考察『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』2話|すべてをパワーに変えて突き進む七実(河合優実)が素晴らしい
昨年、ギャラクシー賞月間賞受賞など高い評価を受けた『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の地上波再放送が話題です(NHK 火曜よる10時〜)。「令和の新しいホームドラマ」の呼び声も高い本作を、ドラマに詳しいライター・近藤正高さんが2話を振り返ります。
「自分のやりたいこと」を見つけてくる七実
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(略称『かぞかぞ』)の第1話は、主人公の七実(河合優実)の母・ひとみ(坂井真紀)が大動脈解離で下半身不随となり絶望するも、数年後には車椅子で元気に疾走するまでに回復するというところで終わった。
続く第2話ではそこから再び、ひとみが入院中の頃まで戻って、当時高校生だった七実がある決意をするまでが描かれた。そこでは、ひとみが手術で一命を取り留めてからもしばらくのあいだは絶望の淵に立たされていたことがあきらかになる。
七実もまた、母が倒れてからというもの自分の人生に行き詰まりを覚えたらしい。学校帰りに病院へ見舞いに行った際には、ひとみから大学進学を勧められても「大学行ったらいいことあんの?」と訊き返し、「七実には自分のやりたいことを楽しんで、ええ人生を歩いてほしい」と言われると、思わずきつい言葉を口にしてしまった。これがひとみをさらに悲しませることになる。
このとき七実は、いったん病院を出たあとで、なぜかまた引き返したところ、ひとみが看護師を相手に、自分は子供たちを幸せにするということだけを思って生きてきたのに、それができなくなってしまったと号泣しながら嘆くのを耳にして、うろたえる(画面には七実の表情こそ写らなかったが、動作からあきらかに動揺しているのがうかがえた)。
これを機に七実は目覚め、ひとみの望むとおり「自分のやりたいこと」を見つけてくる。といってもそれは、ニューヨークへ渡って大道芸人になるという突飛なものだった。そもそも、そう思い立ったのは、路上でたまたまニューヨークから来たという大道芸人がパントマイムを演じるのを見たからというのが、安易といえば安易、無謀といえば無謀である。
しかし、七実のやる気だけは本物だった。暇そうにしていた担任の英語教師・田口(演じるのは漫才コンビ・東京ダイナマイトとして今春まで活動していた松田大輔)に、クラスメイトの“マルチ”こと環(福地桃子)と一緒に特別授業を頼み込み、家でも与えられた課題をひたすらにこなしていく。おかげで高校3年の秋が終わる頃には、環と英語で小粋な会話をするレベルにまで達していた。
ちなみに原作者の岸田奈美は、大学受験のため高校3年になって慌てて英語の個人レッスンを受けたが、そのとき教えてくれたのは高校の先生ではなく、塾講師の経験のある近所の整骨院の院長だったという。ただ、ドラマに出てきた田口先生の教え(膨大な英語の例文をひたすら暗記する)は、原作である岸田の著書(小社刊)を読むと、あきらかにこの院長の指導法がベースになっている。
話をまたドラマに戻すと、七実がやりたいことを見つけたのにひとみも励まされ、彼女がニューヨークに出発する前に回復して驚かせてやりたいと、リハビリに懸命に取り組み始め、ついには一時外出許可が出るまでになった。
七実たちにさりげなくかかわってくる世間の人々
このドラマがいいなと思うのは、普通のドラマではモブ(群衆)という形でしか描かれないような世間の人々が、七実たちにさりげなくかかわってくることだ。第2話でいえば、七実が弟の草太(吉田葵)とともにひとみの見舞いに出かける場面では、ダウン症で知的障害を持つ草太に駅員さんが券売機で切符を買うのを手伝ってくれていた。また、七実がひとみにニューヨークに行くと宣言したときには、同じ病室の患者さんたちから小さな拍手が起こった。
こうした世間一般の人たちの描き方は、このドラマで監督・脚本を担当する大九(おおく)明子の作品全般に共通した特徴らしい。たとえば、映画『勝手にふるえてろ』(2017年)では、松岡茉優演じる主人公のOLが、街ですれ違う人たちに話しかけてはおしゃべりに花を咲かせたり、恋人ができたときには街中から祝福されたりしていた。
もっとも、『勝手にふるえてろ』のそうした描写は、じつは主人公の彼女の妄想にすぎなかったことが、あとになってあきらかにされる。現実の彼女には周囲の人たちに話しかける勇気などなく、周囲の人たちも彼女にみじんも関心は抱いていなかったのだ。
『かぞかぞ』の七実もまた、第2話の後半で、世間の冷たさ、無関心ぶりを否応なしに思い知らされることになる。
それは先に書いたとおり、ひとみのリハビリが順調なことから一時外出許可が出て、七実に車椅子を押してもらいながら街へ出たときのこと。お目当てのカフェは店の前に大きな段差があって、車椅子で店内に入るのは難しそうだとわかり、あきらめざるをえなかった。繁華街を歩いていても、意外と段差や急な坂が多いし、混雑している場所では通行人も道をなかなか空けてくれず、七実はいちいち「ごめんなさい。通ります」と断りながら人波をかき分けていくしかなかった。
ようやく入ったカフェで食事にありついたときには、母と娘はすっかり疲弊していた。ひとみは自分のせいで七実に迷惑をかけていると泣きながら詫びる。七実も、悲しいやら悔しいやらで、元はといえばひとみが大動脈解離になったとき、自分が手術に承諾したばかりに、いま彼女に死ぬより苦しい思いをさせていると自責の念に駆られ、「死にたいなら死んでもええ。私も一緒に死ぬ」とまで口にする。だが、続けてこんな言葉が出るところが、やはり七実らしい。
「でも、ちょっと時間ちょうだい」
「ママが生きたいって思えるようにしたいねん、私!」
そう娘から言われ、ようやくひとみの顔にも笑みが戻った。
果たして4ヵ月後、ひとみが一時帰宅すると、七実はニューヨークではなく地元の大学を受験したことを打ち明け、家族そろって――草太と祖母の芳子(美保純)、ときどき幻影のように現われる亡き父・耕助(錦戸亮)も含めて――合格をネットで確認する。進学先は人間福祉学部。そこで福祉とビジネスを学んで、あのカフェの前にある段差をぶっつぶしてやる! と七実は息巻くのだった。
喜びも悲しみもすべてをパワーに変えて前へと突き進んでいく七実がますます頼もしい。大学に入った彼女に、一体どんな出来事が待ち受けているのだろうか。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。