「介護は愛情だけでは無理」エッセイスト・岸本葉子さんが5年の在宅介護で痛感「家族の絆」を美談にせず、知識こそが重要と訴える理由
エッセイストの岸本葉子さん(64歳)は、認知症の父親を約5年間、在宅で介護した。誤嚥や排泄ケアなど数々の困難に直面しながらも、「鏡の法則」を意識するなどの工夫を重ねたと言う。その経験から、家族介護を美談にせず、知識を得て社会資源を活用することの大切さを語った。
在宅介護は驚きの連続だった
――父親が認知症だと気づいたのは、どのような経緯でしたか?
岸本さん:認知症の診断は受けていないんです。これは加齢による物忘れなのか、それとも別の要因かなと思い始めていたのですが、一番大きなきっかけは、心臓の持病がある父が薬を飲んでいないことに気づいた時でした。これは単なる物忘れじゃないかもしれないと強く思いました。
――岸本さんはどんな介護をしていたのでしょうか?
岸本さん:5年間、在宅介護をしました。父が暮らすためのマンションを一部屋用意して、そこに私を含めた3人きょうだいで交代で泊まりこんで、父親を1人にしないようにしました。最後の頃には姉の20代の息子たち2人も手伝ってくれました。
初めの頃は、身体の衰えを防ぐために散歩に連れて行くことなどから始まりましたが、室内でも車椅子で過ごすようになると、ベッドへの移乗や排泄のケアといった介助が中心になっていきました。
――介護で大変だったことを教えてください。
岸本さん:いろいろありますが、1つは誤嚥していることに気がつかなかったことです。卵がゆを順調に食べているなと思って、ふと口の中を覗くと、細かく固まった卵を嚥下(えんげ ※食べ物を飲み込み、口から胃へと運ぶ一連の動作のこと)できず喉に溜まっていたんです。私たちの感覚からするとお粥の卵は飲み込めますが、それができない。これが誤嚥性肺炎に繋がるのかと驚きの連続でした。そのときの卵は吐き出させました。
5年間の在宅介護の最後の1か月間は一般病院に入院しましたが、そのきっかけも誤嚥性肺炎でした。なにか様子がおかしいと思って病院に連れて行って診断されたんです。「あれほど誤嚥に気をつけていたのに…」と医師に伝えると、「嚥下する力が衰えているので、少しずつ誤嚥しているものなんですよ」と言われました。
もちろん排泄のケアも大変でした。赤ちゃんのおむつと違い、大人は分量が多く、赤ちゃんのようにサッと拭けるわけではありません。私が準備している間に本人も気になって触ってしまい、その手で壁を汚してしまうこともありました(苦笑)。
漏れてしまうと、シーツからその下の防水シーツまで全滅です。洗濯物がすごい量になり、5年間で洗濯機が1台壊れてしまいました。少なくとも1日に2回は回すので、干す場所も足りません。梅雨時は浴室乾燥機を使っても追いつきませんでした。
認知症の父親が見ている世界に合わせて演技した
――介護をする時に意識していたことは何ですか?
岸本さん:最初はただ必死でしたが、ある時から「本人の見ている心の世界」に関心が向くようになりました。認知症は何も分からなくなると言われがちですが、むしろ感情は豊かになるそうです。だから父親が以前よりも繊細になっていることを前提に、例えば、「洗濯物が大変」というネガティブな話は、本人のいないところでするようにしました。
それから、「鏡の法則」も意識しました。自分の状態が鏡のように相手に反映されるという考え方です。介護する側の表情が相手に伝わるのなら、と笑顔を心がけました。とはいえ、いつも上機嫌でいられるわけではありません。そういう時には、普段は外でできないような、ちょっとした自慢話を父親にしていました。
例えば、「このブラウス最近買ったけど、素敵だと思わない?」といった具合です。父親はブラウスの価値は分かりませんが、私が楽しそうに話しているのがうれしいようで、ニコニコしてくれる。しかも、同じ話を何度しても機嫌よく聞いてくれるので、そこは最大限活かしました(笑い)。
それから、父親の話を否定しないことも意識していました。テレビに雪のシーンが映ると、父の中では冬になります。心配して「外の雪はひどいかい?」と聞かれると、「何を言ってるの、今は夏じゃない」と返すのではなく、窓の外を見て「たいしたことないよ」と答える。すると父親も安心するんです。こうして相手の見ている世界に合わせて演技をすることも大事だと思います。
家族だけの在宅介護を美談にしないでほしい
――岸本さんは、「介護は愛情や心ではなく知識がないとできない」とおっしゃっていますね。
岸本さん:介護が、愛情や家族の歴史といった情緒的な側面で語られ過ぎていると感じます。私が介護をしていた2009年から2014年の頃、新聞などで目にする介護の記事は、「若い頃の親子間の葛藤が、介護を通して和解に繋がった」といったストーリーが大半でした。
ファミリーヒストリーとしては真実であり大事なことでしょう。けれど、家族介護の本質はそこなのか、強い疑問がありました。重要なのは、そうした個別の物語ではなく、どの家族にも共通して役立つ知識です。例えば、利用できる公的サービスなどの社会資源に関する情報や、それを導入するタイミングといったノウハウです。
だから、「家族で介護するのが最も尊く、家族としても介護される本人としても一番得られるものが大きいんだ」というような誤ったメッセージを発信していないかと危惧していました。
もちろん、プロの手を借りるにしても、それぞれの資産状況によって利用できる範囲は異なります。それでも、公的な介護サービスでできることはたくさんあります。「家族だけの介護を美談として終わらせてほしくない」と強く思います。
◆エッセイスト・岸本葉子
きしもと・ようこ/1961年6月26日、神奈川県生まれ。東京大学卒業後、会社員、中国留学を経て執筆活動に。暮らしや旅、食、俳句などを題材に、知的で温かな眼差しで日常を綴るエッセイを数多く発表。2001年に診断された虫垂がんの経験を『がんから始まる』(文藝春秋)に、2014年の父親の看取りを『週末介護』(晶文社)に著し、共感と支持を得ている。
撮影/小山志麻 取材・文/小山内麗香