【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第32回 母と私のコロナ感染記」
写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。父亡き後に認知症を発症した91才の母と千葉・勝浦で暮らす飯田さんが、日々の様子を美しい写真とともに綴ります。
今回は、新型コロナウイルスに感染してしまった飯田さん母娘の様子を振り返ります。
私につづいて、母も発熱
ついにコロナに感染してしまった。
思えばここ勝浦市にある『ホテル三日月』で、日本で最初に武漢帰国者を受け入れて、鴨川の『亀田メディカルセンター』の連携で治療を実施したのが2020年1月のこと。その後は、勝浦名物のひな祭りなどのイベントも中止になり、コロナ禍は続いてきた。
今年はようやくコロナ明けの夏になるかと思われた矢先だった。私はとあるイベントにスタッフとして参加したのだが、その数日後に発熱した。
抗原検査キットを持っていたのですぐに検査してみると陰性だった。
「きっと疲労が出て夏風邪かな?」と思っていたところに、イベント関係者にも、ちらほらと発熱した人がでたとのメッセージが入ってきた。イベント前に発熱していた人が、抗原検査キットでは陰性だったこともあり、熱が下がった当日は普通にイベントに参加していたという話も聞いた。
抗原検査は、自宅ですぐに検査できるので、便利だと思うが、実は検査結果は不確実。そんな結果に安心して、やおら通常通りに社会活動をし、知らぬ間に拡散しているのが日本で今コロナ感染が拡大した原因の一つなのかもしれないと思えてならない。
私は風邪をひいてもほぼ発熱するタイプではなかったので、抗原検査キットで陰性であっても、発熱が2日続くと疑わずにはいられなかった。
母には「風邪で具合が悪いから、うつさないようにママは自分の部屋にいてね。食事も別にするから」、そう言ったのだが、母はいつものようにすぐ忘れてしまう。
そして、私がお風呂に入った後、私が気づかぬ間に、母は浴槽に浸かってしまっていた。
案の定、翌日に母も発熱した。かかりつけ医にすぐに連絡すると「PCR検査をするので車を駐車場に停めたら電話をください。医師が外に出て行きます」との指示。
私はまだ熱が下がっていなかったが、母を車で10分のクリニックに連れて向かった。防御服に身を包んだ先生が駐車場に現れ、私たち2人の鼻腔に綿棒を入れPCR検査した。
感染したことを忘れてしまう母
しばらくして「しっかり陽性でしたよ。今から車にお薬を運びます。お母様は、高齢なので入院された方がいいでしょうね。保健所へ報告書を書いておきます」と医師の言葉。
千葉県のコロナ対策室から、続いて入院先の病院の医師からの連絡が入り、救急車を呼ぶ指示が出た。
母は90歳を超え初めての救急車体験だ。しかし、母は全てをすぐ忘れてしまい今ここだけに意識がある。発熱していることも、PCR検査のことも、いや、コロナウイルスに感染したことすら忘却の彼方である。私にしてみたら羨ましい限りの忘却力…。
救急車を待つ間、ふと窓の外を見たら、高熱を出しているはずの母が炎天下で洗濯物を干しているではないか!
「ママ、熱があるんですよ。安静にしていてくださいな」
このまま家にいたら病気であることを忘れた母の監視をし続けなくてはならなかったかもしれない。
母が救急車に乗るのを見届け、私はベッドに伏せた。ようやくの本当の意味で安静にできた。
風邪とは違う症状
ここからは、あくまで個人の体験談になるが、私の場合、やはりコロナ症状は普通の風邪とは違った。まず、味覚が全くなくなり、嗅覚もかなりおかしい。かび臭いような苦いような感覚が口中にあり、食べること、飲むことが難しいのだ。固形物を体内に入れることがこんなに苦労するものかと思った。
私は、ハーバリストなので、その知識をいかして、免疫を上げる「エキナセア」のスプレーを喉に噴射し続けた。その甲斐あってか、痰や咳がひどくなることはなかった。また、基本的なうがいや手洗いなども、感染後であっても重要なように思えた。
水が一番美味しく、肌につけるものも、人工的な化粧品を受け付けられなくなり、「ハーブ蒸留水とオイルを少し」というのが心地よかった。喉に良く抗炎症効果もあるアロマオイル「ユーカリ」を使いたかったのだが、匂いを気持ち悪く感じてしまい難しかった。
水分補給の時には、抗炎症作用のあるカモミールを、そして、ビタミンCパウダーをたくさん摂取した。
「食べないと体力落ちてしまうから」と、東京の友人らがゼリーや野菜スープを送ってくれ本当に助かった。県からも食料(レトルトご飯や経口補給材など)が段ボール1箱届いた。
しかし宅配便に対応するのも辛いし、うつしてしまっても良くないので、玄関先に置いてほしいとの張り紙をした。
近隣に住む友人が買い物をしてきてくれたり、あっさりした煮物を届けてくれたり、本当に助かった。コロナで自宅療養の間の声かけは心の支えになる。
でも、電話などの話はちょっとしんどい。音楽も聴きたくない。外の蝉しぐれだけ耳の奥で響いていた。
1週間が経過した頃、ようやく病が抜けてゆく感覚があった。
保健所から、外出禁止が解かれるという電話があった直後に、母の担当医からも連絡があった。
「お母様、明日の退院でお願いします。こちらもベッドが埋まっていて大変です」
担当医の切迫した声に、限界的状況下で頑張っておられる医療関係者の姿が見えるようで頭が下がった。
母の退院お迎えが、私の病み上がり初めての外出となった。入院中は面会できなかったので、電話で病棟の看護師さんに母の様子を聞いたのだが、「お母様は、大丈夫ですよ」とのことだったので安心していたのだが、久しぶりに会った母は、確かにそんなにダメージは見えず元気そうだった。
車で家に戻り、全て洗濯し寝具を整えたベッドに母は横になった。私も、まだ完全復帰とは言えない体調だ。2人してそれぞれの部屋で休んだ。
夕方、海水浴場に人がいなくなる頃、海に行き、友人と“快気祝いの禊”と称して、海に浸かった。皮膚がひんやりとして気持ちが良い。海水には、膨大な数のウイルスがいるという。それもまた、バランスの上に成り立って居るのだろう。人にとって、好都合なウイルスもあるはず。そこに体を預ける気持ちで健康を祈った。
退院後もなかなか復調しない母
翌朝、母の熱を測ると36.8度。やや高めか。朝食を準備したが母は食べたくないという。
ヨーグルトだけを半分くらい口にし、私が強く促して水分補給にジュースを飲み、またベッドに伏せた。
それから数日、やはり微熱が続いてベッドにほぼいる母。トイレは自分で行けるのだけはありがたい。
病院では看護師さんの声かけや他の人の視線もあるのでそれなりに緊張していたようだ。その糸が解けたからか、家に戻るってきてからの母は、ほぼ寝たきりの状態になってしまった。
1週間も寝ているとまずは脚の筋肉が衰え、それは心臓の筋肉とも連動しているので代謝が悪くなり悪循環へまっしぐらだ。
氷嚢で解熱しながらなんとか水分、ゼリーや水羊羹などを食べるように促した。退院してから10日以上経つ今も「寝ているのが楽」と言ってほぼベッドに横たわっている。
微熱が少し下がってもまだ寝ているので「もうそろそろ病原菌に退散してもらわないとね。私も仕事で出かけていない日もあるし、自分でしっかりと健康になるようにしてくださいね!」とハッパをかけた。
コロナ感染してすぐにケアマネジャーにも連絡をした。
「デイサービスは当分キャンセルにさせてください。ショートステイの予定は8月の末ですがそれも様子を見て」と。
他の入所者さんもやはり数人コロナに感染しているようだ。コロナ感染の拡大で介護従事者への感染を未然に阻止しなければならないだろう。
しかし、本当に自宅で身よりもなく、病院へも自分で行くこともできない高齢者もいるのではないだろうか?わが家とて、私が病に倒れてしまった母はどうなるのか?
勝浦市は、このところ毎日二桁の感染者が出ている。暑い夏を家で静かに過ごしつつ、体力を温存するしかないかもしれない。
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。HP:https://yukoiida.com/