認知症の新薬アデュカヌマブの承認がアメリカで波紋を呼んでいる2つの理由
アルツハイマー型認知症の新薬「アデュカヌマブ」が米国で承認され、話題となっている。しかし、承認にかかわった委員が辞任する騒動が巻き起こるなどの波紋も。製薬会社で創薬の経験も持つサイエンスライターの佐藤健太郎氏が、今回のアデュカヌマブ承認の是非について考察。18年ぶりに承認された認知症の新薬は、果たして夢の薬といえるのか――。
アデュカヌマブ承認に抗議して辞任…
6月7日、米国でアルツハイマー型認知症の治療薬アデュカヌマブ(商品名アデュヘルム)が承認された。米国で認知症の治療薬が誕生するのは18年ぶりのことであり、患者支援団体などからは大きな喜びの声が上がった。
開発元であるエーザイの株価も2日連続でストップ高となるなど、この新薬は多方面から大きな注目を浴びている。
だが米国では、アデュカヌマブは違った意味での騒動を巻き起こしている。
この新薬の審査に携わった11人の諮問委員のうち3名が、アデュカヌマブの承認に抗議して辞任したのだ。そのひとりで、薬剤経済学を専門とするハーバード大学のケッセルハイム教授は、
「近年では最悪の医薬承認になるだろう」とまで言い放ち、アデュカヌマブの承認を厳しく批判している。
アデュカヌマブ承認が批判を受ける理由とは
アデュカヌマブの承認は、なぜこうまで強い批判を受けるのだろうか?
アルツハイマー型認知症は、脳にアミロイドβというタンパク質がたまり、これが神経細胞を破壊するために起こると考えられてきた。そこで製薬企業各社は、これを作らせない、あるいは取り除くというアプローチで、治療薬を創り出そうとしてきた。
しかしその結果は、死屍累々というべきものであった。
臨床試験の結果、認知症の症状をはっきりと改善するものは見つからず、多くの製薬企業が撤退を余儀なくされている。このため、「アミロイドβが認知症の原因」とする仮説自体が、強く疑われるようになっていた。こうした中で、最後まで生き残った新薬候補がアデュカヌマブであった。
アデュカヌマブの臨床試験は紆余曲折を経たが、効果を示すことができず一度は中断に追い込まれるなど、決して芳しいものではなかった。
このため米国医薬食品局(FDA)の諮問委員会は、エビデンス不十分としてほぼ満場一致でアデュカヌマブの承認を否決していた。ところが今回、FDAはこれを覆し、「迅速承認」を与えると発表したのだ。
迅速承認はいわば医薬の仮免許で、これからアデュカヌマブを市販し、効果なしとみなされれば承認は取り消される。とはいえ、認知症に久々の新薬が現れた影響は極めて大きい。
FDAは迅速承認の理由として「アルツハイマー病患者に治療の選択肢がほとんどない切迫した状況を考えた」としている。
もちろん認知症の新たな治療薬が切実に求められていることは事実だが、
はっきりした効果が認められない状況であることに変わりはない。
アデュカヌマブの薬価は年間約600万円!?
アデュカヌマブが批判を浴びるもうひとつの大きな理由は、その薬価だ。
アデュカヌマブはバイオテクノロジーを駆使して製造される「抗体医薬」と呼ばれるタイプの薬であり、製造コストがかさむ。このため患者ひとりあたりの薬価は、年間約600万円に上ると見られる。
しかも比較的軽症の患者が対象だから、投与期間は長期にわたる可能性がある。効くか効かないかわかりませんがとりあえずやってみましょう、と気軽に試せる金額ではない。
米国の動向は世界に影響を与えるため、日本でも今後アデュカヌマブが承認される可能性もある。
だがアデュカヌマブが、一部で報道されたような「夢の治療薬」になる可能性は今のところかなり低いと思える。その薬に対して、年間数千億円という薬剤費が国庫から支払われることが、果たしてふさわしいのか――。「最悪の承認」という批判は、このあたりを案じたものなのだろう。
レカネマブが画期的治療薬に指定
また、6月24日には、現在臨床試験中のレカネマブ(エーザイと米バイオジェンが共同開発)という物質が、FDAから「画期的治療薬」に指定された。
これはアデュカヌマブと同様に、脳内からアミロイドβを取り除くように設計された物質だ。画期的治療薬への指定は必ずしも医薬として承認されることを意味するものではないが、優先的に審査されるなど優遇を受けることになる。
だが前述したように、学会ではアミロイドβ仮説はかなり疑問視されるようになっていた。
かといって、現状ではこれに代わる有力なアプローチは現れていない。となれば、各製薬企業はいったん諦めたアミロイドβ仮説を再び持ち出し、一斉にアデュカヌマブやレカネマブの後追いを始める可能性もある。
その先に「真の治療薬」が待っていればよいが、もしそうでなかったら――。
FDAによるアデュカヌマブやレカネマブの扱いは、製薬企業に誤ったメッセージを送ることになり、まるで「ハーメルンの笛吹き男」のように、認知症研究をあらぬ方向へと導いてしまうかもしれない。
我々の科学は、わずか1年という短期間で、それまで未知であったウイルスに対する安全で効果的なワクチンを送り出せるところまで進歩した。だがその優れた医学知識を結集させてさえ、認知症の治療は未だ難事中の難事だ。
いつか認知症を克服できる日が一日でも早くやって来るよう、その研究が正しい方向へ向かうことを切に願う。
取材・執筆
佐藤健太郎さん
国内製薬会社で創薬研究に従事した後、2008年よりサイエンスライターに転身。薬や化学を独自の視点で追及する作品が人気で、2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)、『世界史を変えた新素材』(新潮選書)、『番号は謎』(新潮新書)、『医薬品とノーベル賞 がん治療薬は受賞できるのか?』(角川新書)など著書多数。