兄がボケました~認知症と介護と老後と「第83回 今週のあれこれ」
ライターのツガエマナミコさんが、兄の介護を通して思うこと、感じたことのあれこれを綴るエッセイ。今回は、最近得たプチ情報を50代で若年性認知症を発症し、67才になった現在は特別養護老人ホームで暮らす兄の近況と併せて報告してくださいました。
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「不知火」って神秘的
「なくて七癖」などと申しますが、わたくしは、袋という袋を細長く折りたたんで、その後まるで神社でおみくじを結ぶかのようにきれいにひと結びし、ゴミ箱に捨てるのが習慣でございました。
そうしようという強い信念があるからではなく、ほぼ無意識に、テレビを観ながら、あるいは友人と会話しながらでも、目の前にプラ袋があれば、その大小にかかわらず、おもむろに畳んで結ぼうとしてしまうのです。
体に染みついた習性であり、ついやってしまう衝動。その始まりを紐解けばプラゴミの嵩を減らすための行為だったと思います。少しでも小さくした方が、ゴミを出すにも収集する人にも好都合だと思って疑いませんでした。
ところが、つい最近になって、それは真逆だったと知りました。プラゴミはプラスチック資源。リサイクル工場では、風などを使って素材を分別する工程があり、小さく結んでしまったプラ袋は、その工程の中でうまく分別されないと知りました。
「プラスチック資源はフワッとさせておくのが正解です」
現役のゴミ清掃員で、お笑いコンビ「マシンガンズ」で活躍されている滝沢秀一さんも自身のXでそうコメントされていました。
リサイクル工場の分別工程まで考えが及ばなかったことを深く反省し、わたくしは今、目の前にプラ袋がバーンと手足を投げ出して待ち構えていようとも、折り畳まないように必死に堪えております。これからは社会のため、イヤ、地球のため、プラゴミはフワッとしたまま捨てることを誓います!
最近知ったことに「デコポン」もございます。
あのプクリと出っ張った部分が愛らしい柑橘類が「デコポン」という名前で売られていることは知っていましたが、それが品種名ではないと新たに知ったのでございます。
「はっさく」や「甘夏」といった品種名でいうならば、あれは「不知火(しらぬい)」であり、「デコポン」は「不知火」の中のいわゆるブランド名。産地の農業協同組合が定めた糖度や酸度の条件を満たしものだけが「デコポン」として流通しているそう。最近になって店頭でチラホラ「不知火」という表記を見るようになったので、てっきり不知火がブランド名だと思っていましたが、逆でした。
それにしても「不知火」という品種名のなんと神秘的なことか。この響き、この字面にそこはかとないロマンを感じてしまったのはわたくしだけでしょうか?
熊本県観光サイト「もっと、もーっと!くまもっと。」によりますと、「不知火」はそもそも熊本の一地域でみられる蜃気楼の一種だそうでございます。気になる方は調べていただければ幸いでございますが、日本書紀にも記されている逸話があり、その逸話に由来する地名が「不知火」。その地域で、最初に産地として穂木が持ち込まれ栽培されたので「不知火」という品種名で登録されたのでございます(※)。
※JA全農えひめサイトhttps://www.zennoh.or.jp/eh/food/Introduction/ssi/fruits/dekopon.html参照
そのほかにも、不知火といえば大相撲の横綱土俵入りの型のひとつが「不知火型」ではありませんか。「なんで不知火型なの?」と気になりますが、キリがないのでやめておきましょう。でも1つの単語が多方面に広がるこういう言葉に出会うと嬉しくなってしまうツガエでございます。
今週も兄の顔を見てまいりました。
ここ2週間はてんかん発作の報告はなく、落ち着いております。ちょうどお部屋でスタッフさまが兄におやつを食べさせてくださっているところだったので、わたくしがバトンタッチしておやつ介助して参りました。
意味もなく笑いかけ、意味もなく「よかったね」といい、道化のようにおどけて、兄の手や足をさすっている自分は、数年前は想像できませんでした。そんな白々しいことは死んでもしない自信がありましたし、「早く施設に入ってくれ」としか思っていませんでした。今はなんの躊躇もなく兄の顔を撫でられます。週に1回だからできることかもしれません。「お父さんに似てきたね」というとちょっと笑顔になる兄。「私はどう?お母さんに似てきた?」というとスンと無視する兄。「何よ、それ」とこちらが言うのを計算してのことではないと思うけれども、この空気ごと目に焼き付けたいと思いました。
来週も元気でいてくれますように。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性63才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現67才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ
