「脳のために睡眠が必要」説に脳神経外科医が疑問を呈する「脳は活動モードの器官。必ずしも休ませる必要はない」
「睡眠不足は認知症の原因になる」──そんな説があることをご存じだろうか。しかし、脳神経外科医の東島威史さんは、この説に疑問を投げかける。睡眠不足と認知症の関係は、私たちが思っているほど単純ではないというのだ。実際には、認知症が原因で睡眠障害が起きている可能性もある。さらに東島さんは「眠らない脳こそ、老いない脳」という独自の理論を提唱している。
睡眠と脳の関係について、一般的な常識を覆す東島さんの著書『不夜脳 脳がほしがる本当の休息』より一部抜粋、再構成してお届けする。
教えてくれた人
東島威史さん
脳神経外科医。医学博士。専門は機能脳神経外科(脳神経外科専門医・指導医、てんかん専門医)。トゥレット症候群やイップスなどの希少疾患をはじめ、パーキンソン病やてんかんに対する脳手術を多数経験。実際に脳に触れ、切除し、電気刺激をする経験から脳機能を学ぶ。臨床の傍ら研究費を取得し、大学の研究員として脳機能研究も精力的に行う。2019年から横浜市立大学附属市民総合医療センター助教、2025年より横須賀市立総合医療センターに「ふるえ治療センター」を設立、センター長を務める。また、プロ麻雀士の顔ももち、脳の機能と活性化について臨床研究にいそしむ。2020年から子ども麻雀教室で行った研究で「子どもが麻雀をすると知能指数が上昇する」ことを示し、心理学のジャーナルに論文を発表した。著書に『頭がよくなる! 子ども麻雀』(世界文化社)がある。
* * *
「睡眠不足でアルツハイマー病に」は拡大解釈
「睡眠不足がアルツハイマー病の一つの原因」というのは、拡大解釈であり、正確に言うなら、「睡眠不足とアルツハイマー病のなりやすさは相関する」となる。
この2つは、似ているようで全く違う。たとえて言うなら、「幼少期にバレエを習っていた子どもの多くは大人になったときにお金持ちになっている割合が高い」という結果があるとする。だからといって、「将来、お金持ちになれるように」と、バレエを習わせる親はいないだろう。「そもそも、お金持ちの家だからバレエを習わせている可能性が高い」と考えるのが妥当だ。
アルツハイマー型認知症についても、同じことが言える。この病気は、認知機能の低下よりも先に、脳の視索前野が障害されることがわかっている。
視索前野とは「睡眠中枢」で、眠りの司令塔だ。もしもアルツハイマー型認知症を発症していると、「眠りなさい!」と体に命じる司令塔がやられて、眠れなくなってしまう。
つまり、睡眠不足の蓄積がアルツハイマー型認知症につながるのではなく、「認知症の初期症状」として睡眠障害が現れている可能性がある。因果関係が逆なのだ。
また、僕が出会ってきた「頭の良い人たち」の多くは若い頃に睡眠時間を削って猛勉強していたはずだが、そういう人が認知症になったという話はあまり聞かない。
それなのに「睡眠不足で認知症に!」という話が都市伝説のごとく広がっている。やや乱暴ではないかと僕は思う。
脳は体を「寝かしつける」保育士
脳の視索前野は、体を睡眠へと導き、眠りを維持するために働き続ける。
たとえて言うなら、保育園の「お昼寝の時間」に、子どもたちを寝かしつけ、寝ている間は事務作業などをしながら、子どもたちが起きてしまわないように見守っている保育士のようなものだ。体という「子どもたち」がしっかり眠っているかどうかを、脳という「保育士」は睡眠中もずっと見ている。
脳波をとってみればわかることだが、電気活動的にも、脳は決して静止していない。
「そんなこと言ったって、脳は眠っている間に老廃物を除去している」
「睡眠中に記憶を定着させたりしているのでは?」
「脳が眠らなければ、メンテナンスも記憶の整理も行われない」
もちろんこのような反論はあるだろう。「脳に睡眠は不可欠だ」と。
だが、本当にそうだろうか? 生物進化論をヒントに、僕は考えてみた。
睡眠状態が「生物のデフォルト」
人間、ネコ、イヌなど、哺乳類の胎児も睡眠状態にある。胎児には脳があるが、まだ発達段階であることは言うまでもない。さらに、ヒドラやクラゲ、線虫といった「脳をもたない生物」も睡眠状態になることは、『睡眠の起源』(金谷啓之/講談社現代新書)でも紹介されている。
脳が未発達の胎児も、脳がないヒドラも、眠っている。ここから、「脳ができる前から、体は眠っていた」と考えることができる。
40億年前に地球に出現した、最古の生物であるバクテリアには脳はないし(あったら怖い)、20億年前に誕生したアメーバも脳はない。
これらの生物は、最初は眠りとも言える「休息モード」にあり、次に栄養を得て増殖する「活動モード」になり、最後に栄養を使い果たして死んでいく「休息モード」で生涯を終える。
つまりアメーバの一生のデフォルトは「休息モード(眠り)」だ。
6億年前になると、神経はあるが脳はない生物に進化し、ヒドラやクラゲという刺胞動物が誕生する。彼らも「休息モード」と「活動モード」を繰り返すが、ほとんどは「休息モード」であることがわかっている。
5億年前に誕生した昆虫やカニのような節足動物になると、ようやく原始的な脳のようなものができる。だが、彼らも依然として「休息モード」がデフォルトだ。
ここからどんな仮説が導けるだろう?
「脳がなくても、クラゲは眠る」のは事実だ。この事実を、こう言い換えてみたい。
「脳があるのに、人は眠る」と。
生物のデフォルトは「休息モード」で、脳が誕生することで、「活動モード」が増えていった。つまり、脳はそもそも「活動するために新たに加わった器官」ではないだろうか?
「脳のために睡眠が必要」は本当か?
僕は、「脳のために睡眠が必要」という説には疑問を感じている。
睡眠はあくまでも「体のための冬眠状態」「エネルギー節約のためのシステム」である可能性が高く、脳は切り離して考えるべきだ。
たとえば代謝効率が悪い「脳なしクラゲ」は、なるべく動かずに漂い、休息モードをデフォルトにしてエネルギーを節約している。
「脳っぽいものがある虫」は飛ぶにも動くにも筋肉を酷使するから、休息モードをデフォルトにしてエネルギーを節約している。脳がある爬虫類、鳥類、哺乳類も、活動すればエネルギーを消費し、外敵に襲われるリスクも高まるから、体を休ませる。
どんな生き物も、体を休ませないと、生き延びては来られなかった。
ただし、進化の果てに獲得した「脳」は別だ。
脳は「休息モードがデフォルト」の体に、進化によって新たに加わった、「活動モードの器官」なのだから、必ずしも休ませる必要はない。
睡眠とは脳のためというより、「体全体の効率的なエネルギー管理システム」だ。脳は体の眠りを保育士のように監督しながら、24時間、活動を続ける。
さらに、活動のために生まれてきたのだから、脳は活動しないと衰えてしまう。
「眠らない脳こそ、老いない脳」なのだ。