日野原医師「前後期でお年寄りを分けるのは失礼」と怒った
7月18日に逝去した聖路加国際病院(東京都中央区)の名誉院長だった日野原重明さん(享年105)は、「終末期医療」に高い関心を持っていた。1993年には日本で初めての完全独立型ホスピスを設立。また現在、聖路加国際病院の10階には、日野原さんの肝入りでつくられた末期がん患者のための「緩和ケア科」がある。
タフな姿は「日本人の高齢者観」を変えた
そんな日野原さんは、2001年から地域貢献や趣味などに挑戦する70才以上の高齢者を表彰する「ニューエルダーシチズン大賞」の選考委員を務めた。共に選考委員を務めた作家の落合恵子さんが振り返る。
「日野原さんには、医療という専門分野を超える大きな穏やかさがあり、誰とでも平易な言葉で会話をしていました。100才を超えてからも“今米国から戻りました”と元気な姿で選考会に現れた時は、なんてタフなかたかと一同驚きましたね。平和・非戦についても積極的にご活動されていたことも印象深いです」
実際、多くの人が日野原さんの「タフさ」に驚く。スケジュール帳が常に3年先まで埋まっていた日野原さんは、カバンに必ず小さな画板を入れておき、移動中の車内や喫茶店では画板を首からぶら下げて原稿を書いた。帰宅後は着替えより先に仕事を始めた。いくつになっても止まることなく前に進む姿は、「日本人の高齢者観」を変えた。
「これまでの日本は、山型のカーブで曲線を描いて、その下降線を『老い』としてきました。でも日野原さんは、気力が衰えずに新しいチャレンジを続けることで、“老いは下降線”というイメージを根底から覆した。年を重ねることで何かを諦める必要はないと日野原さんが示したので、多くの高齢者とその予備軍が“よし、頑張るぞ”という気持ちになりました」(落合さん)
高齢者を前期・後期で分けるなんて失礼千万
日野原さんは2000年に「新老人の会」を立ち上げている。生前の日野原さんを何度も取材したジャーナリストの大西康之さんが言う。
「『後期高齢者』という呼び名に対して“前期と後期でお年寄りを分けるなんて失礼千万”と怒っていた日野原さんは、75才以上を『新老人』と呼んでこの会を作りました。同会は75才以上が正規の会員で、74才まではジュニア会員。日野原さんからすれば、75才なんて子供同然なんです(笑い)」
同会の会員は全国に約8000人おり、各地域でフォーラムを開催したり、サークル活動を行う。
日野原さんは2020年の東京五輪で新老人の会のイベントを開くことを心待ちにしていたという。同会徳島支部代表で内科医の板東浩さんは、先頭に立つ日野原さんから大きな力をもらったと言う。
「先生は100才でフェイスブックを始めて、104才で俳句の本を出しました。いくつになっても新しいことを始められることを教えられた会員たちは、“自分にもできるはず”と自信を持ちました」
誰かを大事にするには、自分を大事にしなければいけない
私たちが日野原さんから学ぶべき最大の教訓は、「誰かのために生きること」の大切さだと話すのは約20年前から親交がある諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さん(69才)だ。
「彼はいつも人のことを考えて生きてきました。逆に言えばそういう生き方が、日野原さんを長く元気でいさせた。彼はよく、“誰かを大事にするためには、自分を大事にしないといけない”と話していました。誰かのために生きようとすることが、結局は自分の健康を守ることになるんです」
※女性セブン2017年8月17日号
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