古村比呂インタビュー「3度目のがん再発で、生きるのが楽になりました」
「神は乗り越えられる試練しか与えない」とはよく耳にする言葉だが、彼女に与えられる試練はあまりに酷である。3度のがん再発──どのような言葉をかけたらいいかわからないまま、目の前に現れた彼女は実にあっけらかんと、生きるという現実を語ってくれた。
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2012年に子宮頸がん発覚、2017年3月再発、11月再々発
「私、日によってかぶり方が違うみたいなんですよ。変じゃないですか?(笑い)」
前髪を気にかけながら語る古村比呂(52才)。その髪は、抗がん剤治療の副作用で地毛が抜け落ちてから着けるようになったウイッグだ。まだ慣れておらず、「現場に行くとヘアメイクさんに“古村さん、ズレてます”といつもダメ出しされるんです」と笑う。
古村は2012年1月に子宮頸がんが発覚。翌年3月に子宮全摘出手術を受けた。2017年3月、子宮頸部と骨盤内リンパ節などにがん再発。放射線治療、抗がん剤治療で寛解するも、同年11月、がんが肺やリンパ節に再々発。再治療を決意した。
俳優の布施博とは2009年に離婚。3人の男子を持つ古村は現在、家を出た次男を除く長男、三男との3人暮らし。
一家の大黒柱となった古村は家計を見直すことになり、病気をきっかけに医療保険などの大切さも痛感するようになった。今では同じ病気に向き合っている人たちとさまざまな情報交流をしている。
「がん保険もいろいろあり、入院保障限定で、通院では保障されないものもあります。それに対して今、病院側は入院よりも通院をすすめるようになっているので、保険の内容を見直したり、入る前によく検討した方がいいそうですよ」
闘病しながらの生活は決して楽ではないが、上手にやりくりしている。
「この先も治療がどこまで続くかわからないので、倹約して無駄がない生活を心がけています。おかげでシンプルな暮らしになりました」
こんな古村に、「頑張ってください」とか「強いですね」と声をかけてくれる見ず知らずの人がいる。
がんになって変わった心の在り方
「以前は“しんどいな”と思ったこともあります。でも今は、照れちゃいますが、素直に頑張ろうと思えるんです。そういう意味ではがんになって変わったんです」
若い頃は周囲から「面白みのない、冗談も通じない人」と言われたりもしたという。
「実際、冗談ひとつ言えなかった(笑い)。常に気が張っていて、几帳面すぎて。だから、そうじゃない人が許せなくて。心に余裕がなかったんですね。それが、病気によって生きるのが楽になったと言ったらヘンですかね。でも、変わったんです」
治療に専念する傍ら、自らの経験を生かし、がん患者の生活の質を向上させる商品の開発も手がけている。婦人科系のがん治療後の後遺症をフォローする下着などがそうだ。
また、闘病体験を語る講演の依頼にも積極的に応じている。2時間近く人前で話すのは体力的な不安もあるが、多くの人と出会うことでエネルギーをもらっている。現在は体調も安定し、清々しい笑みがこぼれる。
がんは闘うものではなく、共に生きていくもの
「8月末から抗がん剤治療が1種類になったので、髪が少しずつ生えはじめているところです。触るとふわふわのひよこの毛みたいで気持ちいい。こんなふうにいろんな体験を通して、“がん=死”のイメージでもないし、闘うものでもない、共に生きていくものだと考えられるようになりました」
今の自分は、母でも女性でも女優でもなく、「ひとりの人間であること」を最優先する暮らしだと言うが…。
「外出しているときは、周囲の人たちをついつい観察してしまいます。定期的に左足のリンパ浮腫の治療にも通っているんですが、以前、包帯をぐるぐる巻きにされる治療を受けたら、普段の靴が履けなくなった。なので息子の靴を片方借りて、治療後はそれを履いて帰りました。すると、電車に乗り合わせた人が、“右足と左足の大きさが違う”と一瞬好奇の目を向けてくる。でも、すぐに視線をそらせて、見て見ぬふりをした。なるほどなあと思いました。病気にならなければ、このような視線の動きを知ることはできませんでしたから。こんな経験がいつかは、女優としての仕事にも生かされると思ってます」
闘病生活を経て、人として一回りも二回りも成長した女優・古村比呂の演技を見られる日が待ち遠しい。
古村比呂(こむら・ひろ)
1965年生まれ、北海道出身。87年、NHK連続テレビ小説『チョッちゃん』のヒロイン役で人気女優に。現在は女優として活躍するほか、リンパ浮腫やがん治療の後遺症に悩む女性のためのコミュニティーサイト「シエスタ」(https://komurahiro.com/)を運営。
撮影/槙野翔太
※女性セブン2018年11月1日号
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