兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第106回 アレの掃除ばかりで妹は泣いています】
ライターのツガエマナミコさんが、一緒に暮らす若年性認知症の兄との日々を綴るシリーズ。発症から5年以上が経過する兄の病状は進行しているとの診断で、服用する薬の種類も増加したのですが、明らかな異変が…。今回は、ツガエさんを悩ませるその異変についてです。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
ポタポタと“お便さま”が…
先日、電車の中で奇声を発している少女が優先席に座っていました。隣には母親らしき人がいて、少女をなだめるでもなく黙って見守っています。気づけば、この二人の座席の周囲から人々がいなくなり、数人は遠巻きに少女の顔を覗いていました。「どんな顔をして叫んでいるのだろう」そんな興味を抱く乗客の視線をものともせずに少女は体を前後に揺さぶりながら唸り叫びます。母親らしき人はその場の重圧を一身に受けて止めているように思えました。
わたくしはその母親らしき人の隣にいて「どんな気持ちだろう」と胸が痛みました。他人事には思えなかったのです。でも、そんな風に障がい者を持つ家族を気の毒だと思うのは障がい者を差別していることになるのでしょうか?と変な迷路にハマってしまいました。少なくともわたくしは自分自身を「気の毒な妹だわ~」と自称しているのですけれども…。
奇声を発する人のそばから距離を置くことは自然なことですし、普段は見ない光景を遠巻きに眺めることが悪意だとも言えません。何を自然に受け止め、どう立ち回ればいいのでしょうか。「多様性とは何ぞや?」とモヤっとしたツガエでございます。
多様性は理に適った発想だと思います。けれど、わたくしにとって、兄の認知症は「多様性社会だから、みんな違って、みんないいよね」では片づけられない日々の営みがございます。
このところ、恒例企画「脱糞事件」が第4弾、第5弾、第6弾と連続して妹は泣いております。しかも、これまでのワンパターンではなく、多少アレンジが効いております。
第4弾は、なんと洗面ボウルの排水栓の糸くずキャッチ的な部分にゆるめの“お便さん”がみっちりと詰まっておりました。匂いはすれども姿は見えず、「匂いは気のせい?」と水道を出してみたらば、水の流れが悪かったので分かった次第です。どうやったらあんな風に“お便さん”をあの部分に納められるのか不思議でございます。兄なりに丁寧に隠ぺい工作をしたと思われ、「こういうことには頭が回るのね」とため息が出ました。
第5弾は、洗面台に置いてある小さなゴミ箱の中でした。ゴミ箱はキャンプで使う飯ごうぐらいのサイズでしょうか。いつも以上にティッシュが入っていたので確認すると、まだ少し暖かいのが入っていました。「よくこんなところにウンチできたな」というのがわたくしの着眼点でございます。さらに、ゴミ箱の処理をしていると、兄の部屋の扉が開き、みると、上半身だけ服を着た兄がこちらを覗い、手にはスエットパンツと下着のパンツを丸めて持っていました。そして「トイレいい?」と言ったかと思ったら、兄の足元にポタッと水分多めのお便さんが落ちたのです。
わたくしは「早くトイレに行ったほうがいいと思うよ」と静かにトイレへ促しました。その道中にもいくつかポタポタと落としながら兄はトイレに入って行きました。さすがに怒りではなく可哀そうな気持ちになりました。
新しいお薬のせいかもしれないと思い、そこから1週間メマンチン錠だけやめてみることにいたしました。
そして迎えたつい先日、第6弾は、兄の部屋のゴミ箱の中でした。兄をデイに送ったあと、換気をしようと兄の部屋に入って発見に至りました。バケツ大の白いプラスチック製のゴミ箱に茶色に染まるティッシュの塊が見えたのです。コバエがたかっておりました。ガッカリしながらそのゴミ箱を洗い、スリッパも洗い、部屋に掃除機をかけ、ついでにリビングまで雑巾がけいたしました。
結局、兄のいない憩いの日は朝から掃除に明け暮れて終わりました。でも悔しいことに兄がいないと掃除がはかどるのです。兄がいないと何がいいかと申しますと、文句や愚痴をブチブチ言いながら掃除ができることでございます。「丸めたティッシュは捨てろや!」とか「何じゃこれ~、ボケ~」と口にすることが精神衛生上ヒジョ~に良い。
また、根が優しい人だけに、何かしら手伝おうとしてウロウロされるのもはっきり申し上げると邪魔なだけ。「いっそ手伝ってもらえば」と思ったところで、それが何倍もの手間になることは「認知症あるある」でございます。
デイから帰ってきてウンチのゴミ箱がキレイになっていても、変化に気づいてもらえません。ああ、来週の憩いの日は、ひとりカラオケに行こ……。
【関連の回】
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ