兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第173回 「にぃさんぽ」悪夢再び…のその後】
ライターのツガエマナミコさんが同居する兄は若年性認知症です。その兄が、知らぬ間に「にぃさんぽ」に出て行方不明になった顛末のつづきです。雨が激しく降る日に姿を消した兄は、翌朝、隣町の民家の庭で発見され、無事に家に戻ってきましたが、ずぶ濡れで震えが止まらぬ状態。体を温めようやく床についたものの、今度は、お布団の上で寝たまま“お尿さま”をしてしまい…。マナミコさんの試練は続きます。
(※「にぃさんぽ」は「兄さんのひとり散歩」の略byツガエ)
思わぬ形で紙パンツデビュー
体が思うように動かず、ザ・ジャパニーズ布団の上で横向きのまま容易に起き上がれない兄を見ながら、非力な妹はなすすべもございませんでした。それでもあきらめず、兄は「トイレに行かなきゃ」と言いながら必死にもがき、なんとか立ち上がってくれたのです。
「兄、やるじゃん」と少し見直し、「すごい!すごい。よく頑張ったね!」と称賛し、トイレまで付き添って座らせ、新しいズボンと紙パンツを手に、兄のトイレが終わるのを待ち受けたのでした。
自立できない足からパンツやズボンを脱がせることの厄介さ、穿かせることの難しさを学習したツガエでございます。
それ以来、夜は必ず紙パンツを使用してもらうようになり、現在はお布団に地図を描くことがなくなりました。思わぬ形での紙パンツデビューでしたが、これぞ「怪我の功名」でございましょう。
帰ってきた当初はヨボヨボだったにもかかわらず、その夜にはもう自力で寝起きができるようになり、翌日には夕方の買い物に一緒に行けるくらいに回復いたしました。
あんなに寒い雨の中、朝まで外で過ごして風邪も引かず、爆速で回復するとはどこまで頑丈なのでしょう。さらに翌日の水曜日にはいつも通りデイケアに行ってくれました。スタッフの方に事情はお話ししましたが、夕方お迎えに行くと「特にお変わりありませんでした」とのこと。身体はこんなに丈夫なのに…と改めて「残念な兄」であることを認識いたしました。
木曜、金曜は取材があったので、わたくしは外出をいたしました。兄を一人残していくのは不安でしたが、致し方がございません。玄関先のポーチにある門扉にチェーンを掛けることで、おそらく外には出られないと信じました。
もちろん兄には、仕事で出かけること、6時には帰ることを何度もいい、張り紙もして「お留守番たのむね」とお願いして了解を得ました。そんな了解に意味がないことはよくわかっておりますが、わたくしの気休めでございます。
木曜はなにごともありませんでしたが、金曜日の夜仕事を終えて帰ると、チェーンが掛かったまま門扉が少し開いており、チェーンの4桁のナンバーが動かされていました。明らかに出ようとした形跡です。
さらに玄関のドアを見ると少し隙間があり、中から明かりが漏れていました。「え?」と思い、「ただいまー!」とドアを開けるとあらゆる明かりが点いていて、テレビの音も聞こえます。でも人の気配が感じられず、悪夢再びかとドキドキしました。
少し間があって、廊下の突き当たりのドアが開き、兄が見えたときは心底安心いたしました。兄はわたくしの顔を見ても少しポカンとしていたので「ただいま」と改めて言うと、「ああ、よかった」と言い、事なきを得ました。
夕食を食べているときに「マナミコちゃんは?」と言われたことはショックでしたが、「マナミコちゃんは、わ・た・し」と答えると、そんなこと知ってた、という風な顔をしてご飯を頬張りました。兄はどこまでわからなくなっているのでしょう?
「この連載のために無理はしないでください」という読者の方のコメントが胸に刺さっております。書くネタがなくなると「何かやらかしてくれないかな」と思っていた自分を見透かされている気がいたしました。
でもやはり、嫌々でも兄の面倒を見るのはわたくしだと思っております。それが人として一番自然なことだと思うからです。わたくしが元気でできるうちは、できる範囲でやっていこうと思っております。またいつ警察のご厄介になるかはわかりませんが、それもまた人生でございます。両親からは「よそ様にご迷惑をかけてはいけない」と教わってきましたけれども、こうなったらそれも解禁していこうと思っております。「自分の介護が悪いから兄がよそ様にご迷惑をかけるのだ」と思ってしまうと、自分を責めてしまい、兄にも辛く当たるばかり。これからは「ある程度はご迷惑も仕方がない」と開き直ることを許していただこうと思っております。
事件から1週間が経ちました。紙パンツがいい仕事をしてくれています。それだけでストレスが少し軽くなりました。存在がうっとうしいことに変わりはございませんが、兄がいてもいなくても、わたくしの人生に大きな変化はないでしょう。むしろ兄がボケてくれたことで、ツガエはたくさんの方に応援していただく存在になれました。語弊があるかもしれませんが、兄が何かやらかしてくれることや、それに翻弄され、感情が乱高下する自分を楽しめるツガエでありたいと今は思っております。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ