山谷・ドヤ街で上野千鶴子さんが見た「生活困窮者の老後、介護・福祉の形」
JR南千住の駅から南東方向に5分ほど歩くと、その先に山谷地区、いわゆるドヤ街が広がる。身寄りのない日雇い労働者たちが暮らしてきたこの街にも、高齢化の波が押し寄せている。『おひとりさまの老後』などの著書をもつ社会学者の上野千鶴子さんと、介護ジャーナリストの末並俊司さんが、山谷地区の訪問看護や民間ホスピスなどの現場を歩いた様子をレポートする。
山谷・ドヤ街の独自のケアシステム
かつてドヤ街は日本の経済発展を支える労働者たちの送り元として機能し、1泊2000~3000円の低料金で泊まれるドヤ(簡易宿泊所)が集中していた。ドヤとは宿をひっくり返した隠語で、「宿にも満たない宿」のようなニュアンスを含む。
かつての労働者たちは年を取り、介護や医療の助けがなければ生活できない高齢者が増えた。そうした生活に困窮する人たちを支援するため、山谷には医療や介護の事業者、ボランティア団体が多く集まっている。それらの団体が互いに連携し合うことで、独自のケアシステムが形作られている。
10年ほど山谷に通い、福祉の現場を取材してきたライターである私は、そのケアシステムを拙著『マイホーム山谷』(小学館)にまとめた。
この街の福祉は、上野千鶴子さんの目にはどう映るのだろうか――?
→上野千鶴子さんが見たドヤ街・山谷の介護と看取り「実は理想の福祉を実践する場」
山谷の「ホテル白根」を訪ねて
現在も、山谷地区には100軒ほどのドヤがある。山谷のケアシステムを語るには、ドヤの存在は欠かせない。「ホテル白根」もドヤのひとつ。35室の部屋は常時ほぼ満室で、平均8割の入居者が要介護者だという。
要介護認定を受けた人であれば、介護保険制度に則って、介護や看護の訪問サービスが提供される。利用者負担は原則1割だ。例えば要介護3であれば介護保険サービスを目一杯使っても負担額は月2万7000円ほどである。
一方で、こうした公的な制度ではケアできない細かな支援を必要とする人もいる。ホテル白根の女将・豊田弘子さんは彼らを「好意」で手伝い、生活を下支えする。
豊田さんが語る。
「お客さんの中には、認知症などの理由で薬をのみ忘れちゃうかたもいるから、必要な人には私が行ってのませるのよ。あと生活保護費を受け取った日に使っちゃう人もいるので、そういう人の場合は本人の同意のうえで、ホテルでいったんお金を預かって必要な分だけ渡してます」
これには上野さんも「服薬・金銭管理までするの」と驚いた様子だ。
こうした細かいケアは、まるで家族のように長時間、同じ場所で過ごすスタッフだからこそ可能になる。あくまでも旅館業であるホテル白根では、服薬・金銭管理をしても、宿泊費の1泊2300円以上の料金を請求することはない。
貧困、健康状態、高齢…。客の多くは生活に何かしらの問題を抱えており、自治体から生活困窮者の受け入れを依頼されることもあるという。
山谷には歴史的に、生活に困窮した人々が集まり、そうした人々を支えるNPO法人などの団体や善意の支援者たちが集まって、独自のケアシステムが形成されてきたと私は考えている。
半日をかけて山谷を巡った直後、上野さんがこの街の福祉をどう見たのか、話を伺った。
上野千鶴子さんが見た山谷の福祉と介護・対談
上野 私は今日、初めて山谷に足を踏み入れましたが、以前に横浜の寿町のフィールドワークをしたことがあります。そこで訪問医療を続ける「ポーラのクリニック」という診療所の山中修医師を訪ねたんです。
寿町は山谷と似て、訪問する患者の約9割が生活保護の受給者で、ご家族と縁を切っておられるかたが、ベッドやわずかな身の回りの品だけのお部屋で暮らしています。でも、彼らに特養(特別養護老人ホーム)などの高齢者施設への移動を提案すると、ほとんどのかたがノーとおっしゃるそうです。
「長く住んでいるここがいい」と。そう聞いて、あぁ人が死ぬのに多くのモノはいらんのやな、人はこうやって生きて死んでいけるんだと思いました。
末並 山谷にも「ここがいい」とおっしゃるかたは多いですね。
上野 私は「おひとりさま」の「在宅ひとり死」を研究してきましたが、寿町の山中医師が「上野さん、ここには究極の在宅ひとり死があります」とおっしゃいました。
自然発生ではなくプレイヤーの努力
末並 山谷でもドヤ街という歴史的経緯から、理想のケアシステムが自然発生的に生まれてきた、と私は考えているのですが…。
上野 自然発生でなく「さまざまなプレイヤーが努力して作ったもの」だと、私は強調したい。
地域を変えるのは人です。山谷にも、山友会(山谷のNPOのひとつ。編集部注)の無料クリニックを支えてきた医師や、コスモスの訪問看護師さんたちのようなプレイヤーがいます。
今日見せていただいたホテル白根の豊田さんは服薬・金銭管理までやって本当にすごい。そこまでのレベルとは言わなくても、私が見てきた寿町でも簡易宿泊所の管理人が住人の私生活に関与して支えていました。それに加えてNPOなどボランタリーな団体がきめこまやかなサポートをしています。
こうした人々を「協」のセクターと言いますが、「官」は行政の生活保護ソーシャルワーカー、「民」は宿泊業や介護事業者。山谷や寿町は「官・民・協」の連携がものすごくうまくできているんですね。
末並 山谷にも「きぼうのいえ」や「コスモス」など5つのNPOがあり、それらが有機的に繋がっていることを『マイホーム山谷』でも書きました。こうした繋がりは、他の地域では見られません。
上野 ひとつの地域にこれだけのプレイヤーがいて、福祉資源が密集しているエリアは珍しい。「官・民・協」の連携ができているから、「ホームレスの街」が「福祉の街」となって、山谷や寿町には他の地域から身寄りのない人、行き場のない人たちが送り込まれてきます。ほとんどブラックホールのごとく。
末並 私の取材でも、長野から山谷に来た男性がいました。長野の役所で、「上野駅で降りて、歩ける距離に山谷って場所がある」と教えられた、と言っていました。
上野 行政が「そこに行けば何とかなる」と、陰に陽に誘導するんですね。最底辺の街が「官・民・協」連携のいわばモデル地域になった、という逆説があるような気がします。
末並 山谷の介護現場を見ると、私もフリーランスですから、何かあったときには山谷にお世話になれば大丈夫かな、と思えます。
上野 「ここに来れば何とかなる」と思えるのは、安心保証になるんですよ。私も精神障害者の支援施設「べてるの家」で「ちーちゃん、困ったら最後はここに来ればいい」って言われて、むちゃくちゃ安心しました。
末並さんは、山谷で「最後はここに来ればいい」という安心を獲得するために実践を積み上げてきた人物たちの個性的な群像を描き出した。そのことが素晴らしいと思います。
末並 ホテル白根の服薬・金銭管理のようなケアは、日本では長らく家族が担ってきた領域ですよね。私が『マイホーム山谷』で取材したきぼうのいえの創始者・山本雅基さんは、24時間365日体制で業務に従事した結果、自らが統合失調症を発症、現在では介護を「受ける側」になって暮らしています。
上野 私が福祉の担い手に言いたいのは、自分たちのケアを「家族のような」と呼ばないでください、ということなんです。彼らは「家族にできないこと」をやっているんですから。
私は親の介護もしましたが、家族は過去のしがらみがあるので、恩讐の彼方に、というわけにはいきません。家族にできないことを「プロ」として正当な対価を得てやっている。そのことに誇りを持ってください、と思っています。
取材・執筆
末並俊司さん
1968年、福岡県生まれ。介護ジャーナリスト。2006年からライターとして活動。両親の在宅介護を機に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を取得。介護・福祉分野を専門に取材を続ける。
上野千鶴子(社会学者)さん
1948年、富山県生まれ。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。著書に『おひとりさまの老後』『ケアの社会学 当事者主権の福祉社会へ』など。
撮影/大塚恭義
※女性セブン2022年7月28日号
https://josei7.com/
●上野千鶴子さんが見たドヤ街・山谷の介護と看取り「実は理想の福祉を実践する場」