シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く<2>~【新連載 エッセイ】
長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰さんは、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへ、ついに旅立つ時を迎えます。
旅行会社のツアーなどない『旅』。桜井さんがウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」の連載が始まりました。
若いときには気づかない発見や感動…。シニア世代だからこそ得られる愉しみと教養を。
さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!
【前回までのあらすじ】
ずっと行きたいと願っていたウェールズへの旅。妻からの後押しを受け、今こそが旅立ちへ絶好の機会と旅支度を調え、準備は完了。いよいよ出発の時を迎えた…。
(毎週、火・木・土に掲載予定です)
✳︎ ✳︎ ✳︎
Ⅱ:それは、最高の入国審査から始まった<1>
●足元が寒い機内
<2017/4/9 成田→アムステルダム→カーディフ>
2017年4月9日(日)、午前10時30分発の成田発アムステルダムスキポール空港行きKL0802便に私は乗っている。機体はボーイング777-300。座席は3席―4席―3席の列。
大きい飛行機であり、とても快適だ。ただ、足元が少し寒い。外国のエアラインは機内が寒いことがしばしばあるという。欧米人は日本人より暑がりの人が多く、機内の温度も彼らの適温に合わせることがよくあると聞いたことがある。私は毛布を腰から足元までかぶせる。
目の前の画面がすごい。前の座席の背面にディスプレイがあって、ここをタッチすると照明や音楽、映画、航路のナビゲーション、CAコールなど全部できる。以前の、海外旅行でジャンボジェットが主役だった頃とは航空機のハイテク化、IT化のスピードが違う。隔世の感がある。
約12時間のフライトでスキポール空港着。
到着前にディスプレイでカーディフ行き乗継便KL1063便の搭乗ゲートが確認でき、とても助かる。スキポールは実にいい空港だと思った。乗り継ぎ客にとっては案内が親切であり、階を移動することなく、同じフロアで動ける有り難さがいい。広いけれどもわかりやすい。トランジット時間が1時間10分くらいしかなかったが、問題なくスムースに動けた。ただし、セキュリティチェックは厳しい。
●カーディフ行きの飛行機で隣席のおばちゃんと
カーディフ空港行きの搭乗ゲートにきて一安心する。私はここでペットボトルの水を買う。「ポンドでいいか」と聞いたらOKとの返事。ただしおつりはユーローできた。
16時25分発カーディフ行きKL1063便は沖止めなのでバスで飛行機に向かう。
飛行機は小さな機材であり、シティホッパー(cityhopper)という愛称がついている。町から街へと飛ぶバッタ便ということか。座席は3席―3席の列。
私は隣の席のウェールズ人のおばちゃんと仲良くなる。
おばちゃんはカーディフの郊外に住んでいるという。いまはみんなインターネットで航空券とか搭乗券が手に入り、しかも感熱紙のスーパーのレシートみたいに薄っぺらである、昔のクラシックな搭乗券が懐かしいと言ったら、おばちゃん、「ほら、あたし持ってるよ」と、嬉しそうに昔風の硬い紙のアリタリア航空の搭乗券を見せてくれた。思わず二人ともにっこりする。
機内が熱く、汗をかいてハンカチでしきりに拭っていたら、おばちゃんが天井のエアコン送風口をひねって風を送ってくれた。
「ありがとう。汗っかきなもんで。みんな私の汗を見て驚くんですよ」
「汗をかく人は健康なの」
おばちゃん、嬉しいことを言ってくれる。
「ウェールズは、どこへ行くの?」
おばちゃんに尋ねられたので私は答える。
「セント・デイヴィッズへ」
ほっ、とおばちゃん、驚き、感心した様子だ。ありきたりの場所に行くという私の返事ではなかったからだろう。
「実は私、セント・デイヴィッズにゆかりの深い聖職者ジェラルド・オブ・ウェールズの本を日本で出しているんです」
さらに驚いたおばちゃんの顔があった。
私は、日本にはたくさんのブリテンの本が日本語で日本人読者のために出ているが、その99.9%はイングランドに関するもので、ウェールズのことを記した本はほとんどといっていいくらい出ていない、私の本はウェールズの歴史について書かれた、一般日本人読者向けの数少ないものだといったら、おばちゃん、ものすごく感激していた。
●カーディフ空港で、女性入国審査官と楽しい会話
飛行機は1時間20分ほどのフライトでカーディフ空港に着いた。
時刻表には、スキポール発16時25分、カーディフ着16時45分とあり、これを見るとフライト時間はたった20分しかないが、実際は両市の時差が1時間あり、フライトタイムはゆえに1時間20分というわけである。
カーディフ空港の入国審査ブースに来た。審査を受ける外国人はほとんどいなく、私が最後の審査となった。
女性審査官に航空券やら書類を見せる。旅の目的は? 泊まるホテルは? とか聞かれた後、「ウェールズはどこに行くの?」ときたので、おばちゃんに答えたように、「まず、セント・デイヴィッズへ」と返事する。
すると女性審査官、おばちゃんと同じようにちょっと驚いたような、不思議そうな様子である。
”Why St. Davids?”(なんで、セント・デイヴィッズなの?)
”Well, there is a long story. Would you like to listen it from the beginning? ”(まあ、長い話なんですが、始めから聞きたいですか?)
”Yes.”
よし。私はおもむろに語りだす。
実は以前ロンドンに留学していたこと。その時に論文のテーマにしたのが、ウェールズの大聖堂セント・デイヴィッズにゆかりの深いジェラルド・オブ・ウェールズだったこと、以来ジェラルドの人生にはまり込み、日本に戻ってからジェラルドの本を出したこと。それは一般の日本人読者向けに日本語で書かれた数少ない、もしかしたら最初のウェールズ史関係の本であること。そして、ロンドン留学以来ジェラルドの大聖堂セント・デイヴィッズを訪れることは長年の私の夢だったことを話した。
女性審査官はずっと私の話を黙って聞いている。
私はさらに続ける。
4年前の2013年、ウェールズのラグビーナショナルチーム『レッド・ドラゴンズ』が来日し、日本代表チームとテストマッチを二試合行ったこと。その際の成績は一勝一敗だったこと。レッド・ドラゴンズの歓迎パーティが東京永田町の英国大使館で開催され、在日ウェールズ人の団体に属している私も招待されたこと。
そのパーティにラグビーチームと共に来日したウェールズ政府のエドウィナ・ハート経済・科学・運輸担当女性大臣もいて、私はエドウィナ大臣に、そのジェラルドの自著を献呈したこと。
そしてその際の、彼女が私の本を持って記念に私と一緒に写っている写真と、レッド・ドラゴンズがパーティで楽しんでいる写真をスマホで見せたところ、女性審査官はびっくり、大興奮した。
私たち二人は、そのカーディフ空港の入国審査ブースで、なんと15分以上、リラックスして話し合っていた。一体、入国審査のブースで、審査官と旅行者がわいわい賑やかに時間も忘れて話し合うことがあるのだろうか。
たぶん、彼女も楽しく、かつ嬉しかったのだ。こういう妙な背景を持つ日本人がウェールズに来たことが。
女性審査官との和気あいあいの話を終え、ようやく審査ブースを通り、荷物引き取り場に行くと、他の旅行客の荷物、スーツケースはとっくにみんな引き取られた後で、私の小さなスーツケースだけが回転台からその場に降ろされ、ぽつんとあった。
それはまるで、「おとうちゃん、なかなか来ないなあ、どこにいってるのかなあ」とでも言っているようだった。私のスーツケースの横で持ち主が現れるのを待っていたその場の女性係員が、私が来るのを見て、やっと持ち主が来たとほっとした表情を浮かべていたのが印象的だった。
【このシリーズのバックナンバー】
桜井俊彰(さくらいとしあき)
1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。