シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<35>【連載 エッセイ】
長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。
桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。
シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。
さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!
【前回までのあらすじ】
ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。
飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着。
宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた神聖なる大聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。
ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たすのだった。
翌日は、バスを乗り継ぎ、次の目的地、ペンブロークに向かう。
ペンブローク城の城内巡りを堪能し、絵本のような宿「Old Kings Arms Hotel」で一夜を過ごした後、来た道を遡り、ペンブロークから最初に宿泊したカーディフへ再び到着した。
カーディフでは、新著の資料として「カーディフシティホール」に置かれているウェールズ史の英雄11体の像を見学し、許可を得て撮影をするという重要な目的があるのだった。
* * *
X 英雄たちと黒ビール(2)
(2017/4/13 カーディフ)
●11体の英雄像
9時少し前に私はホテルを出た。いよいよ「カーディフシティホール」に向かうのである。
ホテルのフロントのイケメンスタッフに言われたように、ホテルの北側へと歩いていく。木々が生い茂った緑の多い穏やかな市内の風景が続き、ほどなく目の前の芝を張った公園の向こう側に、ドームの屋根を中央に擁した左右対称の豪壮な建物が見えてきた。「カーディフシティホール」である。
1995年に完成したイギリスルネッサンス様式の二層構造の建築物。中には大きなホールや会議場、団体やグループ向けの集会部屋など大中小多彩な部屋があり、これらの施設は地元カーディフ市が主催する様々なイベントや国際会議、市民の結婚式場などの用途に供されているとのことである。
私が写真を撮ろうとしている11体のウェールズ史の英雄像は、2階のマーブルホールという主に結婚式や各種パーティに使われる大ホールに装飾用として置かれている。
なお、11体の英雄像とは次のごとくである。
・ローマ軍と戦ったブリトン人の女王「ボウディッカ」(AD61年頃死去)
・既述の、セント・デイヴィッズ創建者でウェールズの守護聖人「セント・デイヴィッド」(500年-589年頃)
・ウェールズの平和で良き時代の象徴とされる「ハウェル善良王」(880年-950年)
・既述の、ウェールズの大司教になるためイングランドと闘った聖職者「ジェラルド・オブ・ウェールズ」(1146年-1223年)
・初めてプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)を称した最後のサウェリンこと「サウェリン・アプ・グリフィズ」(1223年-1282年)
・ウェールズのみならず中世ヨーロッパを代表する詩人「ダヴィッズ・アプ・グウィリン」(1340年-1370年)
・イングランドと10年に及ぶウェールズ大独立戦争を戦った民族の英雄「オワイン・グリンドール」(1349~59年頃-1415年頃)
・既述のヘンリー・テューダーことイングランド国王「ヘンリー7世」(1457年-1509年)
・聖書を初めてウェールズ語に翻訳したスランダフ及びセント・アサフの司教「ウィリアム・モルガン」(1545年-1604年)
・賛美歌作者の「ウィイアム・ウィリアムズ・パンチェケリン」(1717年-1791年)
・ナポレオン戦争時の英国陸軍の猛将「サー・トーマス・ピクトン」(1758年-1815年)
この11人のうちでは、私はボウディッカ、ジェラルド・オブ・ウェールズ、最後のサウェリン、オワイン・グリンドール、そしてヘンリー・テューダーを新著『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』で取り上げている。
つまり、私の新著はボウディッカからヘンリー7世までの、ウェールズの英雄たちの物語であり、むろんそこには他にも様々な人物が登場する。と、こんなわけで、私は何としても写真の許可をもらわないといけないのである。
●あっけないくらい…
私は「カーディフシティホール」の玄関に立った。
大時代的な、ゴージャスな建物である。よしと気を引き締め、玄関ドアから中に入る。そこは、落ち着いたえんじ色の絨毯を床一面に敷いた、訪れる人々を最初に迎えるエントランスホールと呼ばれる広い空間である。
少し進んだ右側には、シックな木調のレセプションデスクが置かれ、受付業務ができるようになっている。周囲には来場者のためのゆったりした革張り長椅子もいくつか配置されている。レセプションデスクをさらに進んだホールの左右には、これもえんじ色のカーペットを敷いた広い階段があり、2階へはこの両階段から上がれる。エントランスホールの最奥部には重厚なドアがあって、開けるとそこは会議やイベントに使われる1階大ホールである。
レセプションデスクにはカーディフ市の男性職員が座っていた。年齢は30代くらい、細身の、ダークスーツに身を包んだきちっとした印象の男性である。
私は彼のほうに歩み寄る。デスクの前に立つと一礼し、名刺を差し出しながら、自分の名前と、歴史家であること、日本から来た旨を伝える。名刺はセント・デイヴィッズで首席司祭に渡した、裏面がアルファベットで書かれている、あれである。彼は名刺と私を交互に見ながら、私の言葉に一つ一つ頷きつつ、しっかりと聞いている。私はそして、カーディフシティホールを訪れた目的を語った。
“I came here to see the eleven statues of Welsh National Heroes and if allowed, I would like to take photos of all of them for my next book.”
(私は11体のウェールズの英雄像を見るためにここに来ました。もし、ご許可を頂けるのなら、私の次作に載せるためにそれらの写真を撮りたく思います。)
“Certainly, please” (承知しました。どうぞ。)
あっけないくらい、簡単だった。
桜井俊彰(さくらいとしあき)
1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。