85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第27回 油断大敵】
伝説の編集者にして、ジャーナリストの矢崎泰久さんは、85才。1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などを次々と起用して旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』の編集長を30年にわたり務めた経歴の持ち主だ。
テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、今なお、世に問題を提起し続けている。
数年前からは、自ら望み、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らしているという矢崎氏に、その理由やライフスタイル、人生観などを寄稿しいただき、シリーズで連載している。
今回のテーマは「油断大敵」だ。
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過信は油断につながる
「お年にはみえませんね」と、言われると、悪い気はしない。しかし、これは一種のおとし穴である。その気になってはいけない。
肉体というものは、日々確実に衰えている。それが老人の特色なのだ。絶対に甦ったりしないと心得るのが大切だと思うようになった。日、一日と退化する。
その事を承知した上で、体調を如何に維持するかが、老いたる者の覚悟だと思う。つまり、無理をしてはならない。ドアの閉じかかっている電車に飛び乗ろうとしたり、信号が変わりかけている横断歩道に向かって駆け出す。これほどの危険は他にない。
ところが、わかっていても、自己過信することがある。うっかり魔が差す瞬間が誰にでもあるのだ。
どちらかと言えば、冷静沈着な俳優の小沢昭一さんが、亡くなる3年程前に、エレベーターの扉を開けて待ってくれている人の期待に応えようとして、果敢にスライディングして大怪我をした。顔面傷だらけになったのだ。
役者にとって大切な顔を台無しにしたのである。なかなか治らない。その時、しみじみとした口調で、「年を取ると治りも遅い。一瞬がそれだけでは終わらなくなる」と、嘆いていたことを思い出す。
過信することは、油断につながる。正に油断大敵なのだ。
公園を散歩していて、転がってきたサッカー・ボールを思い切り蹴って返そうとする。これも危険極まりない行為の一つである。身の程を弁(わきま)えていない。足腰を痛めて大事故につながる。私のように少年時代にサッカーをやった人間ほど危ない。
ジャーナリストの本多勝一さんは、私より1才年長だが、足腰は私よりずっとしっかりしている。久しぶりに会ったら「山登りしよう」と誘われて、慌てて断った。本多さんは信州伊那谷の生まれなので、南アルプスの麓で育った。しかし、京都大学では山岳部に所属していた。
「俺、人生の最後に登る山を取ってあるんだ。南アルプスの聖岳(ひじりだけ)だけど、良かったら一緒に行こう」と言った。しかも5月頃に登る計画を立てていたのである。
聖岳は、3000メートル級の山である。老人が独りで登れる山ではない。何とか思いとどまらせるしかなかった。
「どうしても行くなら、遭難覚悟で行くしかない。誰か若い仲間と行ってくれ」と私は忠告したが、どうなることか心配でならない。本多さんは約束を忘れたり、待ち合わせの場所を間違えたり、都会ではのべつ失敗を重ねている。
年の割に自分はしっかりしていると思うのは、危険視号と思うべきだ。