高木ブーが偲ぶ「ジェリー藤尾さんとバンドを組んだことがドリフにつながった」
「ジェリーさんとは60年の付き合いでした。心からご冥福をお祈り申し上げます」――。8月14日、ジェリー藤尾さんが81歳で亡くなった。ドリフターズに入る前、高木ブーさんはジェリーさんといっしょにバンドを組んでいたことがある。そこには、なんと仲本工事さんもいた。ブーさんが、その時代に思いを馳せる。(聞き手・石原壮一郎)
ジェリー藤尾さんは娘「かおる」の名付け親
ジェリー藤尾さんに最後にお会いしたのは、2年前の2019年9月だった。そのときもあんまり体調は良くなさそうだったな。でも、ステージに立つと、ビシッと決めてあの美声で『遠くへ行きたい』を歌ってた。さすがだよ。昔と同じようにカッコよかった。
「ブータン、体調気を付けてよ」なんて気づかってくれたんだけど、自分が先にいっちゃうんだもんね。知らせを聞いたときは「えっ!」って声が出ちゃった。僕より7つも年下だし、また必ず会えると思ってたのに、あのときが最後になるなんてね。
ジェリーさんとはドリフターズに入る前に、いっしょに「バップ・コーンズ」っていうバンドを組んでたことがある。
1963(昭和38)年1月に娘のかおるが生まれたときには、名付け親になってもらったんだよね。あの頃は、ひらがなで名前を付けるのが流行りで、本名の「薫紀」の一文字から「かおる」って付けてくれた。いい名前をもらって感謝してます。
ジェリーさんは1962(昭和37)年6月に出した『遠くへ行きたい』が大ヒットして、テレビのバラエティ番組でも引っ張りだこだった。当時の人気歌手は、自分専用のバンドを持つのがステータスだったんだよね。ジェリーさんがいよいよ自分のバンドを作るときに、別のバンドでやってた僕を含む何人かのメンバーに「ウチのバンドでやらない?」って声をかけてくれた。なぜ僕らだったのかは、聞きそびれちゃったな。
「バップ・コーンズ」はデキシーランド・ジャズやスイング・ジャズが中心で、僕の担当はバンジョー。渋谷や新宿や池袋のジャズ喫茶がおもな活動場所だった。ジェリーさんはかなりの売れっ子だったから、忙しくてジャズ喫茶に出演できないことがある。控えのシンガーを用意しておかなきゃいけないってことになった。
そのときにオーディションに受かって入ってきたのが、まだ学習院大学の学生だった仲本興喜。そう、のちの仲本工事です。その頃はメガネはかけていなかった。ハンサムな好青年だったな。もちろん、ジェリーさんの代役を務められるぐらいだから歌はうまかった。去年の「24時間テレビ」で歌った『Long Tall sally』も、なかなかのもんだったよね。
ドリフメンバーたちの不思議な縁
あとから知ったんだけど、仲本は「バップ・コーンズ」に入る前に「永田五郎とクレイジー・ウエスト」というバンドにいて、そこで加藤英文といっしょだったらしい。そう、のちの加藤茶です。時期は違うけど、そのバンドには荒井安雄さん、のちの荒井注さんもいたことがある。不思議な運命というか、まあ狭い世界だったってことだよね。
「バップ・コーンズ」は順調に活動の幅を広げていって、ジェリーさんといっしょにテレビに出て演奏したりもした。当時は演奏しながらちょっとした芝居を取り入れるっていうスタイルが流行り始めていて、仮装もやった覚えがある。初めて警官とか女学生とかになったのは、ドリフに入ってからじゃなくてその頃です。
ただ、我ながら飽きっぽいというかなんというか、しばらくたつと、また新しいことがやりたくなってきたんだよね。盛り上がり始めていたエレキブームに引き寄せられて、「バップ」のドラマーだったロジェ滋野さんや仲本といっしょに「シャドーズ」を結成した。
面倒見てくれたジェリーさんには悪いなと思ったけど、当時のバンドの世界は抜けたり移ったりは当たり前だった。「新しいバンドでやってみようと思います」「そうか、がんばれよ」ぐらいの感じで、お互いにわだかまりとかはない。そもそも縛られることが嫌いな人たちが集まってたし、誰もが「なにか新しいことをやりたい」という意欲を持ってたしね。
日本にエレキブームをもたらしたのはアメリカの「ザ・ベンチャーズ」だけど、そのライバル的な存在で、イギリスに「シャドウズ」っていうエレキバンドがあった。日本ではあんまり売れなかったけど、すごくカッコよかったんだよね。みんな赤いギターで。
はっきり言っちゃえば、そのスタイルを見本にさせてもらったの。「よし、俺たちもやろう」って言って、全員で赤い楽器を持って。衣装は黄色と黒。本家の「シャドウズ」は演奏しながらステップを踏むんだよね。そのスタイルも見習った。かなりカッコいいバンドだったんじゃないかな。今でいえばビジュアル系だよね。
そして1964年の8月の終わり頃、「シャドーズ」として横浜のジャズ喫茶で演奏してたとき、長さんに「ちょっといいかな」と声をかけられて、僕は「ザ・ドリフターズ」に入ることになった。話があちこちに飛んじゃったけど、「バップ・コーンズ」がなければ「シャドーズ」もないし、たぶんドリフに入ることもなかった。ジェリーさんも僕の大恩人のひとりです。あらためて、心からご冥福をお祈り申し上げます。
ブーさんからのひと言
「僕より7歳年下のジェリー藤尾さんが先にいってしまい、さみしいです。とてもカッコいい人でした。たくさんのご恩、忘れません」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する『もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~』が放送中
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。