【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第30回 “今”という時間」
写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。父亡き後に認知症を発症した母と千葉・勝浦で暮らす飯田さんが、日々の様子を美しい写真とともに綴ります。
うれしい報せが届く
春の陽気が増して鳥がさえずり、カエルの声もそぞろに聞こえ出してきた。自然は、無償でこんなに良きものを差し出してくれているのに、テレビの中では明るくないニュースが流れてくる。
そんな時に友人のTさんが再婚!という良き報せがあった。
Tさんは、60代後半の男性で長く東京のメディア会社で勤めていたが、退社し、単身での新生活を送るために房総へ移住してきた。そんなTさんを心配し、高齢のお母様も東京のご自宅を離れ館山に移ってこられた。
Tさんは、この地でグループホーム運営を学び、今では3軒ものグループホームを自ら運営する社長までに至っている。私もハーブ関連や料理で、ホームのお手伝いをさせていただいたこともあった。
私自身が30代の後半に心身疲労した経験もあったので、グループホームで働く若い女性のことは他人事ではない気がしたのだ。Tさんのホームは明るく、居心地が良いので皆が安心して暮らしているように見えた。
Tさんが房総暮らしを始めて10年余りが経った昨年の秋のことだ。
「書道を千葉で習い始めました。もしご興味ある方いましたらご一緒しませんか?」
TさんのSNSにそんな投稿があった。そして、その3か月後に書道の先生K子さんと電撃再婚を果たしたのだ。TさんのSNS投稿には2人の写真とこんな言葉が添えられていた。
「人生の最後の恋を成就することができました」
コロナ禍で婚活が盛んになっている話はよく耳にする。でも、60代を過ぎてからの再婚、どうしてもそれぞれの老後や介護も視野に入るので、やはり覚悟が必要なのではないかと、私はふと思ってしまった。
奥様のK子さんに結婚に踏み切った経緯を何気に尋ねてみると「今をどうやって充実させるかということで、2人で一緒に旅をしたり、スポーツをしたりできるでしょう。将来を心配するよりも、実は時間ってね、“今”しか本当はないでしょう?今の連続だから。」と微笑まれた。
そうわかっているつもりでも、この答えに私は敬服した。
“今”を生きる母
そう、“今”しかないのだ、本当は。そして、その連続を覚えているから時間として捉えているだけ。
そんな話の後で、私の母に対する感じ方にも変化がおこった。
母は今やっていること、今という時間に関しては認知できている。だからご飯も自分で食べられるし、トイレへも自分で行けている。それに、足腰も丈夫で自力で歩いている。問題は、数分前や施設での出来事を覚えていないだけ。それは過去のことであって、今の事でない。
だから、そのことに私がフォーカスしなければ大した問題ではないのでは?そう思いながら母を見てみると、至って普通に見えてきた。
それでも「抜かないで」と書いた紙を貼ってもコンセントは抜くし、もちろん困ったことも無いわけではないが…。
最近はショートステイを気に入っている。
「お風呂がね、木のお風呂で気持ちいいの。人も穏やかで、静かでいい施設だわ」
静かで、というのはもしかしたら耳が聞こえないせいかもしれない。例えば、無声映画のように、音声を消した映画みたいな見え方をしているのかしら、と私は想像した。
そうこうしているうちに、二十四節気暦は穀雨。
まだ寒暖を行き来するこの季節の服装や寝具には戸惑う。仕舞い込んでしまったセーターを出してみたり、毛布を一枚増やしたり、母も携帯カイロをお腹に貼りたがるので、店で買い足した。お腹には腹巻きをして、さらにカイロ。確かに母は用心深い。私も母譲りの冷え性なので、そうやって養生するに越したことはないのだが、つい冷えたビールを飲んでしまったりしている。
永遠に続くものはない
そんな矢先、海辺のホスピスに入所されていたTさんのお母様がお亡くなりになったという報せが入った。
90歳を超えてもお綺麗な方で、花を愛で、金銭の管理もご自身ででき、会話も物覚えもしっかりされていらした。息子のTさんの再婚に安心されて、ご主人の待つ天へと旅立たれたのか…そう思ってしまうようなタイミングだった。
その出来事は、他人事ではなく、私と母との暮らし自体も確かに永遠に長く続ものではない、と改めて寂しさを感じもしたのだった。
自然からの恵に感謝して
父の葬儀を執り仕切ってくれた友人の僧侶、Yさんが久しぶりに勝浦へ来てくださった。彼女と海を歩きながら「時間って、一体なんだろうね」と私。「すべてのものは、流転して変化し続けているから」と彼女。
その日はようやく暖気が勝り、裸足でワカメが打ち上がった浜辺を少し歩き、夕食には浜のワカメを茹でておかずの一品に。そして、庭のエディブルフラワーで生春巻きを作った。
ようやく新芽を出した庭のハーブたちも新しい命をめぐらせる。この時期は、庭に、海に、と何かと忙しい季節。足腰が丈夫な母は、裏庭のフキを摘む。それを私が茹で、母がスジを取る、そして油揚げと一緒に煮る。いただいたタケノコはご飯に。
TVの向こうの世界に平和の祈りを届けつつ、日々、自然からの恵みに感謝して、ただ、この今を生きよう。
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。HP:https://yukoiida.com/