高木ブー 生家の庭にあった防空壕の写真を公開「実家でも僕は第5の男でした」
高木ブーさんが生まれたのは1933(昭和8)年。幼い頃は戦争はまだ遠い国での出来事で、平和な日々が続いていた。しかし、小学校高学年になった頃から、戦争が身近に迫ってくる。巣鴨の自宅の庭に掘られた防空壕に入って笑っている写真を見ながら、ブーさんが幼かった頃のこと、戦争が近づいてきた頃のことを教えてくれた。(聞き手・石原壮一郎)
大反響だった「しゃべくり007」
このあいだ加藤(茶)や仲本(工事)と出た『しゃべくり007』(2月14日放送、日本テレビ系)は、すごく反響が大きかった。出演者のみんなが上手にのせてくれて、僕らもやりやすかったな。自由にのびのび楽しませてもらった。ウクレレで2曲も歌えたし、新作のイラストや口を描いたマスクも披露できたしね。
収録が終わったあとに、娘のかおるも「お父さん、面白かったよ」とホメてくれた。トーク番組のゲストっていう役割でも、まだまだ僕らにできることがあるってわかったのが嬉しかったな。一斗缶で叩かれたときの加藤の顔芸はさすがだった。あれは日本広しといえども加藤にしかできない。
僕が生まれた頃の話
前回は久しぶりに生まれ育った東京・巣鴨に行った話をしたけど、そのときに思い出した話をしようかな。高木ブーが高木友之助としてこの世に生を受けたのは、1933(昭和8)年3月。兄貴が3人、姉貴が2人の6人兄弟の末っ子で、いちばん上の兄貴は19歳、いちばん上の姉貴は18歳でもうお嫁に行ってた。
親父は金門商会っていう水道やガスのメーターを作る会社に勤めていて、壁を隔てた会社の敷地の一角に木造平屋建ての社宅が並んでた。全部で7軒だったかな。庭には立派な松の木と、鯉が泳いでいる池があった。ちゃんと聞いたことはなかったけど、親父は会社でけっこう偉い立場だったみたい。
すぐ上の3番目の昇司兄ちゃんとも8つ違いで、いっしょに遊ぶって感じでもなかったな。昇司兄ちゃんは後年、僕にウクレレをプレゼントしてくれたんだけど、幼い頃の記憶ではベーゴマがすごく強かった。兄ちゃんが山手線にかかる江戸橋の欄干のコンクリートでベーゴマをこするのを見てたことがある。こすればこするほど重心が低くなって強くなるんだよね。
年の離れた末っ子だったこともあって、親父とおふくろにはずいぶんかわいがってもらった。あっ、今気がついたけど、当時の高木家には親父と3人の兄貴がいて、僕が「第5の男」だったわけだ。なんか運命的なものを感じるな。年齢構成はぜんぜん違うけど。
僕はわりと父親っ子だった。4つか5つのときかな、親父と毎晩、差し向かいで晩酌をしてたんだよね。夕方に親父が帰ってくると、おふくろが二合徳利をちゃぶ台に出してきて晩酌が始まる。そのときにもう一本、水を入れた徳利とお猪口を出してくれた。親父が「友、まあ一杯いけ」なんて徳利の水を注いでくれたり、僕も見よう見真似で親父に注いだり。とくに何を話すってわけでもなかったけど、あれは楽しかったな。
巣鴨のとげぬき地蔵は、今もだけど当時も「4」のつく日には市が立って、露店もいっぱい出てにぎやかだった。ただ、小さい子ども向けじゃなかったのかな、あんまり行った覚えがない。もっと手前の「眞性寺」ってお寺の境内でやってた縁日のほうが記憶に残ってる。ふだんの日はお小遣いは1銭だったんだけど、縁日のときは10銭だった。それで飴玉を買ったりクジを引いたり、たまに芝居小屋に入ったりしたなあ。アセチレンガスっていうんだっけ、境内全体が赤く照らされてるんだよね。独特の匂いを今もよく覚えてる。
親父は僕には甘かったけど、一度だけひどく怒られた。小学校に入る前のことだけど、近所の遊び友達から、悪い言葉を教わったんだよね。たしか「マヌケ~」だったかな。家に帰ってきて、何も考えずに親父に向かって「マヌケ~」って言ったら、いつもはやさしい親父がたちまち怖い顔になった。
「謝れ、友之助!」って言われたけど、僕は何がいけなかったのかよくわからない。意地を張ってたわけでも何でもないけど、黙ったまま固まってたら、いきなり親父に平手打ちをされた。大声で泣きだした僕を親父が抱きしめてくれて、ようやく自分はひどいことを言ったんだと気づいたんだよね。まわりで兄ちゃんたちやおふくろが、おろおろしながら見てたのを覚えてる。親父に殴られたのは、あのときが最初で最後だった。
庭に防空壕を作ったのは、戦争が激しくなってからだから昭和19年かな。僕は11歳ぐらい。写真の向かって左が僕で、右は遊びに来てた親戚の子。穴を掘って鉄板を載せて、土をかぶせるだけの簡単な作りで、人が避難できるようなもんじゃなかった。家財道具とか食糧とか、大事なものをしまっておくのに使ってたな。この写真も防空壕に入れてあったから、今こうして残ってるんだよね。
ここに写っている僕に、ウクレレのことやドリフターズのことを話したら、どんな顔するかな。どんな顔も何も、ぜんぜん意味がわからないよね。
ブーさんのからのひと言
「防空壕の写真を見て、幼かった頃のことを思い出しました。もう80年くらい前のことですね。父に怒られたことも、今は懐かしい記憶です」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する『もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~』が放送中。3月20日のライブ「1933ウクレレオールスターズ ウクレレ七福神の来港! 〜ヨコハマに春がやって来た」は、チケット好評発売中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。