《自宅マンション火災から4か月》林家ペー・パー子夫妻が「神田の町会で漫談」 なぜ町会?苦難を乗り越えて実現することになった裏側
昨年は自宅マンションの部屋が火事で全焼した林家ペー・パー子夫妻。その1か月前、ふたりには「町会での漫談」オファーが舞い込んでいた。一時は頓挫しかけたが、年明けようやく実現したという。元マネジャーでライターのオバ記者こと野原広子氏が開催までの裏側について綴る。
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ペーさんに「町会での漫談」のオファー
「ぺーさんに来年1月の町会の敬老会で漫談をしてもらうなんて、可能かしら」
あれは昨年8月の終わり、スポーツセンターのストレッチ教室でのこと。私の講演会に林家ぺーさんがゲスト出演してくれたと仲良しのMちゃんに話したら、すぐにこんな反応が返ってきた。なんでも町会の副会長Tさんがぺー・パー子夫妻の大ファンで「出来ることならお願いしたい!」と言い出したのだそう。
ところで町会、はいってますか? 私は入ったことがない。てか、これほど縁がない会ってあったかしら。茨城から上京して50年。結婚していた20代のほんの短い間は別として、ずっと賃貸生活をしてきたので「町会に入らないか?」と声が掛かったこともない。そればかりかそこで何が行われているか想像したこともなかったの。
とりあえずぺーさんに聞いてみたら「いいんじゃない」とあっさり言う。「神田の町会って興味ある」と言うの。ぺーさんも町会に入っていなかったのよね。それであっさり決まった「町会の敬老会で漫談」だけど、なんたってまだ暑い盛り。「来年の話? 鬼が笑うよ」と現実味がなかったの。
話はそれるけど、数年前から私にもありがたいことに地方自治体から講演会の依頼がボツボツと入るようになったんだけど、お役所からの依頼も早いよ。今年の年明け早々、電話をしてくださったのは9月開催の講演会のことだもの。季節、3つ変わっちゃう。
それが世間の常識なんだよね。ところが私が長いこと身を置いてきた週刊誌の基本は、今が今。取って出しよ。これを45年も続けて来たら数か月先のことなんかイメージできなくなるの。なので先の仕事は、近くになったら決めたらいいんじゃない? とのんびりとかまえていた。
昨年9月にペーさんの自宅マンションが火災
しかし、ほんと、人間、何があるかわからないねぇ。思えば7月にぺーさんから25年ぶりに連絡があったのも青天の霹靂だったけど、その2か月後に起こったことと、それからの3か月間はわが生涯、指折りの激動期だったと思う。
9月19日、ぺーさん宅火災のニュースから私は毎週の連載以外、自分のスケジュールが立てられなくなった。それと自炊ができなくなった。自炊って今日のことしか考えてないときはできないんだよね。たとえば今日買った白菜を半分、浅漬けにして明日は残った半分で鍋にしようとか、つながりが出来てこそなの。今日、どこで誰と食事をするかわからない状態が続くと成り立たない。
幸か不幸か、うちのマンションの1階は「なか卯」。卵と海苔、漬け物つきのこだわり卵定食はなんと、税込で320円だよ。自炊なんかやってられっかい!と、まぁ、グレたんだね。
打ち合わせが全然進まない…
が、しかし、私以上に明日がどうなるかわからなかったのがご本人の林家ペー・パー子夫妻のおふたりよ。人前だと元気を装うのは長年の芸人生活で身についているけど、近くで見ていると当然だけど気持ちのアップダウンがある。「神田の町会のことだけど」と打ち合わせをしようとしても、「ああ、あれね。やるわよ」と言ったきり心ここに在らず。今年の年明けまではそんな感じだった。
その一方で、町会の方からは「顔合わせをしましょう」から始まって「細かなことを決めましょう」という会合が2度、3度。聞けば町会には青年部、婦人部、福祉部などいくつかあってそれぞれ部長、副部長がいる。
昨年暮れのこと。「夜警の時に炊き出しがあるから来ない?」と婦人部の部長のナツエさんからお誘いがあった。夜警とは「火の用心」と言って拍子木を鳴らして町を練り歩くあれ。その時に町会の会館でお餅を焼いたり、鍋を作ったりするというの。
茨城の田舎では、子供の頃に会館で料理をして地域の人が集まったりしたけど、何十年か前に廃れてる。それが花のお江戸の真ん中、神田に残っているっていうんだから、そりゃあ、歩く野次馬の私は行かないわけがないって。
「ギター漫談をするのに音源をお願い」
そうこうするうちにだんだん開催日が迫ってきた。ぺーさんは暮れからお正月にかけて寄席を掛け持ちして、その間に営業が入ったり、私がインタビューを入れたりで大忙しだ。忙しいと元気になるのは個人事業主、共通のこと。
「神田のことだけど、心配ごとはある?」と聞くと「音源を用意して。ギター漫談をするのにどうしても必要だからそれだけはお願い」と、要求が具体的になってきた。こうなったらもう大丈夫なんだよね。
当日。主催の福祉部の副会長Tさんはバカバカしいほど大きなピンクの蝶ネクタイをつけて車でぺーさん宅にお迎えに上がった。「あははは」とぺー・パー子夫妻。まずはつかみはオッケー。パー子さんはすごく元気で美しい。
で、私はMCとマネジャー業を兼務。声を張り上げて盛り上げたら、ぺーさんの昭和歌謡漫談が快調に笑いを巻き起こして、あはは、ヒャハハと会場中が揺れた。そして恒例の写真タイムになったら笑顔、笑顔が次から次で終わらない。
その様子を見ながら、肩の力が何段階も抜けた気になった。あの火事の日から4か月。ようやっと大きな山をいくつも超えて、村に戻ってきたような安らかな気持ちになったのでした。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。2021年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。実母の介護も経験している。
