音信不通で、不仲の親が倒れた!あなたならどうしますか?
現在、認知症の母を岩手ー東京の遠距離で介護をしている工藤広伸さん。祖母と母のダブル介護の経験もある。家族の立場で”気づいた””学んだ”さまざまな介護心得をブログなどで公開し、新聞、テレビなどのメディアでも話題だ。当サイトでも、現役介護者ならではの視点で数々のエピソードや情報をシリーズでご紹介。
このたび、工藤さんは、母に加え、父親の介護が始まったという。祖母、母につづいて父。特に父の介護にあたっては、複雑な事情があると語る工藤さん。さて、その胸中とは…。
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不仲の親が倒れた時、あなたならどう対応しますか?
今までのコラムは、仲のいい認知症の母親のことを書いてきました。しかし今回は、4年近く音信不通だった不仲の父(現在75歳)が突然倒れた時、わたしがどう対応したかというお話です。
尊敬していた父が、母・祖母を残して突然家出
わたしが小さかった頃は、父を尊敬していました。どんなに仕事が忙しくても、週末は必ず遊びに連れて行ってくれる子煩悩な父でした。
そんな父が突然、母と祖母を実家に残して家を出ました。今から26年前、わたしが大学へ進学した時のことです。実家のある盛岡市内に、別でマンションを購入し、一人暮らしを始めたのです。家出の理由は未だによく分からないのですが、婿として肩身が狭かったのかもしれません。
それから16年後、今から10年前に、父は突然倒れました。
1回目の介護離職の理由は父
その時、父が倒れた原因は、脳梗塞でした。わたしは、脳梗塞の後遺症で苦しむ叔父を知っていましたので、父の場合も長期の介護が必要だろうと覚悟しました。
私の1回目の介護離職は、この時です。34歳でした。
病院に早く行ったこともあり、父は日常生活を送れるまで回復し、わたしは、再び仕事に就くことができました。後遺症が心配だったため、年数回は父と連絡を取るようにしていました。当時は、疎遠とはいえ、仲が悪いわけではなかったのです。
しかし、それから4年後のことです。わたしが2回目の介護離職をしなければならなくなったとき、ある事件が起きます。
祖母と母の介護で父と人生最大の大ゲンカ
2012年、祖母が子宮頸がんで倒れ入院し、同時に母が認知症になりました。そのことを父に伝えると、「俺の顔を立てて、親族の葬儀屋を使え」と言いました。
「これから闘病生活に入るばあさんに対して、何てことを!」とわたしは激怒し、それ以来、父とは口をきかなくなりました。
この大ゲンカで、わたしは父に頼らず、主介護者として祖母と母の面倒をみようと改めて決意できたので、今となってはいいケンカだったと思っています。
それから1年後、祖母は亡くなりました。祖母の死を、父には連絡しなかったのですが、葬儀社から聞きつけた父は、祖母の前に現れました。
その時の父は、久々に会う認知症の妻(わたしの母)を見ても反応がなく、葬儀のやり方に口だけ出して、お通夜、葬儀、火葬はすべて欠席しました。
葬儀が終わった後、わたしに電話して来た父は、亡くなった祖母への恨み節を言い始めました。こういった言動に再び激怒したわたしは、もう二度と父に会うことはないだろう…そう思いました。
共に暮らした妻が認知症になろうが、実母ががんで倒れようが、何もしなかった父。もう父がどうなろうと知ったことではない…これがわたしの正直な気持ちだったのです。
父、再び倒れる!
「父が倒れて、緊急手術することになった」
2017年6月、妹からの一本の電話で、4年ぶりに父の状態を知ることになりました。
4年前の大ゲンカを昨日のことのように覚えていたわたしでしたが、父が入院している岩手の救急病棟へと向かいました。医師から示された経過説明書には、いつ死んでもおかしくないという文言がびっしりと書かれ、死を覚悟し、集中治療室でたくさんの管につながれた父と、久しぶりに再会したのです。
その後、2週間の病理検査を経て、結果、父は悪性リンパ腫(血液のがん)ということが判明し、1か月から3か月という余命宣告をされました。抗がん剤を投与して治療すべきなのですが、体力的にもたず余命が短くなるため、痛みをとる緩和ケアによる治療を行おうとしている段階です。
どんなにケンカをしても、どんなに離れていても…
家出をして自分勝手に生き、亡くなった祖母に対して暴言を吐く父…。それでも、わたしは、完全に見放すことはできませんでした。育ててもらった恩を感じているのか、息子としての責任を果たしたいのか、自分でもよく分かりません。
ただ、死にゆく人にムチは打てず、弱った者を優しく見守りたいと思うのが、人間の本能なのだと思います。
長く離れて暮らしたことで、父の最期に冷静に対応できる自分がいます。祖母の看取りを4年前に経験しているから、落ち着いているというのもあります。しかし、もし仲のいい認知症の母が同じ状況になったら、情に流されて冷静な判断ができないかもしれません。離れて暮らしたから、不仲だからこそ、冷静に対処できるのだと思います。
父は、まだ意思確認できる状態です。できる限り本人の意思を尊重して、命を閉じようと考えていますが、急な体調の変化ですべてを叶えてあげられないかもしれません。
命の重みは、悪化した関係をも一変させる
不仲の親が倒れた時、今までの恨みや憎しみはどうなると思いますか?
すべてを消し去ることはできませんが、弱った親の姿を見たら、わたしのように過去の事とは関係なく、駆けつける方も多いのではないでしょうか? 命の重みは、不仲の親との関係をも一変させる力があるように、わたしは思います。
今日もしれっと、しれっと。
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工藤広伸(くどうひろのぶ)
祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母(認知症+CMT病・要介護1)のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士、ものがたり診療所もりおか地域医療推進室非常勤。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(http://40kaigo.net/)