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「母は、お昼にうどんでも食べに行くみたいな調子でホスピス見学に行った」末期がんの母の背中にコラムニストの息子が教えられたこと|「147日目に死んだ母――がん告知から自宅で看取るまでの幸せな日々」Vol.4

 母・昭子さん(享年83)の気持ちに寄り添い、最期のときまで見守り続けたコラムニストの石原壮一郎さんが綴る家族の記録。母の趣味だった新聞投稿をまとめた本作りをした石原さんは、制作の過程で、改めて母の人生を知り、さまざまな想いに触れることができたと語る。そして、積極的な治療を受けず、在宅で過ごすと決めた母の姿を通して、現在の介護サービス制度について感じたことを明かしてくれた。

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執筆/石原壮一郎

1963(昭和38)年三重県生まれ。コラムニスト。1993年『大人養成講座』(扶桑社)がデビュー作にしてベストセラーに。以来、「大人」をキーワードに理想のコミュニケーションのあり方を追求し続けている。『大人力検定』(文藝春秋)、『父親力検定』(岩崎書店)、『夫婦力検定』(実業之日本社)、『失礼な一言』(新潮新書)、『昭和人間のトリセツ』(日経プレミアシリーズ)、『大人のための“名言ケア”』(創元社)など著書は100冊以上。故郷を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める。

 * * *

母のやりたいことは「ツクシ採り」

「石原さん、何かやりたいことある?」

 退院してしばらく経った3月初め、ケアマネジャーのKさんが母に尋ねた。

「そやなあ、ツクシ採りに行きたいなあ」

「えっ、ツクシ採り! 私やったことない。連れてって!」

 山里に生まれ育った母は、毎年、春を迎えると待ちかねたようにツクシ採りに出かけた。どこそこでツクシが顔を出し始めたと話したり、採ってきたツクシをテーブルいっぱいに広げて、せっせとハカマを採ったりしているときの母は、本当に楽しそうだった。

 だが、大好きなツクシ採りができない時期もあった。19歳で山里から海辺に嫁いできたばかりの頃、いつものようにツクシを採ってきたところ、姑に「みっともない!」と叱られたという。海辺の町には、ツクシで春を感じる習慣はなかったようだ。

 それからは春が来ても、伸びていくツクシを横目で見るしかなかった。母にとっては、どんなに寂しかったことか。またツクシ採りを再開したのは、姑が旅立ち、子どもも成長して気持ちに余裕ができた40代になってからである。

 当時の新聞への投稿によると、二十数年ぶりに採ったツクシを東京に住む友人に送ったところ、泣きながら「私は幸せ。すばらしいふるさとと、それを届けてくれる友があるから……」と感激してくれたとある。母も、さぞ嬉しかったに違いない。

 母にとってツクシ採りは、単なる趣味ではなかった。幼い頃を思い出す大切な時間であり、アイデンティティの確認でもあっただろう。ケアマネジャーさんに「やりたいことは?」と尋ねられて、迷わず「ツクシ採り」と答えたのは、なんとも母らしい。そして、今年が「最後のツクシ採り」になることは、周囲も、たぶん本人もわかっていた。

 念願のツクシ採りが実現したのは、2週間ほど経って土手のツクシが十分に成長してきた頃の土曜日である。メンバーは、母とケアマネジャーのKさん、Kさんの幼い娘さん、そして弟の4人。私は東京で予定があって参加できなかったが、数日後に実家を訪れたときに、いつもの春の味を楽しんだ。

 大腸に病を抱えている母は、自分ではツクシを口にすることはできない。しかし、近所に配るためにお浸しをパックに小分けしている母は、「また今年も、食べてもらえるわ」と満足そうだった。弟と初めて一緒にツクシ採りができたことも、「そんなことがあるとはなあ」と喜んでいた。

プライベートの休みにツクシ採りに付き合ってっくれたケアマネさん

 Kさんは、その日は仕事ではなくプライベートである。貴重な休日をつぶして、娘さんといっしょに母に付き合ってくれた。そのことを聞いたときは、手を合わせたいぐらいありがたかった。利用者に「人生の終盤を悔いなく過ごしてもらいたい」と心から思ってくれる人に介護の司令塔をしてもらえて、母は幸せものである。

 Kさんに限らず、訪問診療のお医者さん、看護師さん、ヘルパーさん、管理栄養士さんなどなど、退院後の母はたくさんの医療&介護従事者の方々にお世話になった。誰もが母に笑顔で接しつつ、それぞれの仕事をきちんとこなして帰っていく。どの顔にも、プロとしての誇りが感じられた。

 そう思えるクリニックや事業所に巡り合えたのは、もしかしたら運がよかったのかもしれない。ただ、身内が介護を受けてみて、随所で「看護師さんやヘルパーさんは、そこまでやってくれるのか」「そんなありがたい制度があるのか」と思うことの連続だった。物書きらしくない能天気な感想で恐縮である。

介護サービスを受ける母の背中が教えてくれたこと

 メディアで流れてくるのは「今の日本の介護制度にはこういう問題点がある」といったマイナスの情報ばかりだ。きっと課題はあるにしても、物事に完璧はない。今まさに力を借りている状況で制度に文句を言ったり、関わってくれる人の至らない点を探して嘆いたりしところで不毛である。

 きれいごとではなく本気でそう思えたのは、介護を受ける“主役”である母のスタンスが影響しているかもしれない。子どもたちがお膳立てした介護体制をすんなり受け入れ、来てくれるスタッフひとりひとりと積極的にコミュニケーションを取っていた。ケアマネジャーのKさんとも、初対面のときから「私の旧姓と同じや」という話を入口に、北国の出身であることや保育園児の娘さんがいるといった話をしていたらしい。

「世話をしてくれる人も世話をされる側も、お互いに人間同士。仲良く付き合ったほうが楽しいし、相手に敬意を払って感謝を伝えれば、向こうも応えてくれる」

 介護サービスを受ける母の背中は、そう語り続けていた。それは、ベッドから起き上がれなくなってからも同じである。人は慣れない状況だと、敵意や警戒心をうっかり抱いてしまいがちだ。母には「そんなんつまらん」と言われそうである。

「母はどんな気持ちでホスピスを見学したのだろう」

 4月に入ってすぐに、ホスピスの「下見」に行った。ホスピスに入るには、あらかじめ家族や本人が面談を受ける必要がある。すでに2月の入院中に、母の「いよいよとなったらホスピスに行く」という決心を聞いて、弟夫婦が隣りの市にある別のホスピスを訪れ、必要になったらすぐに入れるように手続きをしてくれていた。

 ただ、そっちのホスピスは実家からちょっと離れている。弟たちが市内にある“第一希望”のホスピスに面談の予約を入れようとしたところ、取れたのは5月の連休明けだった。訪問診療の主治医にその旨を伝えたところ「うーん、もっと早いほうがいいですね」と言って、ホスピスに連絡を入れてくれた。その結果、ほぼ1か月前倒しで面談してもらえることになった。急いでもらえたのも、それはそれで複雑である。

「母は行きたくないかな」と少し逡巡したものの、やっぱり入る本人が行ったほうがいいだろうと考えて、「母ちゃんも行こか」と声をかけた。母は「そやな」と、お昼にうどんでも食べに行くような調子で答えた。やっぱり強い人である。

 母と自分たち夫婦の3人でホスピスを訪れた。施設をひと通り見せてもらい、医師や看護師の説明を受ける。「家族の出入りは自由だし、泊まることもできる」「痛みは抑えるが、積極的な治療はしない」「一度入って、また出ていく人もいる」などなど。

 この段階では「そのときが来たら入る」という前提だった。けっして悪いところではなさそうだ。少しホッとはしたが、実際に施設を目にして具体的な説明を受けたことで、母の最期の場面が思い浮かんでくる。それはちょっとつらかった。いや、こっちが沈んでいる場合ではない。母自身はどんな気持ちで説明を聞いていたのだろう。

 結果的には、ホスピスにお世話になることはなかった。母が「ここで最期を迎えるのは嫌だ」と感じたのか、そうではなく「ここもいいけど、やっぱり家がいい」と考えたのか、それはわからない。いずれにせよ、一緒に見に行けてよかったと思っている。

つづく。

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