田嶋陽子さん(83才)2週間で決めたシニアハウス 「思い描いていた終の棲家にピタッと合ったから、迷いはありませんでした」
平均寿命の延びに伴い、人生において晩年が大きな割合を占めるようになったいま、居心地のいい「終の住処」をいかに探すかは万人に共通する至上命題となった。慣れ親しんだ環境で過ごすことを望む人は多く、厚生労働省の調査によれば「最期を迎えたい場所」として、もっとも多くの人が「自宅」と回答している。しかしそんな「わが家こそが最良の終の住処である」という風潮を尻目に、施設で新しい生活を始めることを選んだ人たちがいる。英文学・女性学研究者の田嶋陽子さん(83才)もそのひとりだ。シニアハウスに「2週間で入居を決めた」という決断には、どんな背景があったのだろうか。ご本人に語っていただいた。
教えてくれた人
田嶋陽子さん/英文学・女性学研究者
1941年岡山県出身。執筆活動に加え『そこまで言って委員会NP』など、テレビ番組でもオピニオンリーダーとして活躍。シャンソンや書アートなど芸術分野にも活動の幅を広げる。
いまの暮らしは人生2度目の「寮生活」
「ここでの毎日は、女子大時代に経験した寮生活の“大人バージョン”。デジャビュ感があるのよね」
そう語るのは田嶋陽子さん(83才)。昨春、都内のシニアハウス(※)に入居した彼女は「判断は間違っていなかった」と断言する。
「ここにいれば、死に水は取ってもらえる。人に迷惑をかけずにすむのが安心。私は基本、他人とはお互いに自由な関係でいたいから、身近な人に『介護をしてほしい』と頼むガッツはない。自分の始末は自分でしたいっていうのが、根本的な考え方なの」(田嶋さん・以下同)
入居は82才の誕生日を迎えた頃。一緒に仕事をしたピアニストに「都内のシニアハウスからレッスンに通う90才の女性がいる」と聞いたことがきっかけだった。
「偶然にもそこは、津田塾大学の学長が99才で亡くなるまで暮らし、私も何度かお見舞いに行ったことのある施設だった。病院や駅まで無料のバスも出ているし、交通アクセスもいい。そうか、ここに入れば仕事もできるし、安心して死ねるんだ、と思って同じ施設に入居を決めたんです。同じ頃、雑誌で、女優の有馬稲子さんも別のシニアハウスから仕事に通っていると目にしたことも大きかった」
※シニアハウス……介護付き有料老人ホームやサ高住など、シニア世代を対象とした集合住宅やサポートを受けられる施設を指す。
ほぼ3日ごとに東京と軽井沢の二拠点生活
思い立ったが吉日。田嶋さんは事務所にしていた銀座のマンションを売却して、シニアハウスに拠点を移した。準備期間は2週間という“スピード入居”だった。同時に30年以上二拠点生活を続けてきた軽井沢でも山中の戸建てから暮らしやすい平地の平屋に住み替えた。「終活」を進めながら、ほぼ3日ごとに東京と軽井沢を行き来する。
「原稿を書いたりアート作品を作ったりするのは軽井沢で、テレビや歌などの仕事があるときは、シニアハウスに泊まって準備する。ピンピンコロリで逝くためには、最後まで自分の仕事を全うすることが大切だと思うから、体が動かなくなるまで行き来を続けます。
周囲からは即断即決したことを驚かれたけれど、私は普段からどう生きて、どう死ぬかを常に考えていたし、シニアハウスは描いてきた“終の住処”のイメージにピタッと合ったから、迷いはありませんでした。だいたい、これまで散々自由に生きてきたから、死ぬ場所を決めるのだって自分の気持ちの赴くまま自由でなくて、何が人生だと思っているんです」
程よい距離感でシニアハウス生活を楽しむ
自身が自由に生きるために、他人の自由も尊重する。シニアハウスの住人とは程よい距離感を保ち、一緒に食事をしたり外に出かけたりして積極的に交流しつつも部屋を訪れることはない。
「思い返せば、一つ屋根の下、大勢の人と暮らすのは大学時代の寮生活以来2度目の経験です。当時は距離感がわからず、同室になった親友と衝突したこともあったけれど、それからいろいろ経験を積んで自分を磨いてきたから、いまは楽しく気分よく生活できる。
周囲の入居者も同じで、人生の中で試行錯誤を重ねて80代や90代に到達した“老人になる資格”のある人ばかり。“大人の寮生活”は実りある豊かな時間が広がっています」
撮影/菅井淳子
※女性セブン2024年8月22日・29日号
https://josei7.com/
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