高木ブー、10代の頃の未公開写真で振り返る「ウクレレに没頭した高校時代。じつはボクシングも」
高校時代の制服に身を包んだ高木ブーさんのダンディーな写真が、高木家で発掘された。インスタグラムにアップしたところ、「好青年で素敵」「デートしてほしい」と大反響。あちこちのメディアでニュース記事になり、ネットで大きな話題を巻き起こした。「自分で見ると恥ずかしいなあ」とテレる高木さんが、高校時代の思い出を語る。(聞き手・石原壮一郎)
植木等さんは高校の、谷啓さんは大学の先輩
ちょっと必要があって昔の写真を探していたら、自分でも忘れてた高校時代の写真が何枚か出てきた。その中から、学校の前で撮った1枚を僕のインスタにアップしたら、いろんなメディアで記事になっちゃった。「素敵」とか「カッコいい」って言ってもらったのは嬉しかったけど、若い頃の写真って自分で見ると恥ずかしいよね。
こんな僕の写真でもたくさんの人に楽しんでもらえたみたいだから、同じときに見つけた高校時代の別の写真も、せっかくなのでお披露目します。ドリフターズの高木ブーは、10代の頃はこんな感じだったのかと思いながら見てください。
持っているウクレレは、15歳の誕生日に三男の昇司兄ちゃんがプレゼントしてくれたもの。僕は3月生まれだから、中学を卒業する直前だった。昇司兄ちゃんはその頃ハワイアンに熱中してて、ちょっとした気まぐれでウクレレを買ってくれた。僕は欲しいなんて言ってないし、そもそも楽器をやったこともなかったのに。でも、昇司兄ちゃんの気まぐれのおかげで一生の相棒と出合えたんだから、人生って不思議だよね。
高校は柏から常磐線に乗って、文京区白山にあった京北高校に通ってた。ちなみに植木等さんも、かなり先輩で重なってはいないけど同じ学校なんだよね。そのあと通った中央大学では、谷啓さんが同じ音楽研究会の先輩で、当時から有名なトロンボーン奏者だった。おふたりには渡辺プロダクションでもお世話になったけど、このご縁も人生の不思議だね。
高校一年生の夏に「ウクレレを持ってるから」っていう理由で誘われて、当時住んでた千葉の柏の町の夏祭りで、ハワイアンバンドの一員としてステージで演奏することになった。拙い演奏だったけど、それをきっかけに楽器を演奏する面白さに目覚めて、ウクレレにすっかりはまっちゃったんだよね。
この写真は、夏祭りからしばらくたった頃に巣鴨の小学校の同窓会があって、そのときに撮ったもの。友だちふたりとバンドを組んで、みんなの前で何曲か演奏した。そのうちのひとりとは大人になってからもずっと付き合いがあって、彼の娘さんの結婚式のときに、ふたりで久しぶりにウクレレを演奏したんだよね。あれは嬉しかったな。
首からかけてるレイは紙製で、それっぽくなるようにみんなで工夫しながら作った。写真を見た娘に「この時代に、ハワイではレイをかけるというのがわかってたのはすごい!」と驚かれた。シャツも、襟元とかをハワイっぽくアレンジしてるね。よく覚えてないけど、雑誌とかレコードのジャケットとかから夢中になって情報を集めてたのかな。
初恋の人にいいところを見せたくて
それからの高校生活は、ウクレレ中心に回ってた。仲間を集めてバンドを組んで、演奏会やダンスパーティをやったりしてたな。ここだけの話だけど、初めて女の子と付き合ったのも高校時代だった。僕にとっては初恋だね。その子にいいところを見せたいっていう気持ちもあったかもしれない。結局は僕のバンド活動が忙しくなったこともあって、何となく疎遠になっちゃたんだけどね。今も元気かなあ。元気だといいな。
最初の頃は「自分がこの学校で一番ウクレレがうまい」なんて、すっかり天狗になってたんだけど、そんなときに僕よりはるかにウクレレがうまい男が転校してきた。ショックだったけど、やがて彼とは一番の親友になったんだよね。時には彼の家に泊まり込んで、レコードを聴きながら「ここはどうやって弾いてるのかな」なんてふたりでやってた。僕のミュージシャンとしての土台みたいなものは、あの頃に作られたのかもしれない。
強くなりたくてボクシングを習ってた
中学から高校にかけて、意外に思われそうだけど、ボクシングを習ってた。当時の常磐線は硬派というか、荒っぽい高校生もいっぱい乗ってたんだよね。「ケンカとか吹っかけられたらやだなあ」と思ってて、学校の先輩に勧められて水道橋にあったボクシングジムに通うことにした。フライ級だったから、体重は50キロ前後だったのかな。
2年ぐらいやって、試合も何度か出たんだよ。1回も勝てなかったけどね。ボクシングを始めたあとでウクレレに出合って、そっちが面白くなっちゃった。もともと痛いことは苦手だったし、指をケガしたらウクレレが弾けなくなると思って、ボクシングはやめちゃった。ボクシングよりもウクレレを選んだってことかな。
何十年かたって、ドリフのコントでボクシングをやることがあったんだけど、長さん(いかりや長介)に「ブーたん、構えが決まってるな」と珍しくホメられた。人生、何がどう役に立つかわからない。コントのときも、あっさりノックダウンされる役だったけどね。
ブーさんからのひと言
「思いがけず懐かしい写真を見つけて、昔のことを思い出しました。いろんな出会いがあって、今の僕がいるんだなとしみじみ思います。人生って面白いですね」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する『もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~』が放送中。3月20日のライブ「1933ウクレレオールスターズ ウクレレ七福神の来港! 〜ヨコハマに春がやって来た」は、チケット好評発売中。→チケット情報はこちらをクリック 東京新聞朝刊で「私の東京物語」を連載中(21日から平日に掲載、全10回)。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。