「見せかけの友人なんていりません」下重暁子さんが提案する新時代の生き方
「友達は財産」「人と人とのつながりを大切に」「みんな仲よく」──私たちは小さな頃からこんな言葉を耳にしてきた。しかし、今やそれは“呪い”となって私たちを縛りつけているようだ。
人と人とのつながりが希薄になった、といわれる現代社会で、より強くなった“つながり信仰”と、幅広い世代に浸透したSNSによって、“人とのつながり”から抜け出せなくなってしまっている人への、極上メッセージ。
→波乱万丈を生きる先輩から~50代のあなたへ~【下重暁子さんインタビュー】
つながりから離れる時間を恐れない
知人がどこに旅行したか、誰と食事したか、知りたくもないのに知ってしまう。学生時代の友人の夫のこと、子供のことなどプライベートも耳に入ってしまう。友人たちが楽しく集まっていると、自分はその輪からはみ出していないか気になる――。
離れて暮らす家族や友人の動向がすぐわかるほど“つながっていること”に、不自由を覚え、生きづらさを感じ、解放されたいと思う人が増えているのではないか。
2018年、最も売れた(※「2018年間ベストセラー/新書ノンフィクション部門」日販・トーハン調べ)新書『極上の孤独』(幻冬舎)は、まさにそうした多くの人の深層心理を代弁している。
著者・下重暁子さんが、今の時代だからこその「孤独の大切さ」「つながらない生き方」を語ってくれた。
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──友達との大切さや、人とのつながりが重要視される一方、イジメやママ友とのトラブル、職場の人間関係などにストレスを抱える人が増えています。
「孤独と聞いてどんなことを思い浮かべるか。孤独死、孤食、ひとりぼっち、など負のイメージを抱く人はとても多い。でも、そもそもそうしたイメージが間違っていると思います。孤独こそ“本当に豊かな時間”であり、私たちが生きていくうえで必要な時間です。私は幼少期に結核にかかったことで小学2年、3年とほとんど学校に通っていませんでした。家でずっとひとりで過ごしていたんです。それでもさみしいなんてこれっぽっちも思いませんでしたよ。窓の外を眺めたり、本を読んだり、自分だけの時間を楽しんでいましたから。
つながりの大切さや、友人の大切さよりも、ひとりでいることの愉しさを先に覚えたのです。アナウンサーとして入局したNHK時代もそうでした。同僚たちはみんなでお茶したり、食事したりしていましたが、私は参加したことが少ないし、おしゃべりもほとんどしませんでしたね。9年間在籍していましたけど、ずっと“変わり者”だったんです(笑い)」(下重さん、以下「」同)
──学生時代の友人、勤め先の同僚、ママ友、ご近所づきあいなど、その時々のつながりもありますが、年を重ねると、同窓会などの機会も増えてきます。
「現代社会において、つながりは常に私たちを追いかけてきますが、距離を置くことはそう難しくはないはずです。同窓会などの案内は私も多くいただくけれども、ほとんど参加したことはありません。NHKのOB会からお誘いもありますが、昔はこうだったよね、という思い出話か、今のマスコミは…なんてエラそうに話したりするだけでしょう(笑い)。楽しいですか?」
“つながり”に縛られやすくなった時代
──SNSの発達などで、つながりが可視化されたり、グループ単位でのやりとりが容易になったことで、“友達の数がどんどん増える”“常につながりの中に置かれている”という環境になりつつあります。
「私にも大切な友達はいます。学生時代の同級生や、NHK時代の同僚など、会いたいと思う人はいますよ。そういう友達とは個人的に連絡を取り合っています。でも、何時間もおしゃべりしたり、しょっちゅう食事をしたりということではないですね。
極めて親しい友人に、作家の黒田夏子さんがいます。早稲田大学時代からの友人ですが、その頃は一緒に食事したことはないし、プライベートのこともよく知りませんでした。電話もしないし、いつもハガキでやりとりするだけです。でも彼女が75才で芥川賞を受賞するまでの間、すべてを“書くこと”に費やしてきたことはよく知っている。孤独という共通項があるからか、どこか同じ“ニオイ”を感じ、尊敬すべき才能と努力がある。大切な友達です。そういう友達はそんなにいりません。
長々と世間話をするのが友達でしょうか。昔話を延々とするのが友達でしょうか。四六時中連絡を取り合うのが友達ですか? 私はそうではないと思います。大切な友達は1人か、2人、数えられるくらいいればいい。数の多さはちっとも重要じゃないはずです。
人間関係にストレスを感じたり、息苦しさを覚えたりするのは、本当に一緒にいたいと思う人ではないからです。なんとなく集まっているママ友、同級会など、惰性といっては失礼ですが、積極的に会いたいと思っていない人と過ごせば、疲れてしまうのはごく当たり前のことだと思います」