兄がボケました~認知症と介護と老後と「第32回 兄はニコニコでした」
ライターのツガエマナミコさんの兄は、50代で若年性認知症を発症。一緒に暮らすマナミコさんが8年にわたり在宅でケアをしていましたが、昨年11月に特別養護老人ホームに入所しました。症状の進んだ兄の排泄トラブルに悩まされた日々からようやく解放されたマナミコさんが近況を綴ります。
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毎朝、服選びに迷ってしまいます
これは認知症の前触れでございましょうか?
服選びにやけに時間がかかるようになりました。朝、目が覚めてから長いと小一時間、迷いに迷ってなかなか寝室から出られないのでございます。新聞を取りに行くだけ、ゴミを出しに行くだけの朝の時間に迷うことはないのに
「午後は暑くなりそうだからこれじゃだめだ」とか「これ着ちゃうと明日困るかも…」などと考えてしまうのでございます。なんという時間の無駄遣い。
かの実業家、故スティーブ・ジョブズさまは、そんな無駄を一切省くために毎日イッセイミヤケの黒タートルネックとリーバイスのGパンとニューバランスのスニーカーで通していたというのは有名なお話。偉業を成し遂げる方は、そうやって時間を捻出して成功を収めるのでございます。
わたくしは、偉業を目指しているわけではございませんが、せっかく早起きしても、その時間を有効活用できないことに腹が立つのでございます。
なかなか決められない原因のひとつは、以前とは明らかに変わってしまった体形があげられるかと思います。着たいと思うお洋服は、実際着るとお見苦しい感じになってしまうのに、せっかく介護から解放されてオシャレができるようになったのだからという欲深さで変にあがいてしまう。気づけば何が似合っているのか、似合っていないのかもよくわからなくなって「ああ誰かに決めてほしい」と匙を投げたくなってくるのでございます。
そんなとき、兄が何かにつけて「マナミコに任せるよ」と言っていたのを思い出しました。認知症になると自分で選んだり、決めたりすることが苦手になると、わたくしは兄を見て確信しております。なんでもかんでも認知症の気配と捉えるのもどうかと思いますが、認知症サラブレッドのツガエとしてはつい結び付けがち。「我が脳よ、もう少し頑張ってくれ~」と祈るほかございません。
一転、兄の面会に行くときの服選びには迷いがございません。スティーブ・ジョブズさま同様、だいたいGパンとTシャツと決めております。動きやすく、且つ多少汚れても許せる恰好でオシャレ度ゼロ。先週と靴下まで全く同じな日もありますが、誰も気づかないと思いますので、大方そのスタイルでやらせてもらっております。
さて、先週の兄は激しいツンデレだったので、今週はどんな風になっているかと心配しておりましたが、意外にも冒頭からニコニコでございました。先週のようにコロコロとご機嫌が変わることもなく、ついに一度も怖い顔になることはございませんでした。歌を歌えば口パクしてくれますし、ときに「よっ、出ました!」と景気づけてくれたりして、心の底から「嬉しい!ありがとう‼」という気持ちになりました。帰り際は無言でやさしく見つめられてしまって後ろ髪を引かれたくらいでございます。
施設を出るわたくしの足取りは久々に軽く、バスは目の前で行ってしまったけれど心穏やかに次(20分後)を待つことができました。
「まだ毎週行ってるの?」と友人には感心されます。でも辛かった在宅介護に比べたら100万分の1の労力に過ぎません。あの辛い数年がなかったら施設入居のありがたみをこんなに感じることはなかったことでございましょう。辛い時期を乗り越えると幸せは増えるものでございます。「辛」と「幸」がよく似ていることと関係があるのでしょうか?
そろそろ入居から11か月が経ちます。わたくしがその間どれだけ幸せで、だらしなくなったかはこの体形が物語っております。そういえば2か月前、久々に叔母にあったとき「とっても元気そうでよかったわ」と言ってもらったのですが、それはわたくしのこの丸い顔を見て出たお言葉だと今頃になって気づきました。確かに元気に太っております。でも叔母さま、痩せても心配しないでください。マナミコはこの夏、怠惰だった一年分の贅肉を落とすことを目標にしております!
とはいえ、行くぞと決めたプールにも未だ行けておらず「有言不実行」になっていることを恥じております。夜9時以降は固形物を食べないという誓いも「アイスクリームは飲み物」とカウントしてしまうありさまで我ながら情けない。そろそろ本気を出して取り組まないと体形よりも生活習慣病が恐ろしい。来週こそはプールへ行ってまいります!
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性62才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現66才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ