兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第96回 ふたたび包括支援センターへ】
若年性認知症を発症してから5年、ついに兄に要介護認定が出た。通知書を手に、さて、これからどうすべきか思案中なのは、妹のツガエマナミコさんだ。まずは、再び、包括支援センターに相談へ…。さて、兄のサポート態勢はどのように進展するのか?
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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包括支援センターの奥には、なんと…
第2回脱糞事件から約1か月、そろそろ第3回が開催されるのではないかと期待に胸躍らせている昨今でございます。夜に全開しておく洗面所の扉(引き戸)が、朝になるとキッチリ閉まっているので毎朝ドキドキでございます。扉の前で大きく深呼吸をし、覚悟を決めてサプライズに備える日々。今日もお糞がなかったことにホッとしつつ、コップのお尿をトイレに流したツガエでございます。
先日届いた要介護認定の結果を持ってふたたび包括支援センターへ行ってまいりました。
前回担当してくださった方がお休みだったので、対応してくださった方に「認定通知書」と「介護保険負担割合証」を見せて「これからどうしたらいいですか?」とおすがりしたのです。
話しを聞いてくださったのは、わたくしや兄と同世代の保健師さま。別室に通されて「兄が5年前に若年性認知症と診断されまして…」と、また一から説明しなければなりませんでした。
結論から申しますと、まだ何も決まっておりません。ケアマネジャーさまも未定です。
にも関わらず、デイケアに通う話しがどんどん進んでいくのが不思議でしたが、世の中とはそんなものでしょうか?
その日は、包括支援センターの保健師さまによる事情聴取のあと、「じつはここの奥もデイケアセンターなんですけど、お風呂もありますし、ここはどうですか?」とお話が持ちかけられました。わたくしは、その存在を知らなかったのでびっくり。「へぇ~そうなんですか」と言ったあとは、あちらのペースで段取りされていきました。
デイケアセンターの主任さまが呼ばれ、「ちょっと中をご覧になりませんか?」と誘われ、「はぁ」となりゆきでそのまま見学。廊下を曲がると暗証番号を打ち込む式の大きな扉の向こうに、100人のパーティーでも開けそうな広くて明るい空間が広がっていました。もう夕方4時30分を回っていたので、利用者の方は少なくなっていましたが、「こんな空間があったんだ」と、まるで秘密要塞を覗いた気分でございました。
閑散とした雰囲気の中、調理場からお風呂場、おトイレの場所までひと通り案内されました。「こちらが認知症の方のお部屋です」と言われたのは、広いフロアの一角をパーテーションした15畳ほどのスペースでした。ソファやテーブルがあり、テレビがありました。フロア全体に言えることですが、幼稚園のような飾りものや手作り作品が壁いっぱいに貼られ、全体にゴチャッとしていることは否めません。
「認知症の方には、ここで自由に過ごしていただいています。個別の対応で、スタッフといろんなお話しをしたり、手仕事をやっていただいたり……」と熱心にお話しされる主任さまのお声を聞きながら、わたくしはここで過ごす兄の姿を想像しました。正直、高齢者ばかりの中にポツンと座らされている兄が浮かんでしまい、「つまらなそうだな」と思いました。が、しかし、家でひとりテレビを観ている兄と大差ないことに気づき、「ま、いいか」と半ば納得いたしました。
「一度、お兄さまに会いに行ってもよろしいでしょうか?」という包括支援センターの保健師さまのお言葉に「もちろんいつでもどうぞ」と言い、翌日、保健師さまは我が家にいらっしゃいました。
ご自身が何者なのかを説明し、ひとしきり世間話をしたあと、「おうちで過ごすのも悪くないですけど、まだお若いんですから家に居るだけじゃもったいないわ。そう思ってワタシ来たんです」と言い、おもむろにパンフレットを開いて「こういうところなんですけど、いろんな方が集まって時間を過ごしているので、一度、見学だけでもしてみませんか?お若いからきっとみんな喜ぶわ。ね?どうですか? 昨日、妹さんには見てもらったんですよ」と笑顔で兄の顔を覗き込みました。
さすが高齢者とのお話しに慣れていらっしゃるとみえてゆっくりと間を置きながら、同じことをさりげなく繰り返しながら兄を説得しておりました。兄はお客さんには愛想がいいので、いとも簡単に「ええ、いいですよ」とさわやかな二つ返事。保健師さまは「じゃ、センターの主任と相談してまたお電話しますね」と、小躍りしてお帰りになりました。
というわけで、次回は~行ってきました兄とデイケア見学編~をお届けしましょう。兄の脳の低下が目に見える形でわかり、わたくしドン引きいたしました。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ