兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第82回 悲劇のヒロイン気取りですか?】
若年性認知症を患う兄の症状が進み、理解しがたい行動がますます増えてきた。同居する妹のツガエマナミコさんは、今後のどうするべきかに逡巡し、気持ちのコントロールに苦慮するこの頃…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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「自己暗示で乗り切れるか、わたくし…」
「これが最後の朝」「今日が終われば全部終わるから」と言い聞かせながら、起きぬけに掃除機をかけるツガエでございます。
子供だましのようですけれども、なんとかして今日1日を乗り切ろうとする苦肉の自己暗示。こういったマインドコントロールのバリエーションを豊富にすることが介護者には必要な能力かもしれません。
幸い、わたくしにはお仕事という大義名分があるので、お部屋にこもって何時間も兄を放置しており、「我は介護者なり」と偉そうなことは言えません。もっといえば、わたくしはただ、兄と同居しているだけなのです。
優先しているのは、わたくしの身体的・精神的安定であって、積極的に話し相手になったり、目を見て笑顔を向けたり、手や肩に触れたりといった認知症介護に良いとされることは何一つ実行しておりません。もっとも最近はコロナ感染防止のため、会話も接触も推奨されておりませんが…。
「そろそろ要介護申請か」と思ってはみるものの、要介護申請を考え始めると、なぜか仕事が忙しくなってしまい、平日に時間が取れない。そうこうして仕事が一段落してゆとりができると、「こんな程度の介護しかしていないわたくしが、果たして人さまの助けを借りていいのか」と思い、「もうちょっと先でもいいかな」となってしまうのです。日頃から「やることやってから文句言えや」と思うタイプでございますゆえ…おほほ。
逆に言えば、お仕事がうまくいかないとイライラが発症し、介護が必要以上の負担に思えるだけなのかもしれません。普通に考えれば兄との同居そのものには大きな負担がございません。彼はずっとテレビを観ているだけなのですし、お食事を出せばお箸やスプーンを使ってパクパク食べてくれますし、徘徊するわけでも、暴言を吐くわけでもございません。パッと見は朗らかでおとなしい普通の人。むしろわたくしの悪態に文句も言わず耐えている人格者です。
1日3回の食事と、掃除・洗濯を担当しているだけなら、世の中の奥さま方はみなさんやっているではありませんか。わたくしは何が辛いと嘆いているのでしょう?
『若年性認知症の兄との同居』を大袈裟に捉えすぎて、何も不幸ではないのに、自分は不幸だと思い込んで、悲劇のヒロインを気取っているのでしょうか?
思えば、
<兄がいるから仕事ができない?>…というわけではございません。
<兄がいるから遊びに行けない?>…ということもございません。
<兄がいるから結婚できない?>…に至ってはまったくもって関係がなく、
<兄がいるから失ったもの─>…と考えてもパッとは浮かびません。
おかしな行動を見るたびに「やめてよ、もう」と思い、そのくせ「少しは頭使って何かしてよ」と願い、やられたらやられたで「余計なことをしないでよ」とイラつく程度の小さな不満は数えきれないほどありますけれども‥‥。
もっとやさしくできるはず。もっと楽しく過ごせるはず。もっと機嫌よく家事をしたり、一緒に歌なんか歌ったりして、キャピキャピすればいいのにな~。他人さまのことならきっとそう思うのに、自分のこととなるとまるで別物。理想と現実の壁は意外と分厚いと実感しております。
そうこうしていると1日が終わり、また陽が昇ってまいります。「これが最後の朝」「今日が終わればすべて終わるから」と言い聞かせる朝でございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ