どうして障害のある母は私を産んだ?ヤングケアラーが親の話をするときの複雑な心境
障害をもつ母親のもとに生まれたたろべえさんは、様々なメディアでヤングケアラー(※)の情報を発信している。そんな中、当サイトの記事に「障害があるのに子どもを産んだのはなぜか?」というコメントがいくつか寄せられた。ヤングケアラーが家族のことを自ら話さなければならない複雑な心境について、心のうちを明かしてくれた。実体験をもとに、ヤングケアラー支援の課題を考察する。
※「ヤングケアラー」とは、日本ではまだ正式な定義はないが、日本ケアラー連盟ヤングケアラープロジェクトによると「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている18歳未満の子ども」とされている。
障害があるのになぜ子どもを産んだのか?
私がヤングケアラーの経験を話すと、「あなたが高校生の時じゃなくて、お母さん自身が高校生の時に事故に遭ったの?」「じゃあ、お母さんはすでに障害がある状態でお父さんと結婚したの?」「お父さんもあなたを産む前に事故にあったの?」「なんでご両親は障害があったのにあなたのことを産んだの?」と疑問に思われることも多い。
気になるのも無理はないと思う。私自身も、もし自分と同じような境遇の人に出会ったら、同じようなことを聞いてしまうと思う。
今回は私の知る範囲で母と父が私を生むまでのことを書いてみたい。
高次脳機能障害の母が結婚を決めるまで
母は高校3年生の時、通学中に事故に遭い、3か月の昏睡状態になった。奇跡的に意識が戻ったが、脳に障害が残り、右半身も麻痺してしまった。母が昏睡状態のとき、祖母は母をなんとか目覚めさせようと、母の好きな音楽をいろいろと枕元で流していたようだ。
一方で祖父はもう覚悟を決めて「成人式で着せたかった振袖を棺に入れる」と言って準備していたらしい。
そんな祖父母にとって、母の意識が戻ったことはなにより嬉しかったに違いない。事故に遭う前よりできることは減ってしまったが、それでも自分たちを見て「お母さん」「お父さん」と言ってくれるだけで十分だと感じたのではないかと思う。
母の意識が戻り、祖父母の願いは「なんとか娘の命が助かって欲しい」から「自分たちがいなくなっても娘が幸せに生きて欲しい」へと変わった。自分たちが年老いてやがて亡くなっても娘とともに生きてくれる人を探したいという思いから、祖父母は母を結婚相談所に登録した。
この時に母を施設に入所させるという選択をしなかったことについて、正確なことはわからないが、おそらく以下の2つが主な理由ではないかと思う。
1つ目に、母は大の施設嫌いだった。母は退院後に2年間リハビリの施設に入所していたが、あまりにも帰りたがるので、週末になると祖母が迎えに行き、週明けになるとまた送っていく生活をしていたそうだ。
2つ目に、この頃の母は今よりも介護度が低かった。歩行状態も昔の方が良かったし、一時は就労していたこともあった。親の欲目もあったかもしれないが、祖父母は母が家庭の中で生活できると判断したのだろう。
厳密には高次脳機能障害は進行したり悪くなったりするものではないとされているが、現在の母は転倒歴や老化も相まって当時よりも介護度が高くなっているのだと思う。
父はなぜ障害のある母を選んだのか?
母と同じ頃、父も結婚相談所に登録していた。登録に必要な情報を記入する際、結婚相手の条件として「障害があってもかまわないか」という項目があったそうだが、父は質問の意味を深く考えないまま「かまわない」にチェックを入れたそうだ。
すると、まず結婚相談所から視覚障害者の女性を紹介された。父は、一度はその女性に会ったが「申し訳ないけれど結婚するのは難しいな」と感じて、断ってしまったそうだ。
次に父に紹介されたのが母だった。母は一見、人当たりが良く初対面から高次脳機能障害があるということには気がつかれにくいが、繰り返し接していく中で、話の辻褄の合わなさや行動の違和感が目立ってくる。父は母と結婚するまでは一緒に生活するのが大変なほどの障害があるとは気がつかなかったようだ。
母方の祖父母が「なんとか娘を嫁にもらって欲しい」といろいろとお膳立てをしたこともあって、父と母は結婚した。
父は「障害があっても母を幸せにできる」という自信があったと語っているが、視覚障害をもつ女性との結婚を断ってしまった後ろめたさもあって、同じく障害をもつ母との結婚を決めたのではないかと私は思う。
父方の祖母は、「どうして障害のある人と結婚するのか?」と、結婚に一度は反対したそうだ。しかし、思い返してみると過去にも父は障害のある人と付き合っていたことがあったらしく、きっと父はそういう人を助けたくなってしまう性分なのだろうから、止めても仕方がないと思って諦めたと話していた。
父は私が生まれる前の年に、職場で怪我をして左腕を失った。当時、働き過ぎだった父が真っ先に感じたのは、腕が無くなってしまったことへの悲しみではなく、「ああこれでしばらく仕事に行かなくて済む!」という安堵感だったそうだ。父は、退院後から現在、両腕がある人とほとんど同じような生活を送っている。
障害のある母が子どもを産むリスク
父と母は結婚し、その後、子どもをもつことを決めた。
障害のある母が子どもを産むというのは母体にもリスクがあると医者から説明されたが、それでも母は生みたいと言ったそうだ。実際に私を出産したときには産婦人科の医者だけではなく、外科、麻酔科などいろいろな科の医者が集まって、かなり大がかりだったそうだ。
障害のある人が子どもを産むことが良いことか悪いことかは一概には言えない。ただ、当時の祖父母は、17才で命を終えそうになった娘がなんとか生き延び、女性として人並みの幸せを得ようとしているのを止めることなんてできず、むしろ応援したかったのではないかと思う。確かに母との生活は大変なことも多いが、娘の幸せを願った当時の祖父母の気持ちを否定することはできない。
両親が出会ってから私が生まれるまでのことは、これ以上知らない。
親のことを話さなければならないジレンマ
母と父が「私の両親」になったのは私が生まれてからであって、私が生まれる前の2人についてはある意味で「他人」だと思っているので、深く詮索しようとしたことはない。昔の両親についていろいろな話を気軽に聞ける人もいるが、私は「両親」が「一組の男女」であったことを意識する気恥ずかしさに耐えられないので聞きたいとは思えない。
そんな「他人」である両親の話を、両親がいないところで話すのは、両親のプライバシーを尊重せずに噂話をしているようであまり気分の良いものではない。
その一方で、ケアを担っている子どもがいた時、なぜその子がケアを担わなければならない状況になったのかという理由が気になるのは至極当然のことだとも思う。
ただ、「ケアを担った原因を話すこと」が必ずしもすぐに「ケアラーの支援」につながるわけではなく、そこに行き着くまでには距離がある。
確かに私はそもそも生まれてこなければヤングケアラーになることはなかったが、それでも生まれてきてしまった以上はもう両親を責めてもどうしようもない。
「もう生まれちゃったもんは仕方がないんだから助けてください」と言うのは開き直りだろうか?
「両親のせいで生まれたんだから責任は両親にあるのに、周りに助けを求めるな」と言われるのは当然なのだろうか?
両親の過去に囚われずに、現在の自分を助けてもらうことはできないのだろうか?
ヤングケアラーの支援の課題
ヤングケアラーは、現状抱えていることや自分が助けて欲しいことを周りに伝えたいはずなのに、そこにたどり着く前に、ケアをしている家族についての説明をしなくてはならない。
勝手に家族の病気や障害のことをペラペラと話していいのだろうかと不安になったり、家族を責めているように感じてしまったりするヤングケアラーも多いのではないだろうか。
■ヤングケアラー」の実態は表面化しにくい
編集部注:令和2年に実施された厚生労働省の調査によると、ヤングケアラーという概念を認識している人は、76.5%となっており、1年前の46.7%に比べると高い結果が出ている。同調査で、「ヤングケアラー」と思われる子どもはいるが、その実態は把握していない」割合が3割近くいることも明らかになった。
実態を把握していない理由については、「家族内のことで問題が表に出にくく、実態の把握が難しい」が81.8%と最も高かった。
参考/厚生労働省「子どもが子どもでいられる街に。」https://www.mhlw.go.jp/young-carer/
■「ヤングケアラー」と思われる子どもの実態を把握していない理由(複数回答)
・家族内のことで問題が表に出にくく、実態の把握が難しい…81.8%
・ヤングケアラーである子ども自身やその家族が「ヤングケアラー」という問題を認識していない…66.8%
・虐待などに比べ緊急度が高くないため、「ヤングケアラー」に関する実態の把握が後回しになる…36.0%
・地域協議会の構成職員において、「ヤングケアラー」の概念や支援対象としての認識が不足している…35.2%
・学校などでの様子を迅速に確認、把握することが難しい…22.3%
・既存のアセスメント項目では該当する子どもを見つけにくい…21.1%
・ケアマネやCW、学校の先生などに「ヤングケアラー」の概念や支援対象としての認識が不足している…21.1%
・介護や障害等の課題に関して、各関係機関や団体などとの情報共有が不足している…18.6%
・その他…8.9%
・無回答…0.8%
ヤングケアラーに携わってくれる大人は、なんとかしてヤングケアラーの負担を減らしたいと思っているのに、ヤングケアラーは家族のことを話すことでかえって精神的な負担を感じてしまう場面も少なくないのではないかと想像できる。
支援する側としては、家族の状況をまず知った上で支援に役立てたいと思うはずだが、そこで終わらずに本人の話もうまく引き出していくためには、じっくり時間をかけて支援していくしかないのではないかと思う。
ここ数年の「ヤングケアラー」という言葉の広がりに対し、まだまだ十分な受け皿ができていないのが現状だ。
文/たろべえ
1997年、障害のある両親のもとに生まれ、家族3人暮らし。母は高校通学中に交通事故に遭い、片麻痺・高次脳機能障害が残ったため、幼少期から母のケアを続けてきた。父は仕事中の事故で左腕を失い、現在は車いすを使わずに立ってプレーをする日本障がい者立位テニス協会https://www.jastatennis.com/に所属し、テニスを楽しんでいる。現在は社会人として働きながら、ケアラーとしての体験をもとに情報を発信し続けている。『ヤングケアラーってなんだろう』(ちくまプリマー新書)の3章に執筆。
https://twitter.com/withkouzimam https://ameblo.jp/tarobee1515/
●ヤングケアラー、小6の6.5%という調査結果 当事者が明かす介護「誰にも話せない大嫌いだった母のこと」