兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第69回 コップにオシッコ事件」
若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが、2人の日常を綴る連載エッセイ。兄の言動には、なかなか理解できないことも多く、頭を悩ませるツガエさんだが、このたび、衝撃的な出来事が!! 心が折れてしまいそうなツガエさん…
それでも、「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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コップの中のイエローの水の正体とは
ツガエ家始まって以来の大型テレビ(32型ですけれど)が来て早2か月。その巨大さにあんなに感動し、恐れおののいた風景も当たり前になってしまいました。
ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキー様曰く“人間はどんなことにもすぐ慣れる動物”だそうですからテレビの大きさなどわけないことでございます。
ですが、わたくしは、認知症の兄との2人暮らしに慣れる気配が一向にありません。いつでもムカついていますし、いつでもイライラしていますし、いつまでたっても自己嫌悪から抜け出せないツガエでございます。
夏の朝、洗面台に常備している透明ガラスのコップに異変がありました。そのコップは兄の歯磨き用にと置いてあるものですが、そこになぜかお茶のようなものが半分ほど入っていたのです。全面真っ白な洗面台にきれいに透き通るイエローの水が映えていました。麦茶かな? それともイソジンをすっごく薄めてうがいでもしたのかな?と思いながら、「ったく、ちゃんと洗っとけや」と、ざっと洗ってもとに戻しておきました。
それからひと月ほどして、2度目にそれがあった朝に兄が起きてくるまで待って「これ何? この前もあったけど」と兄に聞くと「知らない」と小首をかしげながら「でもボクなんでしょ。きっと」といい、自分で洗ってもとに戻してくださいました。
さらにひと月ほどした先日、3度目のそれがありました。やはり朝。さすがに不思議に思い、そっとコップに鼻を近づけて嗅いでみましたところ、一瞬でそれとわかるオシッコの匂いでした。
「え?なんで!?」という驚きでしばし思考停止になりました。
過去2回、それが頭をよぎらなかったわけではございません。でもオシッコがコップに入ってそこにあれば、鼻を近づけるまでもなく多少は匂うはずで、ましてコップの中身を流したときも匂い立つものがなかったので「これはオシッコではないな」と思い込んだのです。わたくしの鼻がばかだったのでしょうか。
嗅いでしまったその日は兄のオシッコの匂いがいつまでも鼻の奥に残り、不快な1日を送りました。
認知症になると何をやり出すかわかりません。
思えば、今は亡き母も認知症だったのでかなりいろいろやらかしてくれていました。トイレ用の雑巾がキッチンの台フキンになっていたときは、わたくし、生きる気力を失くすほどガッカリいたしましたっけ。
そんな経験があっても、認知症だから仕方ないと骨身に沁みてわかっていても、やっぱり何かやらかしてくれるたびにガッカリが積み重なっていき、心穏やかでいられないのでございます。ドストエフスキー様、ツガエは認知症にちっとも慣れない動物です。
それにしても洗面所とトイレの距離など目と鼻の先。トイレまで間に合わないから洗面所で…ということはあまり考えられません。兄は深夜にトイレではなく、わざわざ洗面所に行き、ご丁寧に小さなコップの中に致したわけです。これは確信犯なのか、寝ぼけているがゆえの所業なのでしょうか…?
じつは、昨日深夜に4度目のそれを見ました。あえて洗わずそのままにしておくと、朝にはコップは空になっておりました。いったいいつから、どんな頻度でそれは行われているのでございましょう。
ちなみに、ご安心ください。わたくしはそのコップで口をすすいだことはございません。わたくしは一人暮らしの昔から洗面所では手がコップ代わり。たとえバイ菌だらけでも自分の手ならば許せます。ああ、あのコップで日々口をすすいでいなくて本当によかった。それだけがこの物語の明るいお知らせでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ