兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第60回 兄への不安、わたくしの不安」
57才で若年性認知症を発症した兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが2人の日々の様子を綴る連載エッセイ。他界した母の認知症介護の経験もあるツガエさんは、兄の変化にはいろいろと思うことがある。そしてツガエさん自身の体力、体調も気になるこの頃だ…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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加速する認知症と私の寄る年波問題
兄と二人で地方の大雨のニュースを見ながら昼食をとっていると、急に「今日はここ何時に閉めるの?」と聞かれ、「???」となってしまったツガエでございます。
「え?閉めるって?」
「だから、ここ何時まで開けるの?」
「う~んと、ここに住んでるからさ…、ずっと開いてるよね」
本当に意味が分からなくて言葉に詰まったのですが、あとからよくよく考えると、たぶん兄は一瞬「会社にいた」のだと思います。あくまで想像ですが「大雨=早めの帰宅」から出てきた言葉なのではないかと…。ただ大雨は遠い地方のお話だったんですけれど。
「あ~、うんうん」
話題が変わったテレビに夢中になっている振りをして話をうやむやにした兄。いつものことです。兄との会話はたいてい尻切れトンボでございます。
名詞が通じないことも増えてきて「レースのカーテンを閉めてくれる?」とお願いしても厚手のカーテンを閉めるし、「網戸しないと虫入るから」と言うとガラス窓を閉めてしまうありさま。兄にお願いすることがどんどん面倒になって、「たのしくテレビを観ていてくれればそれでいい」と、諦めてしまう自分がいます。
わたくしも寄る年波に老化が進み、心身共に弱ってまいりました。母を自宅で看取った実績はあるものの、あのころの自分とはもう体力も気力も違うのです。
街でわたくしよりも明らかに年上のご婦人が颯爽と歩いているのを見ると、「自分はあの年齢であんなふうに歩けるだろうか」と考えるようになりました。
というのも、最近膝痛が気になるのです。
「そんなときにはグルコサミンとコンドロイチン!」とかいうフレーズが頭をよぎりますが、今まではまったくの他人事でしたのに、ここへ来て将来の歩行に自信が持てなくなりました。カクンカクンと音が鳴るのは日常茶飯事ですし、ときに方向転換のときの軸足の膝でザリザリと不気味な感覚もあります。しゃがむのが痛いですし、しゃがみからの立ち上がりは床に手を突いて「よっこいしょういち」(古いダジャレです)の状態です。身が重いな~と感じて久しく、ダイエットの5文字は常に点滅しております。
膝痛のほかにも痩せたい理由はございます。
これもネット情報ですが、米国の大学の研究では「60代でBMIが高く、ウエストが大きい人は、脳の老化を10年以上加速させる可能性がある」とのこと。つまり認知症のリスクが高いというのです。しかも1日5時間座ったままスマホをしていると肥満リスクがめちゃくちゃアップするという研究結果も…。わたくしは5時間どころかもっと座っております…。どうりでウエストが見当たらなくなったわけです。
家系的にも認知症のサラブレッドなので、いよいよちょいと食事量を減らし運動をしなければならないような気がしてまいりました。幸い60歳まであと2年半もございます。膝のためにも認知症予防のためにも減量は必須案件といたしましょう。
ついでに断捨離できずにクローゼットで眠っているあのスカートもあのジーンズも復活できるボディーになれば、一石三鳥ではございませんか。さぁ、有言実行なるか?2年半後のわたくしにこうご期待でございます。
今朝の兄は「今日は、ここ休みだよね」とのたまわれ、面倒なので「そうそう」と言っておきました。加速する兄の認知症に、わたくしの体力気力はついていけるのでしょうか…。
つづく…(次回は10月1日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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