兄がボケました~認知症と介護と老後と「第41回 今週は悲喜こもごも」
50代で若年性認知症を発症した兄を長年サポートしているライターのツガエマナミコさんが、日々の暮らしや介護についてを綴るエッセイ。昨年夏から特別養護老人ホームに入所した兄のところへ週1で面会に通うマナミコさんは、兄の体調とご機嫌が気になるこの頃です。
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「もしや、わたくしは誰よりも幸せ者なのではないか」
新宿西口から南口へ行こうとして駅構内を1時間近くさまよいました。新宿駅は複雑で広く、これまでも何度迷子になったか数知れません。そこへきてさらに今、再開発とやらで大規模工事を展開している新宿駅はもはや迷宮でございます。どの壁も養生された白い壁で、地上に出ても行きたい方向は行き止まり。南口に行きたいわたくしをあざ笑うかのように西口と東口を行ったり来たりいたしました。なまじ時間が余っていたのも運のつきで、意地になって歩き、そんな日に限って新しい靴を履いてきてしまったことを後悔いたしました。素足に見事な靴擦れを作ったのは久しぶりでございます。
その後、奇跡的に南口にたどりつきましたが、どこをどう歩いたのかはわかりません。周囲の方々もみな立ち止まってスマホと頭上の案内表示を交互に見て自信なさげでございました。改めて、新宿駅には新しい靴を履いて行ってはいけないと学習した次第です。
嬉しかったのは今週の兄です。
久しぶりに車イスに乗り、みなさんと一緒にリビングにいる姿を見ることができたのです。ここ数週間、面会ではベッドにいる兄しか見られなかったので、「もうベッドから出られないのかしらん」と気がかりだったのですが、車イスに乗せてもらえてホッといたしました。「今日はご機嫌なんですよ」とスタッフの方がおっしゃるように、わたくしの顔を見ると手をたたいてニコニコしてくれました。顔つきもすっきりと晴れて、いつになく笑顔が自然で、思わず「男前になったんじゃない?」と言ってしまいました。
しばらくお部屋でおしゃべりしたときも終始機嫌が良く、帰り際もわたくしが手を振ると振り返してくれ、廊下を出ていくわたくしをしばらく目で追ってくれました。いつもはまっすぐテレビの方を向いて、帰るわたくしのことなど眼中になかったのに…。
小さなことが幸せに思えることは、豊かな人生だなと思います。「もしや、わたくしは誰よりも幸せ者なのではないか」と62歳のここへきてうっすら勘づいてまいりました。
分譲マンションに一人暮らしで、自分のことだけ考えていればよく、とりあえず健康で、友人と呼べる人もほどほどにおり、日々のご飯に困らないくらいの生活ができている。なにより兄が施設でお世話してもらえているこの幸運! わたくしが幸せ者じゃなくて誰が幸せ者でありましょうか。
そんな浮かれた気分で帰ってきた夜、90歳越えのご両親と3人暮らしをしていた友人から「父親が亡くなりました」というLINEが届きました。長い間がんを患っていて入退院を繰り返していらしたので、彼女も覚悟はしていたようでございます。
ここ数年は、彼女と会えば介護の愚痴ばかりでしたが、これからは寂しくなることでしょう。でもお母さまのケアは続きますし、今頃バタバタと忙しいはずでございます。
小学生のころはしょっちゅうお宅に遊びに行って顔を合わせることが多かっただけに、近しい親戚のオジさんを亡くしたような喪失感がございます。
訃報を聞いて、自分の父親が亡くなったときのことを思い出しました。交通事故に遭ったと警察から電話があったこと、入院中に急変で駆け付けて2~3日病院で寝泊まりしたこと、親戚が集まってくれて大勢が見守る中で亡くなったこと、思い出したくないくらい父が苦しそうだったことなどなど。すでに認知症だった母は勝手なことをするので目が離せない状態でしたし、思い起こすと「よく頑張ったわ」と自分をほめたい気持ちになります。
友人のお父さまは、何年も前にお墓を用意されており、何度かそこへ友人とともにお掃除に伺ったことがございます。準備万端というのも変ですが、行き場所が決まっているのは自他ともに安心でございましょう。
親を見送れるのも子の幸せでございます。寂しいですが、順番ですから。
まぁ、わたくしの妄想では、父親同士、片手を挙げて「いや~どうもどうも。久しぶりですな」と挨拶を交わしている画が見えておりますけれども。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性62才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現66才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ