高木ブーが自らのルーツをたどるドライブをしながら孫に語り継いだ空襲や戦争のこと
「ひょんなきっかけでルーツを巡る旅をしちゃった」と笑う高木ブーさん。孫のコタロウさんの提案で、久しぶりに家族そろって妻・喜代子さんのお墓参り。そのままクルマで母校や空襲のときに逃げ込んだ小石川植物園の前を通り、生まれ育った巣鴨の実家付近へ。すっかり風景が様変わりしていた生誕の地で、ブーさんは何を思ったのか。(聞き手・石原壮一郎)
巣鴨から僕の人生はスタートしました
ちょっと前に、東京新聞朝刊の「私の東京物語」っていうコーナーに出してもらったんだけど、全10話の1話目のタイトルが「巣鴨 思い出きらきら」だった。父親が勤めていた会社の社宅が巣鴨にあって、僕の人生はそこでスタートしたんだよね。
先月のコロナが少し落ち着いていた頃のことだけど、孫のコタロウの「おばあちゃんのお墓参りに行こう」っていうひと言から、そのままの流れで「高木ブーのルーツを巡る旅」になったんだよね。コロナ禍になってから2年ぐらいお墓参りができてなくて申し訳ない気持ちもあったから、感染対策を念入りにしながら出かけることにした。コタロウの気持ちが嬉しかったしね。
僕の妻の喜代子さんは早くに亡くなったから、コタロウは写真でしか会ったことがない。お墓の前で手を合わせて、ふたりで何を話したのかな。僕は「みんなで来たよ」って話しかけた。でも、何かの歌じゃないけど、喜代子さんがお墓に眠ってるっている感じはないんだよね。家の中でいっしょに暮らしている感じに近いかな。お仏壇もあるしね。
家で毎日話してるから、お墓に来ても「久しぶりに会った」っていう感じはしない。「久しぶりにいっしょにお出かけした」に近いかな。ちょっと寒かったけど、家族みんなで墓石をきれいにしてあげられたのはよかった。その墓地には桜の木がたくさんあるから、今度は喜代子さんもいっしょにお花見ができるといいな。
そのままクルマに乗って、中学と高校がある白山に行ってみた。前回も高校時代の写真を載せたけど、千葉県の柏から学生服姿で通ってたんだよね。こういう時期だからクルマからは降りずに、学校の横をゆっくり通ってもらった。だけど校舎は建て替わって立派になってるし、門の場所も変わったのかな。当時のことを思い出す手掛かりは見つけられなかった。まあ、卒業して70年以上経つんだもんね。
空襲のとき命を救ってくれた「小石川植物園」
次に向かったのは、同じ文京区にある小石川植物園。そこの植物に、僕も両親も命を助けられた。巣鴨の家のあたりが空襲で火の海になって、ここに逃げてきた。距離は2キロか3キロぐらいかな。近所の人たちもみんないたから、たぶん「何かあったらそこに」ってことになってたんだろうね。翌朝、家に戻る途中で見た焼け野原の光景は忘れられない。
ここも景色が変わり過ぎてて、当時を思い出すって感じじゃなかったけど、クルマの中でコタロウに空襲のときの話や、戦争中のいろんな話ができたのはよかったかな。「へえー、たいへんだったんだね」って驚きながら聞いてくれた。大事な話だと思うんだけど、あらためて話す機会はなかなかないもんね。
そのあとに行ったのが、僕が生まれた巣鴨。このへんは、20年ぐらい前にテレビの密着取材で来て以来かな。人通りもなかったから、ちょっとだけクルマを降りてみた。写真は十文字学園の十文字中学・高等学校の正門の前で撮ったんだけど、銅板のプレートに書いてある「金門商会」っていうのが、父親が勤めていた会社なんだよね。その会社を作った十文字大元さんが、学校の創設にも尽力した。
学校の隣に金門商会が建ってて、その横に僕が住んでた社宅があった。塀で囲われた敷地の中に7軒が並んでて、池や大きな松の木があったのを覚えてる。中庭っていうか家の前の道で、隣の家の八重ちゃんとままごと遊びをしたなあ。金門商会も社宅もきれいになくなって、今は住宅が立ち並んでる。ウチがあった正確な場所は、もうわかんないな。
だけど、境内でよく遊んだ小さい神社はまだあるらしいし、駅に向かう途中の山手線にかかってる江戸橋っていう路線橋は、当時の面影が少しだけ残ってる。風景はぜんぜん違うけど、89年前にたしかに僕はここに生まれて、子ども時代を過ごしたんだよね。戦争でたいへんな目に遭ったりはしたけど、楽しい思い出もいっぱいある。今回は行けなかったけど、コロナもおさまってあたたかくなったら、子どもの頃によく行った巣鴨の地蔵通り商店街も歩いてみたいな。名物の塩大福がおいしいんだよね。
缶コーヒー「BOSS」とドリフがコラボしています
今月初めに、サントリーの缶コーヒー「BOSS」とザ・ドリフターズがコラボして、メンバーの顔のイラストがデザインされた「ボス オールスター」が限定発売されました。スペシャルコラボ動画「BOSS×ザ・ドリフターズ 全員集合」篇も、出てる僕が言うのも何だけど、ちょっとホロっと来て見終わったあとに元気になれます。ぜひ見てみてください。
いろいろ思い出の場所を巡ったからか、子どもの頃のことをたくさん思い出しちゃった。また少しずつここでお話します。お楽しみに。
ブーさんからのひと言
「孫のコタロウが喜代子さんのお墓参りに行きたいと言ってくれたお陰で、思いがけずルーツを巡るドライブをしました。風景はぜんぜん違うけどたしかにここにいたんだなと感慨深かったです。コタロウには、僕の思い出話をたくさん聞かせちゃったけど、とてもいい時間でした」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する『もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~』が放送中。3月20日のライブ「1933ウクレレオールスターズ ウクレレ七福神の来港! 〜ヨコハマに春がやって来た」は、チケット好評発売中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。