『鎌倉殿の13人』11話 八重(新垣結衣)に振られた義時(小栗旬)だが「江間」が二人を結ぶ説
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』11話。頼朝(大泉洋)の弟・義円(成河)のあまりにも早い死、八重(新垣結衣)の父・伊東祐親(浅野和之)の死、そして平清盛(松平健)の死。重要人物の最期が次々と描かれた「許されざる嘘」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが振り返りながら解説します。
梶原景時(中村獅童)の周到さ
前回のレビューでは、『鎌倉殿の13人』第10回のラストに登場した義円(成河)の今後の活躍に期待したが、続く第11回であっけなく死んでしまった。彼の末路を知っていたら予想はついたはずと言われればそれまでだが、まさかわずか2回(正味の出演時間からすればもっと短い)で退場するとは思いもしなかった。
義円は、兄の源頼朝(大泉洋)の挙兵を受けて鎌倉に駆けつけたあと、しばらく御所に滞在するも、叔父の源行家(杉本哲太)の求めに応じて平家との戦いに赴き、治承5年(1181)3月10日、尾張・美濃の国境の墨俣川で討ち死にした。劇中では、頼朝に重用される義円に嫉妬した弟の源義経(菅田将暉)から出兵をそそのかされたものとして描かれていた。
もっとも、義経のこの企みもあっさり頼朝にバレてしまう。彼が義円から出兵にあたり託された頼朝宛ての文を破り捨てるのを、梶原景時(中村獅童)が見ていたからだ。景時は頼朝が新たに設けた侍所の所司となっていた。北条義時(小栗旬)を通じて所司就任の打診を受けたとき、「人の間違いをいちいち正さなければ気が済まぬような男」と自己分析していた景時だが、さっそくその性格が発揮されたわけである。破り捨てられた文も、しっかり復元して証拠として突き出すその周到さに、感服するというよりむしろ恐ろしくなった。
案の定、景時はさらに終盤において頼朝の命を受け、三浦に預けられていた伊東祐親(浅野和之)を始末する役目を担うことになる。
千鶴丸殺しの下手人が!
祐親の最期については『吾妻鏡』の養和2年(1182)2月14日のくだりに、頼朝が妻・政子の懐妊を聞きつけた三浦義澄のたびたびの申し出を受け、本人を御所に呼んで直接恩赦すると伝えたものの、けっきょく祐親は参上しないまま自害したとある。ただ、祐親の自害は、あくまで三浦の郎従(家来)からの伝言として記されるのみで、しかも義澄が駆けつけたときには、すでにその死体は片付けられていたという。これを読むとたしかに、本当に自殺だったのかと疑問も湧く。
『鎌倉殿』ではここから大胆にも、産まれ来る子が男児であるよう願う頼朝の思惑から、祐親が殺害されたというふうに描かれた。そもそもの発端は、頼朝の弟の阿野全成(新納慎也)が、男児が産まれるには、頼朝の亡き息子・千鶴丸が成仏する必要があり、そのためには千鶴丸を殺した者を消さねばならないと占ったことにある。これを聞いた頼朝は景時に処理を任せ、景時はさらに北条宗時(義時の兄)殺害の疑いで侍所に連行されてきた善児(梶原善)に、祐親の殺害を命じたのだ。本来は祐親の下人で、しかも千鶴丸に直接手をかけた張本人である善児がこの役目を負ったことに、運命のいたずらを感じずにはいられない。
その日、義時が三浦の館に赴いたときには、祐親はすでに亡き者となっていた。景時から自害したと告げられた義時だが、祐親と最後に会ったとき、その穏やかな顔を見ていただけに、すぐさま頼朝が殺させたのだと悟る。だが、頼朝は、義時から厳しく追及されてもしらを切り通した。
ややこじつけめくが、前回登場した鳥のツグミを、さえずらないので「口をつぐむ」からその名前がついたのだと義円が説明していたのは、やはり今回起こったもろもろの出来事を暗示していたのではないか。義円は出兵に際し、義経の企みで、頼朝に何も伝えないまま出ていったことにされそうになったし、頼朝も景時も祐親の殺害について口をつぐんだのだから。
音楽を使って笑いを誘う
暗示といえば、こちらはこじつけでも何でもなく、今回描かれた平清盛(松平健)の死は、前回、後白河法皇(西田敏行)が文覚(市川猿之助)を呼び寄せ、「人を呪い殺すことはできるか」と訊ねた場面ですでにほのめかされていた。
と、まあ、暗い出来事のあいついだ第11回だが、前半はおなじみのコメディタッチで進行した。それだけに、後半の展開がよりダークに感じられるという効果をもたらしていたように思う。
まず、アバンタイトルでは、頼朝から義時との結婚を勧められた八重(新垣結衣)が、しばしの間を置いて、きっぱり「お断りします」と言ったかと思うと、ジャジャジャーンと大仰な音楽とともに義時が涙目になるところでオープニングに入った。
続いて、治承4年(1180)12月12日についに鎌倉の御所が完成すると、さっそく頼朝は執務を始め、義時が挙兵以来の功労者の一覧を安達盛長(野添義弘)に提出する。盛長はそれを目にしていきなり泣き出す。そこに自分の名を確認し、しかも「軍功特に大なり」と記されていたからだ。劇的な音楽がバックに流れるなか、しばし感涙にむせぶ盛長だが、それを打ち切るように頼朝に「早く(和田義盛を)呼んで参れ」と促され、音楽もプツリと終わる。
このあとも、頼朝が政子と2人きりで体を寄せ合う場面で、ロマンチックな音楽が流れたかと思うと、いきなり盛長が現れて中断したりと(先ほどの仕返しのように)、音楽を使って笑いを誘う場面が続く。
全成の占いも前半では、幸運の門について訊ねる実衣(宮澤エマ)に対し、その扉を開いてくれる人物は「癸酉の年卯月生まれの男」と遠回しに自分だと答え、2人仲良くもじもじするという具合に、ほほえましいものだった。
千鶴丸を殺めた者が生きているかぎり
そんなふうにしばらくは軽快に進んでいたのが、平清盛の死後もなお平家は戦いをやめず、義円が先述のとおり戦死したりと、しだいに暗雲がたちこめる。政子が頼朝の第2子を懐妊して、北条家に一旦は喜びがもたらされたものの、すぐに家族のあいだに不協和音が響く。北条時政(坂東彌十郎)の後妻・りく(宮沢りえ)は政子ばかりちやほやされるのが気に入らない。自分の子は頼朝の後継者になれないとわかっているだけに悔しいのだ。
そしてその直後に祐親が殺された。このあと、ラストシーンでは、全成がさらに恐ろしい占いの結果をもたらす。政子の胎内の子供は産まれても長生きできないというのだ。それというのも、千鶴丸がいまだに成仏していないからであった。
千鶴丸を殺めた者が生きているかぎりは、産まれ来る子供の運命は変わらない……。全成がそう告げた頃、当の善児は、何と梶原景時から「わしに仕えよ」と命じられていた。いまや秘密警察的な役割を担う景時の配下に、主人の命令とあればどんな汚れ仕事もいとわない善児がついたことに、いやな予感しかしない。
いや、善児の処遇ばかりではない。先のりくの嫉妬も含め、今回あった出来事の一つひとつが、産まれ来る頼朝の子供の運命を左右しそうな予感を抱かせる。きっと、あとになって、この回はひとつの大きな分かれ目だったと気づくときが来るのではないだろうか。
義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)の今後
暗い予感ばかりではなんなので、最後に明るい予感も書いておきたい。今回、義時は頼朝より江間の地を与えられることになった。史実では、これ以降、彼は「江間小四郎義時」と名乗るようになる。当時の武士は居住地名を苗字にすることが多く、北条も時政の所領の地名からとられている。細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』(講談社学術文庫)によれば《現在では、苗字は家の名であるが、平安末期から鎌倉初期にかけては、ちょうど苗字が個人に付いたものから家の名に変わる過渡期で、親子兄弟で異なる苗字を称することは普通のことであった》という。
江間といえば、もともとは八重が嫁いだ江間次郎の領地であった。それが義時のものになることで同じ苗字を名乗ることになった。ひょっとすると、三谷幸喜はここから義時と八重を何らかの形で結びつけるのではないか。実際、義時は第11回の冒頭で八重に結婚を断られたあと、後半で再び彼女と対面すると、思わず江間が自分の所領になったと伝えたあたり、今後のさらなる展開を予感させた。彼にはおそらくまたチャンスが巡ってくるように思う。
これはけっして筆者の妄想ではない。『鎌倉殿』の時代考証を担当する研究者のひとり坂井孝一は、著書『鎌倉殿と執権北条氏』(NHK出版新書)で、義時と八重の関係について大胆な仮説を提示している。ネタバレになりそうなので(いや、言わんとすることは大体おわかりでしょうが)詳細はそちらを参照していただきたいが、傍証を挙げながら説明されているのを読むと、なるほどそういう解釈も成り立つかと思わせる。そのなかには、父兄とともに三浦に預けられた八重を、頼朝がそばに置きたいと考えた可能性もあるとし、ただし政子の手前、妾にはできないので「御所女房」「官女」に取り立てたのではないか――との推察も出てくる。『鎌倉殿』では八重のほうから頼朝のそばにいたいと申し出たので方向こそ逆だが、発想はきわめて似ており、坂井説から三谷幸喜が影響を受けていることは間違いない。とすれば、義時と八重の今後についても、仮説が反映されるような気がするのだが、さてさて……。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。