シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<27>【連載 エッセイ】
長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。
桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。
シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。
さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!
【前回までのあらすじ】
ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。
そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。
飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。
宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた大聖堂は土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。
ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たし、翌朝、再び「セント・デイヴィッズ」を訪れた際、教会の幹部聖職者である参事司祭に出会い、前日渡した著書のお礼を言われるのだった。そして、バスを乗り継ぎ、次の目的地、ペンブロークに到着した。
予約していた宿「Old Kings Arms Hotel」は、まるで絵本に出てくるような外観。チェックインも定刻より早く、到着と同時に可能に。ホテルのフロントデスクには、日本の俳優・笹野高史似!の支配人がいた。
荷をほどき、早速、ペンブローク城に向かう。円形の城壁を右回りで進むことに決め、バービカンタワー(Barbican Tower)から大塔、そして「ヘンリー7世の塔」に。塔を上る、急ならせん階段では、足を滑らせ、ひやりとする場面もあったが、城内巡りを堪能。一度宿に戻り、再び濠の外からペンブローク城を見学、その姿を写真に収めたのだった。
* * *
(2017/4/11 ペンブローク)
VIII アドミラル・トーゴーと「戦艦ヘイエイ」(1)
●ちゃんとした夕食を!
ところでここまで、私は「ちゃんとした」ところで夜の食事をしていない。
カーディフでは、チキンバーガーをテイクアウトで買ってマリオットホテルの部屋で済ませた。セント・デイヴィッズでは、遅い午後にパブでウェルッシュ・レアビット(チーズトーストのような食べ物)を食べた。
もちろんお腹はそれで大満足だったが、せめて今夜ぐらいはレストランと名のつくところで食べてみたい。
メニュー読みは苦手だが、まあ頑張って何とかしよう。で、私はせっかく「Old Kings Arms Hotel」という面白い宿に泊まっているわけだから、ここのレストランでディナーということにしようと決めた。
ところでこの「Old Kings Arms Hotel」という名前だが、Armsは複数形で「紋章」という意味であり、直訳すれば「古の王たちの紋章ホテル」となる。
ただ私はKingsではなくて、King’sを使ったほうが絶対いいのではないかと思っている。「Old King’s Arms Hotel」なら「古の王の紋章ホテル」になり、その場合、古の王は誰かということになる。ここはペンブロークだからそれは間違いなくヘンリー7世なのであり、従って「Old Kings Arms Hotel 」改め「Old King’s Arms Hotel」は「古のヘンリー7世の紋章ホテル」を暗喩することになる。
まあ、こんな勝手な妄想もそれなりに楽しい。
1階のレストランに行ってみるとテーブルには1組の中年カップルがいるだけで、彼らはビールを飲んでいる。
隣のパブとこのレストランのウェイターを兼任している若い男性スタッフに聞くと、レストランのオーダーは6時半からだという。まだ30分そこそこ時間があるのでダブル・ドラゴンズのラガーをワン・パイント頼んだ。
もちろん、ラガーは隣のパブのタップから注いで持ってくるのである。レストランといっても、このホテルの構造上、半分パブみたいなものであり、今夜は「ちゃんとした」ところで食べたいと思っていた私ではあったが、内心ほっとしている。
私はラガーと一緒にウェイターが持ってきてくれた夕食のメニューを開け、覗き込む。
「あっ、これは読みやすい」とすぐに感じた。
とにかく料理の数がそんなに多くはなく、かつ、きれいに整然と書き並べられている。これはいい。私は魚が食べたかったのでその方面の品書きを重点的に見る。
●サーモングリルだ!
そこに、ちょっとそわそわした印象でササノさんが現れ、テーブルについている私を見つけた。
「ああ、ここにいらっしゃったのですか。あなたは日本から来られたのでしたね。少し、ご意見を伺いたいことがあります。ちょっと待っててください…」
うん?と顔を見上げたとたん、ササノさんはまた忙しそうにレストランからいなくなった。
何だ、何だ?何を聞きたいのだ?と思いつつ、私はダブル・ドラゴンズのラガーを気持ちよく飲みながら再びメニューと格闘を始める。サーモンのグリルに温野菜とチップスか。よし、これだ、これにしよう。
だいぶ前、もう30年以上も昔のことだが、私はカナダのバンクーバーに1人で行き、そのとき泊まったそこそこいい感じのホテルのレストランでサーモングリルを食べた。
実に美味しかったこと!その記憶は未だに鮮明で、それゆえ、ブリテン島も北海に囲まれているからサケは美味しいに違いない。そう確信し、ここでもトライすることにしたのである。
それにしてもあのバンクーバーの旅はよかったなあ、と私は久しぶりに甦ってきたかつての旅の記憶をたどる。
あのときはホテルの近くの寿司屋にも行った。板前さんが日本人の気風のいい大将で、まだそれほど日本人観光客が多くない頃で、カウンターに座った私に大将がいろいろと面白いバンクーバーの話をしてくれた。お寿司もとても美味しかった。
で、大将が「松茸召し上がりますか?」というから、「えっ?」っと返すと、「バンクーバーは松茸もたくさん採れるんですよ。こちらのは色が白くて、日本のものと比べるとさすがに繊細さはないんですが、でも十分いけますよ」ということだったのでじゃあ、と頼んだら、焼き松茸とお吸い物が出てきた。
それがまた絶品だった。正直、それまで私は外でそういう松茸料理を食べたことがなかったので、未だにこのバンクーバーでの味が、私の焼き松茸とお吸い物のスタンダードになっている。美味しいお寿司と松茸を頂いたにしては驚くほどリーズナブルな料金だった。
●アドミラル・トーゴー
心地よくバンクーバーの思い出に浸っていたところに、ササノさんが再び登場した。
手には何かA4用紙のレポートのようなものを持っている。たぶんこれを取りに行っていたのだろう。
「座ってもいいでしょうか」と聞いてきたので、「どうぞ、どうぞ」と私は右手で軽く向かいの席を示す。でも、さすがである。というか当たり前である。私はホテルのゲストなので、了解を取らないうちは勝手に座ってはいけない。マナーをわきまえている。ササノさんはゆっくりと座ると話し始めた。
「私の友人に船舶の研究者がいるのですが、彼は最近あるレポートをまとめました。それは日本海軍に関することです。私は彼の書いたことが果たして妥当かどうか、日本人のあなたが泊まることを知って、確かめたく思ったのです」
ほう、ササノさんが聞きたいのは日本海軍のことか。私にわかるかな。一応、私は歴史家だから大抵の国や地域の歴史は一通り押さえてはいる。でも軍事オタクじゃないからなあ。多少戸惑っていると、最初の質問はごく初歩的なことだった。
「あなたはアドミラル・トーゴーをご存じですよね?」
「もちろん。日本人なら、まず知らない人はいません。東郷元帥は日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を壊滅させた日本海軍の提督ですから」
そうである。ご神体となって奉られているほどの有名人である。東郷平八郎は。
「あのバトル・オブ・ツシマは世界海戦史上稀有なワン・サイド・ヴィクトリーでした。彼は日本のアドミラル・ネルソンですね」
うん、うん。ササノさん、よくわかってらっしゃる。東郷自身、ホレイショ・ネルソンには私淑している。
1905年5月27日、日本海海戦で旗艦三笠が掲げたあの有名なZ旗、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ」は、東郷ではなく作戦担当参謀の秋山真之の文案とされているが、その内容は日本海海戦の100年前の1805年10月21日、トラファルガーの海戦でネルソンが旗艦ヴィクトリーに掲げた信号旗、”England expects that every man will do his duty” (英国ハ各員己ガ義務ヲ果サンコトヲ期待ス)を彷彿とさせるものがある。
ササノさんは続ける。
「トーゴーはかつて英国に留学していました。彼はここペンブロークにも来たのですよ。ある密命を帯びて。それはご存じでしたか?」
初耳だった。いや、東郷平八郎が若き海軍士官だったとき、海軍知識や技術習得のために英国に留学したことは、有名な話なので知っている。ただ、彼が過ごしたのは英国海軍の本拠地、イングランドのポーツマスであり、ここウェールズのペンブロークにも来たことがあるというのは正直、知らなかった。
もっとも東郷の留学期間は足掛け8年に及ぶ長いものだったので、その間にペンブロークに来ていても別段おかしくはない。そして事実、彼はペンブロークに来ていた。それは東郷が留学を終え帰国する直前のことであり、彼は日本海軍が英国に発注しペンブロークで建造していた軍艦に乗って日本に戻ったのだった。
これに関しては私がウェールズから帰って調べたことだが。
けれども、東郷への密命って何だ?
桜井俊彰(さくらいとしあき)
1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。