兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第70回 兄、半年ぶりに散髪屋に行く】
会社勤めを辞めて以来、ほぼ家で過ごす若年性認知症の兄と暮らすツガエさんだが、少しずつ、病状が進む兄のサポートはなかなか大変…。心が千々に乱れるこの頃だ。
それでも、「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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バスタイムは大仕事
朝「窓を開けて~」と言うと、カーテンを開けたり閉めたりする兄と2人暮らしのツガエでございます。
夏の間、あまりお風呂に入らなかった兄は、いつでもぷ~んと形容しがたい匂いを放っておりました。世にいう「加齢臭」との混合臭なのか、特に兄の背後にいると距離があってもわたくしの鼻を襲います。たまりかねて「今日はお風呂に入ってね」とやさしく言って、入っていただいても、石鹸で洗わない主義でいらっしゃるのか、湯上がりでも匂いはそのままでございました。
「洗ってあげるよ」とは口が裂けても言えないわたくしは「ま、湯船に浸かるだけでもいいか」と容認しておりました。
兄のバスタイムはいろいろたいへんです。
入る前段階から介助が必要です。湯上がりに着るパンツ、靴下、Tシャツを用意して「お風呂からあがったらこれを着てね」と何度も念を押し、「今着ている服はそのカゴに入れてね」としつこく念を押し、本人も「これは着るやつね。これは着るやつ…」と何度も確かめてから入ります。
それでも「あがったよ~」と爽やかに出てきた兄は、脱いだはずのTシャツをまた着ています。カゴを見るとパンツと靴下ははき替えたのにTシャツだけが兄の部屋に舞い戻っておりました。
先日は、「明日は病院だから」という理由を付けてお風呂に入っていただきました。出てきた兄はボディーシャンプーの香りはしたのですが、湯上がりでも変わり映えのしない髪型。「髪の毛洗ったの?」と確かめてみると「うん、洗ったよ、ちょっと…」と前髪をモジモジいじっているので、“はは~ん、前髪濡らしただけだな、こいつ”とカチンと来て、「もう一回、服脱いで、お風呂入って、ちゃんと髪の毛洗って」と低めのトーンで言ってしまいました。
会社に勤めていた頃は、毎月欠かさず散髪に行っていた兄ですが、辞めてからというもの、あまり行かなくなり、ギリギリ結べるくらいの長髪になっておりました。
「シャワーの出し方わかる?」と聞くと「わからない」とのたまうので、仕方なく兄の背後に立ち、シャワー持つ係を担当いたしました。兄専用のリンスインシャンプーのボトルを頭の上からプッシュして、「私に泡が飛ばないように洗って」と注文を付けながら、兄が髪を洗うのを俯瞰しておりました。61歳のおっさんの背中を見下ろすだけのなんとも空しい時間。これを幸せと呼べるなら、わたくしはもう「悟り」のレベルでしょう。
→兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第38回 まさかの入浴介助」
その翌日は2か月に1度の病院の日。相変わらず1時間以上待たされて3分診療でございます。そんな主治医に「髪伸びましたね。切らないんですか?」と言われてしまったので、よほどだらしなく見えると察し、その帰り、兄が長年利用している理髪店に立ち寄り、2日後の2時に予約を入れました。
当日は「道がわからない」という兄を途中まで連れていき、「ここからまっすぐだから、はい、いってらっしゃい」と見送り、わたくしは1人帰宅いたしました。
ドアを開けても誰もいない部屋。それは、久しぶりの喜びでございました。外に行けばいくらでも1人になれますが、家での1人はまた格別。「兄が家にいないだけで、なぜこんなに開放的な気分なのだろう」と不思議に感じながら、なにをするわけでもない静かな時間が流れ、至福でございました。
「帰って来られるかな」と不安げにつぶやいていた兄も、1時間もすると何食わぬ顔で「ただいま」と自分で鍵を開けて帰っていらっしゃいました。少しは道に迷ったかもしれません。でも自宅までたどり着けたのです。不謹慎ですが「なんや帰ってこれるんかい!」とがっかりしてしまった非情な妹でございます。
ただ、半年ぶりに短く刈り上げた髪の兄は、なぜか認知症感がなく、しっかりした勤め人のように見えました。それはザンバラ髪で生活感丸出しのわたくしに「人は見た目が大事だ」と教えてくれた出来事でもありました。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ