に言い募るという意外な展開となった。やりこめられた頼朝は逆ギレして「源頼朝を愚弄するとたとえおまえたちでも容赦はせぬぞ」と口走ったところ、それまで黙って見ていた時政が突然立ち上がり、「何が源頼朝だ。わしの大事な身内にようもそんな口を叩いてくれたな」と一喝する(このときの時政の行動は、先ほど頼朝が義経をかばって宗親に重い罰を与えたのと合わせ鏡になっているともいえる)。時政はすぐに我に返るも、何を思ったのか、いきなり「わしは降りる」と言い出し、伊豆に帰ってしまう。
歴史上の亀の登場は?
今回の事件は、頼朝にはそれなりに薬となったはずだが、一方の当事者である亀にはほとんど効き目はなかったようだ。思えば、彼女は義時から退避するよう伝えられたときもまったく動じていなかったし、匿われた上総広常(佐藤浩市)の館でも、「俺に色目使ってきやがった」と、さしもの広常をぼやかせる始末であった。
歴史上、亀が登場するのはほぼこの事件に限られる。しかし『鎌倉殿』ではどうも今後もしぶとく登場しそうな気配である。ちなみに『吾妻鏡』によれば、亀は単に美人というだけでなく心も柔和な女性であったという。それを『鎌倉殿』では政子や八重に対抗できるよう、あのようなふてぶてしいキャラクターに変えたのだろう。
ついでにいえば『吾妻鏡』には、政子の妊娠中、頼朝には亀以外にも心を寄せる女性がいたことが記されている。その相手は、上野国(いまの群馬県)の豪族・新田義重の娘だった。頼朝は亡き兄・源義平の後妻でもあったその娘に恋文を送ったのだが、本人にはまったく受け入れる気配がない。そこで頼朝は義重に直接思いを伝えるも、思慮深い義重はこのことが政子の耳に入るのをはばかり、すぐさま娘を別の男に嫁がせたという。
ここでひとつ疑問が湧く。それは、鎌倉幕府の公式の歴史書である『吾妻鏡』に、幕府の創始者である頼朝の女性関係……それも亀の家が襲われた件といい、新田義重の娘との件といい、頼朝にとっては恥ではないかとさえ思われることがどうしてここまで細かく書かれているのか、ということだ。
それはつまるところ、女性にだらしない頼朝に時に悩まされたり怒ったりしながらも、彼を支え続けた政子の偉大さを示すためだったのではなかろうか。そもそも『吾妻鏡』の成立時、鎌倉幕府の主導権はすでに源氏から北条氏に移っていたのだから、政子寄りの視点に立った記述になるのは当然といえる。
『鎌倉殿』ではこれまで北条家の人たちは頼朝に振り回され続けてきた。しかし亀の前事件後のりくと政子の共闘、そして頼朝への抵抗ともとれる時政の行動を見ていると、今後、頼朝が一方的に北条家を従えるという力関係も変わっていきそうな予感を抱く。
大江広元の出番が早い
第10回では新たに京より赴任した文官のひとりとして大江広元(栗原英雄)が登場した。ただ、史実と照らし合わせると、ちょっと出番が早い。広元が鎌倉に下向し、頼朝に仕えるようになったのは、実際には亀の前事件より2年ほどあとの元暦元年(1184)頃とされるからだ。
物語の流れからすると、頼朝周辺の人間関係がどんどん複雑になってきているだけに、状況を客観的かつ的確に分析してくれる人物の登場が急がれたのだろう。その役目を任せられるのは頼朝の優秀なブレーンとして歴史に名を残す大江広元以外にやはりありえない。もっとも、この当時、広元は養子に入った先の中原姓を名乗っていたはずだが(彼が大江姓に改めるのは史実では1216年と30年以上も先だ)、なぜ最初から大江姓で登場したのかという疑問は残る。
ともあれ、劇中で頼朝から「この鎌倉に足りぬものは何か見極めてもらいたい」と頼まれた広元は、さっそく各所で人々の言動に目を光らせることになる。その上で、ラストシーンでは義時の働きを高く評価し、今後に期待を込めつつ、「ただひとつ気になったのが……」と気を持たせて次回につなげた。
その義時は今回、事件に翻弄される一方で、八重(新垣結衣)に自分の領地となった江間で静養してもらうなど何かと気にかけながらも、あいかわらず距離を縮められないままでいた。これについては伊豆に戻った時政が、案外、2人のあいだに入ってくれそうな気もするのだが、どうか。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。