《自宅マンション火災から1か月》林家ペー・パー子夫妻の驚くべき体力、肌寒い雨のステージにも立つ 67歳ライターも「負けてる」と愕然
林家ペー・パー子夫妻の自宅マンション火災から1か月。住む場所を失って意気消沈している2人だが、その体力は衰えてないという。今、2人を支えている元マネジャーのオバ記者ことライターの野原広子氏(67歳)がその近況を綴る。
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「皆さんにご迷惑おかけしちゃってて」
「これは他人事じゃない」と思った人が多かったんだね。林家ペー、パー子さん宅の火災から1か月経った今、落ち着くどころかテレビから出演依頼が引きも切らないんだわ。だけどぺーさんは「なんでうちごときに」と戸惑いを隠さない。「皆さんにご迷惑をおかけしちゃってて、出る幕ないじゃない」と顔を曇らせる。で、とりあえずテレビ局側の意向を話すと、「あ、そう。じゃ」となる。
その口ぶりから、テレビ出演に積極的でないのはミエミエだ。でも長くテレビのバラエティー番組で生きてきたゆえ、「断ったら悪い」という気持ちが働くんだね。その微妙な気持ちを理解するのに2週間かかったんだわ。
で、私だ。火事の火元になった人のフォローをするのは初めてで、それが25年前に3年間、マネジャーをした芸能人で、7月に再会したばかり。8月半ばに故郷、茨城で行われた私の講演会に飛び入り参加してくれて大拍手を受けたと思ったらこんなことになって、自分の立ち位置がわからないまま、目先のことに追われて毎日が過ぎていく。
驚いたペー・パー子夫妻の体力
わからないと言えば目の前にいるぺー、パー子さんだ。見た目は25年前とさほど変わらない。これだけでもすごいことだけど、もっと驚くのはふたりの体力よ。先日、前々から決まっていたマンモス団地でトークショーにパー子さんと出演したときのこと。ぺーさんは火事の翌々日から都内の寄席に出演していたけれど、パー子さんが表に出るのは初めてだ。あいにく肌寒い雨の日で大丈夫だろうか。
小一時間、屋外の舞台を降りてきたパー子さんの手を握ったら氷のように、と言ったら大袈裟だけど、山奥の清流くらいに冷たい。パー子さんも「寒かったねー」と顔を曇らせだけど、すぐに控え室に入って何事もなかったようにぺーさんの身の回りの世話をし始めたんだわ。
今回のことで「年齢不詳」だったふたりが、ぺーさん83才、パー子さん77才という実年齢が明らかになったけど、実は私、25年前からふたりの年齢を知らなかったのよね。ふたりが「年齢不詳」を貫くなら、あ、そうかと思ったの。てか、私自身、人の年齢に興味がないんだわ。知人には「あれ、年下だったよね?」「何言ってんの! 3つ上だって何回言えば覚えるのよ」と怒られる。それでも3つ、4つの違いがなんなのさと、内心思っているから、覚えられるわけがないんだよ。
肌寒いのにピンクTシャツ1枚のペーさん
それにしてもよ。私はふたりよりかなり年下のはずなのに、「体力、負けてる!」とがく然とすることがあったの。
あれは10日ほど前のこと。ぺーさんとこれからのことをふたりだけで話そうと、上野公園の噴水の前のベンチに座ったのよ。隣のベンチは離れているからここだとひと目を気にせずに話ができる。ぺーさんもこのロケーションが気に入ってくれて、「おお、さすがジャーナリスト!」とほめてくれた。
が、話が佳境に入ったところで私の方が落ち着かなくなったの。日差しはあるけど風が強い日で、私は長袖のTシャツに薄いポリエステルの羽織ものを着ていたけど寒い。一方、ぺーさんはピンクの半袖Tシャツ1枚なの。「寒くないですか?」と聞くと「なんで? 寒くないわよ」と不思議そうに私を見る。
周囲を見渡すと、何人かTシャツ1枚の人がいるにはいたけど、全員若い人よ。他の人はみな、長袖シャツか中にはジャケットを羽織っている人もいる。私は風が吹くと両腕を抱えてさすり出した。それでもぺーさんは平気の平左。「伊達の薄着っていうじゃない」って、いやいやいや、ダメでしょ。と腕を触ったらほら、やっぱり冷たい。
そういえば高齢者は暑い寒いに鈍感になるという。「羽織もの、持ってないんですか?」と聞いたら、やっとピンクのリュックから薄い薄いピンクのシャツを取り出して着てくれた。さんざん気をもんだ私は、ぺーさん、明日か明後日、絶対に高熱を出すに違いないねと思ったね。
お世話する側とお世話される側の体力は順当ではない
ところがよ。2日後に会ったけど風邪をひいた様子はない。さらにその2日後が例の雨の日のイベントよ。「ぺーさん、寒くないんですか?」とあらためて聞くと「あはは、ドッキリの撮影で慣れているから」だって。
でね。何が言いたいかというと、お世話する側とお世話される側は必ずしも体力が順当ではないということよ。たとえば私が実家に帰って布団を並べて4か月介護した母親なんか、「あともって2週間」という医師の見立てだったから引き受けたのよ。けど、なになに、ちょっと手を貸したらみるみる元気になって2か月もたたないうちに歩き出したんだから。で、介護した私は母親を見送った半年後には、卵巣の腫瘍で入院、手術。
つまり、介護する人、される人の年齢の差はひとつの目安にもならないってことを、私は身をもって知って、さらに今また……。ほんと、油断できないって話でした。