連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<36>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着。

 神聖なる大聖堂では、ジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合い、ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たすのだった。

 翌日は、ペンブロークへ。ペンブローク城内巡りを堪能し、一夜を過ごした後、来た道を遡り、最初に宿泊した街カーディフへ再び到着。

 カーディフでは、「カーディフシティホール」を訪れ、新著の資料として、置かれているウェールズ史の英雄11体の像(※)の撮影の目的がある。撮影許可を申請したところ、すんなり受け入れてもらえた。

※11体の像は以下の通り。

・ローマ軍と戦ったブリトン人の女王「ボウディッカ」(AD61年頃死去)
・既述の、セント・デイヴィッズ創建者でウェールズの守護聖人「セント・デイヴィッド」(500年-589年頃)
・ウェールズの平和で良き時代の象徴とされる「ハウェル善良王」(880年-950年)
・既述の、ウェールズの大司教になるためイングランドと闘った聖職者「ジェラルド・オブ・ウェールズ」(1146年-1223年)
・初めてプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)を称した最後のサウェリンこと「サウェリン・アプ・グリフィズ」(1223年-1282年)
・ウェールズのみならず中世ヨーロッパを代表する詩人「ダヴィッズ・アプ・グウィリン」(1340年-1370年)
・イングランドと10年に及ぶウェールズ大独立戦争を戦った民族の英雄「オワイン・グリンドール」(1349~59年頃-1415年頃)
・既述の、ヘンリー・テューダーことイングランド国王「ヘンリー7世」(1457年-1509年)
・聖書を初めてウェールズ語に翻訳したスランダフ及びセント・アサフの司教「ウィリアム・モルガン」(1545年-1604年)
・賛美歌作者の「ウィイアム・ウィリアムズ・パンチェケリン」(1717年-1791年)
・ナポレオン戦争時の英国陸軍の猛将「サー・トーマス・ピクトン」(1758年-1815年)

→前回(35回)の記事を読む

 * * *

X 英雄たちと黒ビール(3)

(2017/4/13 カーディフ)

●「オワイン・グリンドール」

 マーブルホールへ、私は右の、つまり東階段から2階に上がる。すぐに2階の東窓際に置かれた1体の大理石の立像が、階段の途中から目に飛び込んでくる。

「オワイン・グリンドール」である。武断派イングランド国エドワード1世によってついに全土を征服されてから1世紀後の1400年。ウェールズに独立と誇りを取り戻すべく蜂起した「オワイン・グリンドールの乱」は、イングランド側の同調者やフランスの同盟参加を得て、スケールの大きなものとなっていく。

 オワインはウェールズ初の議会を招集したり、大学の創設やセント・デイヴィッズに大司教の座を置くことを推進したり、独立国家ウェールズのためのさまざまな施策を練っていく。イングランドとの長い戦いの後、結局オワインは敗れ、これらのプランは水泡に帰すが、彼は決して捕まることなく、歴史の深い霧の中に消えていく。そして今日まで多くの伝説を残している。

 こんなオワインは、残念だが日本では全く名が知られていない。しかし、ウェールズでは毎年9月16日は「オワイン・グリンドール・デイ」となっていて、人々はその日、民族の大英雄を各地で偲び祝う。1998年に労働党のトニー・ブレア政権下、ウェールズ議会(National Assembly for Wales)の設置が決定されたが、これはオワインからおよそ600年ぶりの議会復活であり、それを知っているウェールズの人々は歓喜の声をあげた。そのオワイン・グリンドールの大理石の立像は力強く、堂々としていた。

●「最後のサウェリン」と「ヘンリー7世」

「最後のサウェリン」と「ヘンリー7世」の像は、階段を上りきったところにあった。

 像というものは、その人物の生涯から来る印象を基に造られることが、この2つからよくわかる。プリンス・オブ・ウェールズとして独立国ウェールズ大公国を率いた君主、最後のサウェリンこと「サウェリン・アプ・グリフィズ」は、弟ダヴィッズの裏切りにあい、またその弟と組んだ義兄の、すなわち妻の兄、イングランド国王エドワード1世の大軍に攻められる。

 祖国を防衛するため、勝てる見込みのない戦いに臨んだサウェリンだったが、折から最愛の妻エレーナに先立たれ、深い悲しみの中、伏兵の槍で突かれて命を落とす。1282年12月のことだ。無念の思いで斃(たお)れたサウェリンを象徴するかの如く、彼の像は地に伏した味方の上に重なって、右手の拳を天に突き上げ叫んでいるかのようである。

 英国史上最大の「ワル国王」リチャード3世を倒したボズワーズの戦場におけるヘンリー・テューダーの像は、勝利者の威厳にあふれている。

 その立像は甲冑を身に着け、右足を一歩前に踏み出し、胸を張った堂々たる姿である。彼の右隣りに蹲(つくば)っている騎士は、猪のように突進してきたリチャード3世によって倒されたヘンリー軍の旗手、ウィリアム・ブランドン卿だろう。ヘンリーはその旗手に代わり、ウェールズのシンボル、赤竜の軍旗を右手に抱えている。

 彼は頭に王冠を戴いているが、これはボズワーズの戦場における戴冠式伝説に基づくものだろう。戦いの後、戦場にはリチャード3世が被っていたイングランド国王の冠が転がっていたという。それをヘンリー軍のトーマス・スタンリー卿がみつけ、その場で戴冠式を挙行したという逸話である。まあ、作り話に違いない。いくらリチャード3世が強欲でヘンな国王でも、そんなものを戦場で被っていたら敵に目立ってしょうがない。

●女王ボウディッカと二人の娘

 2階のマーブルホールに至るもう1つの西階段を上ったところには、「ボウディッカ」の像がある。

 彼女は、アングロサクソン人もまだブリテン島に侵入していない紀元1世紀、ローマ皇帝直轄の属州ブリタンニアにいたケルト人のイケニ族の女王である。ローマの支配のもと、夫の王プラスダクスとイケニ族の王国を共同統治していたボウディッカは、夫の死後、ローマの高利貸たちからひどい利子で膨らんだ貸付金を無理やり回収され苦境に陥ってしまう。

 加えて王国を娘2人に相続するとのプラスダクスの遺言はローマに無視されたあげく、抗議したボウディッカは鞭打たれ、娘2人はローマ兵に凌辱されてしまう。

 我慢の限界を超えたボウディッカは周辺のケルト人諸族も結集して大反乱軍のリーダーとなり、ローマのブリテン島支配を揺るがす。しかし、統制がうまくとれない女子供、家畜荷車まで含んだ23万人の反乱軍というか大群衆は、急遽アングルシー島遠征から戻ってきたブリタンニア総督のスエトニウス・パウリヌス率いる1万人のローマの精鋭第14軍団に完膚なきまで敗れ、ボウディッカは自ら命を絶つ。

 けれども、その後もブリトン人に厳しくあたったパウリヌスの統治のやり方は、これを真剣に危惧したブリタンニア駐在のローマの役人たちからローマ皇帝ネロに知らされ、結局パウリヌスはネロによってブリタンニア総督を解任されることになる。

 そしてこれ以降、ローマはブリトン人に歩み寄った統治政策に大転換し、ローマ人とブリトン人の蜜月関係がもたらした「ローマンブリテン」の長く安定した繁栄の時代は、ローマがブリテン島から撤退する5世紀初めまで続くのである。つまりローマのブリテン島支配のごく早い時期に起こったボウディッカの反乱は、ローマとブリトン人の相互協調・繁栄の尊いコストになったといえる。

 マーブルホールのボウディッカ像は、不安げに寄り添う娘二人を両脇に抱え、その姿は戦う女王というよりは母親そのものの姿である。

 ボウディッカの像に関してはもう1体、ロンドンのビッグベンの近く、テムズ川に架かっているウェストミンスター橋のたもとにもある。こちらも娘2人を従えた像だが、マーブルホールの像と違うのは3人が戦闘用馬車に乗った、戦う女王にふさわしい勇壮な出で立ちであることだ。どちらの像も、伝えられている「ボウディッカの姿」である点で外れてはいない。

 ただ、侵略された視点からみれば、ここマーブルホールの娘たちを抱くボウディッカ像のほうが、実際に起こった悲しい出来事をより正しく我々に知らせている血の通った証人のように思える。ブリトン人の聖域となったウェールズにある像は、やはり違うのである。

●再び会った「ジェラルド」

 そして、西階段の窓際には「ジェラルド・オブ・ウェールズ」の像があった。

 僧服に身を包み、作家らしく腰にはインク壺をぶら下げ、左手には分厚い書物を抱えたおかっぱ頭のしかめっ面の人物。セント・デイヴィッズ大聖堂のジェラルドのチャペルにあった、穏やかな表情の彼の像と比べると、こちらは鼻っ柱の強そうな、攻撃的で頑固者の顔である。それが、また実にいい。

 なぜって、すでに見てきたように、ジェラルドは自ら大司教となってウェールズの教会世界をイングランドの支配から解放するために闘った筋金入りのヒーローだったが、人を罵倒することにかけてはまた天才的でもあったわけで、そういう彼の意志の強さと意地の悪さがこの像にはよく表現されていると、私は思うのである。言ってしまえばリアリティのあるとても人間的な像である。

 私はLUMIX(カメラ)で次々と像を撮る。

「オワイン・グリンドール」や「ジェラルド・オブ・ウェールズ」の像は階段脇の窓際にあり、当初は階段の中ほどに降りて下から見上げるような角度でカメラを構えるしかなかったが、階段を下りずにカメラに収められる場所を見つけることができ、うまく撮ることができた。それもこの2階のマーブルホールを、たぶん今夕か明日の予定で入っている結婚式か何かの準備のために会場設営しているスタッフが、絶好の撮影ポイントを教えてくれたからである。

 実際、シティホールのスタッフの私に対する気の使いようには頭が下がった。彼らがテーブルや椅子を運ぶとき、私がカメラを構えていたら一時停止して、シャッターを切るまで待っていてくれる。要するに私はシティホールがそんな忙しい時にいきなり飛び込んできた、彼らにとっては邪魔な存在だったわけだが、文句一つ言わず最高の協力をしてくれた。

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

 
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