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連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<34>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着。

 宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた神聖なる大聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。

 ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たすのだった。

 翌日は、バスを乗り継ぎ、次の目的地、ペンブロークに向かう。

 ペンブローク城の城内巡りを堪能し、絵本のような宿「Old Kings Arms Hotel」で一夜を過ごした後、来た道を遡り、バス、電車を乗り継ぎ、最初に宿泊したカーディフへ再び到着した。

→前回(33回)の記事を読む

 * * *

X 英雄たちと黒ビール(1)

(2017/4/13 カーディフ)

●勝負の日

 目覚めたら5時近かった。一気に寝てしまった、というわけではない。パジャマに着替えていたからどこかで起きている。そうだ、1時頃にいったん起きて着替えて、またすぐに眠ってしまった記憶がかすかにある。7時間は眠れた。十分だ。

 枕元のリモコンでテレビのスイッチを入れ、BBCウェールズを見る。今日も天気はいいようだ。朝8℃、日中16℃か。快適である。よし、1日中歩き回るぞ。

 狭い部屋なのにあっちこっち動き回りながら、私は上機嫌で今日の予定を頭の中で確認している。

 最初にカーディフ市が運営している多目的ホール「カーディフシティホール」に、オープン時間の9時きっかりに行く。そこでウェールズ史における11人の英雄たちの大理石像を見て、写真を撮る。それからカーディフ城に行き城内をじっくり回る。たぶんこのあたりで昼になる。どこかでランチを食べて、スーベニアショップでカミさんに頼まれたリーキ(leek)のバッジを買って、書店を見つけてウェールズ関係の本を買って、新興のウォーターフロント地区へ行ってウェールズ議会(National Assembly for Wales)を見学して…。

 とくに「カーディフシティホール」のマーブルホール(大理石のホール)という大部屋に置かれている11人のウェールズの英雄像をカメラに収めることは、セント・デイヴィッズ大聖堂、ペンブローク城訪問と並び今回の旅の三大目的の一つである。

 そもそもこの旅は、私が今秋(2017年の秋)に出すウェールズ史関連の新書に載せる写真を撮るため、という「仕事」の側面もある。だからここでは時間をかけていい写真を撮りたい。いや、そもそもその前に、私の本のための、つまり一日本人の極めて個人的な事柄のための写真撮影を、自治体であるカーディフ市が許可してくれるか、という問題がある。もし「ノー」と言われたら、私はがっかりして残念会と勝手に称し、他も回らずどこかのパブにこもってビール三昧の一日で終わらせてしまうかもしれない。

 今日は、だから「勝負」の日なのである。この旅で一番緊張している日なのである。

●代り映えしないが、好きな朝のメニュー

 7時になったのでグランドフロアに降りていく。横目でちらっとフロントを見る。昨日のきれいなおネエさんたちはそこにはおらず、代って数人の若い男性が業務にあたっている。

 よく見ると、彼らはかなりのイケメンである。ふーん、どうやらここは、フロントに美男美女を揃えているホテルなのだな。これも厳しいホテルビジネスを勝ち抜くための戦略なのか、と納得する。

 私は朝食バイキングが用意されたレストランに入り、ディッシュにいろいろと盛りつけ、窓際のテーブルに持っていく。全部で2往復しテーブルに並べたのは、まずソーセージ、ベーコン、焼きシイタケ、焼きトマト、ベイクドポテト、ビーンズが載った大皿。種類の違うソーセージハムのスライスを一切れずつ盛った中皿。そしてフランスパン二切れの中皿。全部で三皿とそれに加えてコーヒーとオレンジジュースだ。

 まあ、はっきり言ってしまえば、ウェールズに来てからこの4日間、全くと言っていい同じメニューである。むろん私は日本人だから、日本のホテルのように朝食バイキングメニューの中に、ごはん、味噌汁、お新香、焼きのり、焼き魚、ちりめんじゃこにもみじおろしの小鉢なんかもあれば、それはありがたいし嬉しい。

 でも、いいのである。ここは外国、ないものねだりをしてもしょうがない。そもそも私はこういうメニューは大好きだし、4日と言わず2週間続いても平気である。

 実際、私は家でもオールデイ・ブレックファーストを食べるのが好きだ。料理研究家のカミさんも、私がこれを作ると喜んで付き合ってくれる。このあたりは、やはりロンドンにいたときの名残だろう。ま、どうしても和食っぽいものが食べたくなれば、「マークス・アンド・スペンサー」とか「ウェイトローズ」「テスコ」などに行けば寿司パックや醤油くらいは確実に手に入るのが最近の海外スーパー事情だ。

 私にとって、ここまで泊まったところで食べたウェールズの朝食はみな美味しかった。もちろんこの「ジュリーズ・イン」も。

●フロントの好青年!

 席を立ち、青りんごを1つだけ今朝は手に取って部屋に戻ろうとすると、フロントのパソコンの前に座っているイケメンのおにいさんと目が合った。彼がニコッとしたので、よしと、彼のそばに行き向かいに座る。

 私は折りたたんで手帳に挟んでいたカーディフ市街地図を彼の前に広げ、今日は市内をあちこち回るのだが、スーベニアショップはどの辺にあるのかを訪ねた。ちなみに今広げた地図は、私が最初に泊まったカーディフの「マリオットホテル」にあったもので、土産物屋を聞いたのはカミさんに頼まれたリーキのピンバッジ20個を買うためだ。

「カーディフカッスルには行かれますよね。その前の通りに大きな店が二軒あります。あと、セント・ジョン・ストリートにも…」

 彼は地図に赤ボールペンで印を入れて、土産物ショップを実に丁寧に教えてくれる。

「ありがとう。今日はカーディフシティホールから市内を回り始めて、お昼ぐらいにスーベニアショップに寄ろうかと考えている」

「そうですか。シティホールはホテルを中央駅とは反対方向の北側に五分ほど進めば見えてきます。とてもいい建物ですよ。でも珍しいですね。ふだん観光客の皆さまはあまり行かれないところなので…」

 そこで、私は旅の目的を彼に話し始める。この旅はウェールズの英雄たちに所縁の深い場所を訪ねることがメインであり、そのためにセント・デイヴィッズ大聖堂やペンブローク城を回ってきたこと、そんな私の最後のミッションがシティホールにある11体のウェールズの英雄像を見て写真に収めることなのだと、やや、いやかなり大げさに話したのだった。

 もちろん彼はシティホールの英雄像のことは知っている。しかし、彼が驚き、敬意のまなざしを向けてくれたのは、私がシティホールに行くことではなかった。

「セント・デイヴィッズに行かれたのですか。素晴らしいですね!」

 そう、このリアクションだ。スキポールからカーディフまでの飛行機で一緒になったおばちゃんも、カーディフ空港のあの女性入国審査官も、私がセント・デイヴィッズを訪れると言ったとたん、にわかに私に興味を持ち話が弾んだ。セント・デイヴィッズ大聖堂はやはりウェールズの人に特別な場所、聖域なのだ。

 私ものってきて、ついにジェラルドに会えたことや日本で書いたジェラルドの本をカテドラルに奉納できたことを話す。ついには懲りずにまた、そのジェラルドの本を持ったエドウィナ・ハート大臣と私が一緒に写っている写真もスマホに出して彼に見せる。スマホの画面をじっとのぞき込み、彼は言った。

「私もこの本を読みたいです。カーディフの書店で買えるでしょうか?」

 何と純粋な好青年だろう!このシニアはほとんど卒倒しそうである。嬉しくて。残念ながらこれは日本語で書かれた日本人読者向けので、しかもたいして刷ってないから日本でさえ手に入りにくい、と彼に伝え、しかしそのあふれる善意に感謝した。

 私は立ち上がり、フロントを去る間際に、しかしシティホールは私の写真撮影を許可してくれるかなあと、別段彼の返事を期待するわけでもなく独り言のように呟いた。

「大丈夫です。シティホールがそんなことをするはずがありません」

 何という好青年だろう!このシニアはほとんど抱きつきそうである。嬉しくて。いい気分に浸りながら私はエレベーターに乗り、一旦部屋に戻っていった。青りんごを片手に。

→つづき(第35回)を読む

→このシリーズのバックナンバーを読む

桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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