連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第15回 母のショートステイ」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。

 父の亡き後、1人暮らしをする母を通いながら支えてきた飯田さんだったが、突然やってきた愛犬の死という悲しい出来事も起こり、母の1人暮らしは厳しいものになってきた…。母、娘、それぞれがお互いを思いやりながら、それでも複雑に揺れる気持ちを赤裸々に綴ります。

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 * * *

ペットロスと母の認知症

 暖冬とはいえ、やはり冬の1日は短く、独特の寂しさがナナの喪失感と共に骨身にしみた月日を過ごしている。

 そんなある日のこと、小包が届いた。友人のハーバリストが私のペットロスを案じて贈ってくれたものだった。

 開けてみると、小さなスポイト付きのボトルが数本と彼女の故郷の丹波の森の木の葉で作られた素敵なリースが入っていた。

 ボトルは、英国で70年前に生まれた植物民間療法で、植物が持つ独自の波動で人の心身を調整するレメディー(治療薬)だ。

 ハーバリストとして、ハーブのもたらす力を学んで来た私は、このところしばらくは、お茶も抗鬱作用があるといわれるセント・ジョーンズワートやカモミールを飲み、心を落ち着けていた。

 そして、ナナを撮りためてた写真にも助けられた。写真の中のナナはいつも嬉しそうにしている。愛くるしい視線も、毛皮の温もりも、もうここに取り戻すことはできない。けれど、写真を眺めているうち、いつしか悲しみは、楽しかった日々への感謝の感情へと変わっていくのだ。

 父の死後、母が一人で暮らしていた勝浦の家は、普通の住宅地とは違って、お隣近所が遠く、夜間はポツンと一軒家状態になってしまう。だからこそ自然は素晴らしく心が癒されていたのだが、母は認知症の症状が進み、食事を自分で作ることができなくなり、部屋のエアコンの操作も携帯電話も使えなくなってきた。普段の会話には支障はないのだが、自立した暮らしはもはや難しくなった。

 ケアマネさんに相談し、毎日ヘルパーさんに来てもらい夕食を作ってもらうようにプランを変更し、母が一人でいる時の部屋の中の様子や変化を報告してもうことにした。

 ある日こんなことが起こった。ヘルパーさんから「ご飯を召し上がりましたか?と聞くと『はい』とおっしゃるのですが、冷蔵庫の中も減ってませんし、食べた形跡がないのです」と連絡が入った。

 私が母に尋ねると、どうやら手仕事に熱中するあまり、お腹が空いたのかいっぱいなのか、食事を摂ったかどうかもわからなくなると言う。

「なんだか食べたくないのよ…」と母。案の定、体重は減り、主治医の検診時に鉄分の値が著しく低いと指摘も受けた。

 赤血球の鉄が減ると、脳に供給する酸素の量も減り、認知症へ影響するのだという。

「なんだか頭がボアーンとするの」。母が最近そう口にするのも頷ける。鉄分のサプリを購入し、食後に1錠ずつ摂取してもらうようにした。しかし、私がいない間に、食卓に置いたはずのサプリの袋が、窓際の棚に移され、輪ゴムがかけられていた。

「お鍋をまた焦がしていました」と、3度目の報告もあった。

 もちろん私であっても焦がすことはある。が、それが続くと、心配は嵩んでいく。

 私が勝浦にいる間は、母のこと細かな様子を確認するのに慌ただしく時が過ぎ、一つの問題が解決されるとまた次と、小さな問題事が続々と起こっていた。

 結果、自分の仕事に割ける時間は自ずと減り、長期の取材や出張も、もしも母に何かが起きた場合はキャンセルしなければいけない可能性もあるため、安易に進められない気分だった。

 フリーランスという立場は、勤め人より融通が利くのだと思うが、友人や鎌倉の叔母は「共倒れになってしまわない?」と心配をしてくれた。

 このような日々が続いていたある日のこと、夕食の後に「あなたの家に行くわ…。勝浦の家も庭は気持ちよくていいけれど、何かあった時周りに誰もいないし、夜にポツンと暗い中に一人は怖くて嫌だから…」と母が言い出した。

 私自身もひとまずは、そうする方向を考えていたところだった。こうして、母のベッドと当面の衣服をまとめ、母を私のマンションに連れてくることにしたのだった。

外房から内房までの1時間半のドライブは房総半島を横断するものだ。

「まだ着かないの?遠いねえ。ここを何度も行き来してたんだから大変だったはずね」

 つづれおりの山のカーブのハンドルを握り、ひた走る私に母が言った。

新たな母との暮らし

 マンションの部屋は私の暮らしの場であり、かつ、仕事場でもある。かろうじて引き戸で部屋を区切り、その一つを母の寝室にした。

 私の仕事はダイニングテーブルですることにし、作業デスクを海が見える窓際に置き、母の布仕事ができる場所用に設えた。

 水平線を行き来するタンカーや船を眺め、母は、若い時代に勤めた貿易会社で船の貨物の書類作成でタイプを打っていた頃に想いを馳せる日々が始まった。

「マンションは鍵一つで楽だし、管理人さんも1階にいるから安心だわ。」

 朝は7時過ぎに起床し、朝食はご飯に具沢山の味噌汁、納豆、卵料理と、母は私が作ったものはしっかりと食べてくれる。

 食後は数年前から母の好みの玄米茶を飲み、それぞれの仕事時間に移る。

 道の駅に新鮮な野菜や魚の買い物に行く時にも母を車に乗せて連れ出した。外房の海と違う内房の穏やかな海岸を散策し、海の向こうの富士山に感動したり…。もうすぐ90歳になろうとしている母と私の新しい暮らしの日々こんな感じで始まった。

 母は基本的に朗らかで楽観的な性格なので一緒にいて暗い気持ちになることはない。

 しかし、どうしたことか、目に入るものを思うままに別の場所に移動してしまう癖があるようだった。

 それは母なりの価値観や美意識に基づくやり方なのだろうが、私の仕事に関するものも同じく移動してしまう。

「あれ?ここに置いておいたものは?」
「さあ…?」
「あ!こんな場所にあった。私のものは動かさないでね」
「はい」

 母は何をどうしたか、ほぼ「記憶にない」らしく、動かさないで、というお願いにも「わかった」とその時には返事はするが、すぐに忘れてしまう。どうやら手が勝手に動いているようなのだ。

「トイレが流れないんだけど」と母に呼ばれ様子を見ると、山ほどのトイレットペーパーが詰まって水が溢れそうだった。

 そんな時に限って、母が「トイレ今すぐに使いたい」「じゃあ、1階まで降りてエレベーターホール脇の使おう」と母を連れてエレベーターに乗った。尿もれパットも小さなものだけで済んでいる母なので、トイレの使い方のトラブルという事態は全く予想していなかった。

 管理人さんから器具を借り、なんとかトイレは直ったが、その時、私の脳裏には今後の不安がよぎった。

 今までは起こらなかった事態が起きる理由には、勝浦の自宅から娘の部屋へ移ったことが、少なからず影響しているに違いなかった。

 友人が「老人を家の中心に置いてあげると良い」と昔からの言い伝えを教えてくれたことがある。

 とすると…。勝浦の母の自宅は、元々父と母の別荘であり、そこに娘が訪ねる、つまり母は家の中心にいた。

 しかし、私の家では母は、娘の家にやっかいになっているような状態。きっと慣れない環境で頭の中は混乱しているのだ。

 私がそのサポートをしなくてはいけない、そう努力はしつつも、一つの空間をシェアしながら過ごすので、仕事も食事も同時進行でこなしている時もある。自分にとっての負担が少しずつ積み重なり、逃げ場のない状況にならないとは言えない。

取材で訪れた南の島の生活から学んだこと

「こんな時、私がよく通った南の島、フィジーではどうするんだろうなあ…?」

 イライラした気分になると、それを想像し、思い描いてみた。

 かつての日本もそうであったように、時間の感覚はゆったりとし、経済的な豊かさよりも家族や人を大切にする島の共同体。老人の居場所も必ずある。手元でできる作業をしながら孫たちの様子を見守っている老人の笑顔も思い出す。

 フィジーでも盛んなラグビー。そのラグビーの精神、「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」。

 その精神そのままの村の営みを思い出した。

 しかし、今の私は「ワン・フォー・ワン」。オールを味方につけない限り、乗り越えられないこともある。

 悩んだ結果、デイ・サービスやショート・ステイを試してみよう、と判断し、家の近くの施設の見学に行った。ちょうど、海の近くに良い施設があった。家からも歩いて10分ほどで行ける距離だ。内部もリハビリ施設が充実し、広々とした空間が気持ちよく感じた。

 ケアマネさんにも連絡をとり、母も一緒にその施設の見学に連れて行き、ひとまずショートステイの予約を入れる。

 介護サービスの名前はよく耳にしてはいたが、どんなことをどんな場所でするのか、実際は想像すら及ばない自分だった。

 今まで私は旅や世界の文化の取材を数多く経験してきた。にも関わらず、老人や弱者が生きる世界はメインロードからは見えないものだと、最近つくづく感じることがある。この介護施設もナナの散歩の道すがらよく通っていたのに、中の様子は全く想像できなかった。

 母としてもその不安は同じで、どんな場所で実際に自分がどうなるのか不安があったのだろう。そして見学の時には「いい感じじゃない」と言っていたが、家に戻るとその記憶はほぼ消え去り、施設へ行くということの不安だけが残っていた。

 それから数日間、食事中や事あるごとに母は言うのだった。

「私はね、今までずっと団体生活をしたことないでしょう?女学校で寮生活もしたこともないし…。施設での暮らしは難しいと思うの…。友達もね、あなたは施設には不向きよ、そう言われたのよ…」と。

「まずは体験してみようよ。長い間ずっと入るわけではないのよ。それにここから歩いても行ける近さだからね、安心して」

 そう諭しても説得力もない。

母、風邪を引く

 40年前、母が祖母の介護をしていた時、祖母が時折入所した昭和の施設の惨めさが焼き付いているのだろう。今はそんな場所は見当たらないが、母の中の「施設」のイメージは、姨捨山同様の感覚なのかもしれなかった。

 そんな心配からだろうか、母は風邪をひき、発熱し、夜中に咳が止まらなくなった。近隣の医師へ連れて行くと肺炎の手前の気管支炎であると診断された。

 そして、ショートステイも延期となり安静の日々を送った。

 普段は病気知らずの母だが、病は気から。よほどネガティブな気分になり免疫力が落ちてしまったのだろう。

 私は消化に良いお粥や生姜湯、ハーブティーやアロマテラピーの香りも導入し、母を休息させた。

 そして「ママ、しばらくは施設は行かなくていいからね」そう声かけした。まずはこの風邪を治す。それが先決となった。

 あまりに急激な変化に適応できないのが母の現状なのだ。そのことを自分の肝に銘じながら看病した。

 しかし、発病4日目にどうしても仕事で出かけなければいけない予定が入り、母一人で一夜を過ごすことになった。

 同じマンションに暮らす元看護師さんだった人に母の様子見を頼んでみると、運よく快いお返事をいただけた。

 食事を準備し、冷蔵庫に入れ、薬は白いA4の紙に黒マジックで、「朝、昼、夜」と書き、その脇にテープで留めた。

「これを毎食後に飲んでね」
「わかった、私は大丈夫よ」

 と、母を残し、家を後にした。

 翌日の朝のことだった。

「お母様、昨夜お薬を多飲されてしまい、朝、吐いたようです」とのメッセージがきたのだ。

 聞けば、紙に貼っておいた薬とは別に、私がテーブル上に置いていた処方薬袋の中から抗生物質を出し何粒も飲んだらしい。

 まさか!

 確かに袋をテーブルに置いてきたが、この事態は予想できなかった。

 薬の注意書きに「お子様の手の届かない場所に保管してください」とある。それは老人も同様に当てはまる。

 私は即座に帰宅の途についた。

 母の風邪の症状はまだ思わしくなく、寝込んでいた。きっと咳が苦しくて薬を飲んで良くなろうとしたのだろう。

 今までの母では考えられない行動が起きるたび、私の気持ちは複雑に揺れる。

「老いては子に従え」という格言もあるが、母としてのプライドも傷ついているに違いない。

 そんな風邪の看病の日々の最中、親友の一人からメッセージが入った。

「母が88歳で亡くなりました。風邪で入院していて、もうすぐ退院です、と医師から言われていた矢先でした。姿は全く元気なままで、今も気持ちの整理がつきません」

 友人にとって、かけがえのない存在だったお母様を私も知っていたので心が痛んだ。

 そして、すぐにでも友人の側にお悔やみで駆けつけたい気持ちだったが、今、傍には風邪で臥せっている自分の母がいる。

 母の顔を見ながら、いつ何が起きてもおかしくはない年齢なのだと思うと切なくなった。

お試しショート・ステイ

 風邪も収束し、いよいよ4日間のショート・ステイお試しの日がやってきた。

 予定を早く母に通知すると、あれやこれやと想像して、またネガティブな感情が湧き上がり「行きたくない」と言われるのは避けたい。

 母には申し訳なかったが、やむなく当日の朝まで伝えず、荷物を準備し、朝食の時に「今日出かけるね。施設に少し滞在してみようね」と話した。

「わかった。行ってみるよ。そこは家から遠いの?」
「いや、歩いても行ける場所よ。今日は天気がいいから富士山も海の向こうに見えるかな?ちょっと眺めてから行こうか」

 海の空気を吸ってリラックスして施設に向かうと、母はすんなりと建物に入っていった。

 施設では、担当の看護師さん、リハビリ療養士さんなどが揃い、ヒアリングと契約が1時間ほど行われた。

「お好きなものは何ですか?」
「リハビリでマッサージをするのは嫌がりませんか?」

 母の人柄、好みなどを伝えた。捺印した書類は10枚にも及び、施設内でやむを得ず転倒した場合に責任を課さない、などの同意書だった。

 印鑑を押すたび、今や自分が母の保護者になったのだ、と親子の逆転を思った。

 その間の母を案じていたが、早々に先達の仲間を見つけ、まるで旧知の友のようにおしゃべりをしている。

「すっかり馴染んでいらっしゃいますよ」と、施設の方が微笑みながら伝えてくれた。

 嬉々として喋っている母の姿を遠目に見て、私は少し驚いていた。あんなに不安がっていたのに、現実は違ったのだ。

 施設の明るいインテリアや雰囲気…。一緒のテーブルについた方の中に編み物をしている方がいて、手仕事好きの母を快く受け入れてくれたからかもしれない。

 思えば、勝浦で父と別れてから今まで、同年代の女性との会話はなく、数年ぶりの同世代同士のおしゃべりなのかもしれない。母も本当は人恋しかったのだ。

 私は安心して「じゃあね、ママ。また夕方に来るからね」と伝え施設を離れた。

(つづく)

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写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

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この記事へのみんなのコメント

  • くのいち

    あの年末の時の話しかな~と思いながら読ませて頂きました。 お二人の二人三脚の映像がみえました。どちらが転んでもダメ、でもスピードとお互いあわせ足並みを揃えれば、超えられない壁はないと思います。 一歩づつ! また、お母様に会いたいな。

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