倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.83「10年前に夫と見た山梨・清里の風景」
漫画家の倉田真由美さんにとって、亡き夫の叶井俊太郎さん(享年56)と娘さんと出かけた家族旅行の思い出は色濃い。夫を失った今、かつて訪れた場所に行ってみたら――。山梨・清里に旅をしたときのエピソード。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
10年ぶりに山梨・清里へ
妹と、1泊2日の国内旅で山梨の清里にいってきました。
場所選びの時、他にもいろいろアイデアを出し合いました。神奈川の湯河原温泉、栃木の鬼怒川温泉や那須高原、群馬の伊香保温泉や四万温泉など、行きたいところはたくさんあります。私と妹は福岡出身なので、関西より東側には行ったことのない観光地が多いのです。
清里に決まったのは、妹が80年代にメディアで見て憧れていたからが一つの理由ですが、私のほうにも大きな理由がありました。10年ほど前に家族旅行をした場所であり、その時が最初で最後の訪問になっている場所だからです。
清里に行ったのは、夫と一緒だったあの時一回だけ。だから、また見てみたい気持ちがありました。夫としか見たことがない風景、ただ1日だけ過ごした街を、夫がいない今見たらどう感じるのか知りたかったのです。
特急あずさに乗って甲府駅まで行き、そこからレンタカーを借りて移動。私は運転できないので妹の運転で、宿のある清里へ向かいました。途中道の駅へ寄ったり、有名な滝を見たりしながらドライブを楽しみ、17時頃宿に着いてチェックインをすませてから車を置いて清里駅の周りを散策しに行きました。
見覚えのあるものが!
80年代、タレントショップなどで大いに賑わった清里駅の周囲は、今はかなり様相が変わっています。
「洒落た建物が多いね」
「静かだね。平日だからってのもあるだろうけど」
妹と話しながら、駅の目の前の通りを歩きました。閉店したままの店舗も多く、人通りも多くありません。でも意匠の凝った建物が当時の喧騒の余韻を残したまま静かに佇む様子は、異世界の風景のようで幻想的でもありました。
しばらくうろうろしていると、見覚えのあるものが目に飛び込んできました。
「あ、あれ!」
それは建物ではなく、木で作られた鹿でした。と同時に、夫と来た時の清里の風景が目の前に広がりました。今とは季節が違い、真冬で雪が積もっていました。鹿の置物が置かれた広場の地面には滅多に見ない霜柱が立っていて、娘がサクサクとそれを踏んで遊んでいたのを思い出しました。
夫がいた風景。夫と来た場所。ぐわーっと懐かしさが湧き上がってきて、必死で涙を堪えました。楽しみに来ているのに、泣いてしまって妹に余計な気を遣わせたくなかったから。
「この鹿、前に来た時もあったよ」
妹にはこれだけ伝えて、写真を撮りました。
夫としか行っていない場所はまだいくつもあります。それぞれいつか、再訪したいと思います。