夜になると日中にあった“気まずいこと”をどうして考えてしまうのか? 脳神経外科医が解説する「脳の中で起こっていること」
誰しも頭の中に住み着いている「あの人」。顔を見るだけで、名前を聞くだけで、考えるだけでなんとも言えない気持ちになってしまう──。
そんなあの人のことを脳から消してしまうチャンスが睡眠だ。私たちの脳では、夜に眠っている時に何が起こっているのだろうか。現役の脳神経外科医が頭に住みついたあの人を忘れる脳科学的なアプローチを書いた『あの人を脳から消す技術』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けする。
教えてくれた人
菅原道仁さん
現役脳神経外科医。1970年生まれ。杏林大学医学部卒業後、クモ膜下出血や脳梗塞などの緊急脳疾患を専門として国立国際医療研究センターに勤務。2000年、救急から在宅まで一貫した医療を提供できる医療システムの構築を目指し、脳神経外科専門の八王子市・北原国際病院に15年間勤務し、日々緊急対応に明け暮れる。その後、2015年6月に菅原脳神経外科クリニック(東京都八王子市)、2019年10月に菅原クリニック 東京脳ドック(港区・赤坂)を開院。その診療経験をもとに「人生目標から考える医療」のスタイルを確立し、心や生き方までをサポートする医療を行う。脳のしくみについてのわかりやすい解説は好評で、テレビ出演多数。著書に『すぐやる脳』(サンマーク出版)、『そのお金のムダづかい、やめられます』(文響社)、『成功する人は心配性』(かんき出版)、『成功の食事法』(ポプラ社)などがある。
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夜になると「あの人」が現れる理由
「なぜ、夜になるとあの人のことを考えてしまうんだろう」
会社での出来事、言い争いになった場面、気まずい雰囲気になった場面、陰口を言われていると知った瞬間──。夜、ベッドに入ってから眠りにつくまでの間。日中はさほど気にならなかったはずなのに、「あの人」が突然頭に浮かんでくる。そんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
実は、これは脳の正常な働きによるものです。夜になると私たちの脳は「記憶の整理モード」に入ります。その日に体験した出来事、特に感情の揺れ動いた記憶を整理し、保存していく作業を始めるのです。
脳にとって、感情的な出来事は「重要な情報」として扱われます。上司との言い争い、同僚との意見の食い違い、家族との諍(いさか)い。こういった出来事は、私たちの生存や社会生活に大きな影響を与える可能性があるため、脳は特に注意深く処理しようとします。
さらに睡眠中も記憶の整理は行われます。その中心となるのが扁桃体です。
睡眠科学の第一人者でカリフォルニア大学バークレー校のマシュー・ウォーカー博士は、レム睡眠(浅い睡眠)中に扁桃体が活発に活動し、感情的な記憶の整理に重要な役割を果たすと語っています。
つまり、寝ている間にあなたの脳は、「感情的な記憶」を掘り起こし始めるのです。それは決してあなたの心が弱いからでも、考えすぎだからでもありません。
むしろ、脳が正常に働いている証拠です。
眠っているときに何が起こっているのか
では、なぜ脳はわざわざ夜に記憶を整理する必要があるのでしょうか。
夜間の記憶整理には、主に2つの重要な役割があります。
ひとつは「重要な記憶の選別」です。
その日に体験したたくさんの情報の中から、重要な記憶を選び出し、しっかりと保存する。特に、感情の揺れ動いた出来事は重要だと判断し、優先的に選ばれます。
もうひとつは「記憶の再構成」です。
新しい記憶を、すでに持っている知識や経験と結びつけ、より意味のある形に整理していきます。たとえば、次のような具合です。
「今日は、上司との話し合いのときに自分の意見をうまく伝えられなかった。先月も似たようなことがあったけれど、あのときは資料を用意して説明したからうまくいった。次回からは、話し合いの前に必ず資料を準備しよう」
このように、過去の経験と結びつけることで、より具体的な解決策に導きます。
さらに夜、私たちが眠りについたあとも、脳は活発に働き続けています。特に、記憶の整理と定着において、睡眠には2つの重要な段階があります。「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」です。
「ノンレム睡眠」は、深い眠りの状態です。
脳波が穏やかになり、体の機能が休息モードに入ります。このとき、脳は昼間に体験した出来事を「暫定保存」の状態から「長期保存」へと移し替えていきます。まるでスマートフォンの写真をクラウドにバックアップするように、その日の記憶を脳の長期保存領域に移動させていくのです。
「レム睡眠」は、夢を見やすい、浅い眠りの状態です。
このとき、脳は記憶と記憶を結びつけ、新しいアイデアや解決策を生み出そうとします。先ほどの例で言えば「資料を用意すれば、よりわかりやすく説明できる」といった具体的な対処法が、このときに形作られていくのです。
夢で感情を整理する
夢には「感情の整理係」としての重要な役割があると、世界中の睡眠研究者が語っています。特に以下の3つの機能が注目されています。
1.感情の無毒化
強い感情を伴う記憶を、より穏やかな記憶に変換していきます。たとえば、日中に感じた怒りや不安を、夢の中で様々な形に置き換えることで、その感情的な影響力を弱めていくのです。
2.解決策を探す
夢の中で様々なシナリオを試してみることで、現実の問題により良い対処法が見つかることがあります。「夢の中でうまくいった対応」が、実際の場面でのヒントになります。
3.記憶の選別
複数の記憶を組み合わせて、新しい気づきを生み出します。一見関係のない記憶同士が、夢の中で思わぬ形でつながり、新たな発想が生まれることもあります。
ハーバード大学のロバート・スティックゴールド教授は、「夢はただの空想ではなく、感情や記憶を整理するための大切な役割を果たしている」と考えています。
彼の研究によると、私たちが夢を見ている間、脳は日中に得た新しい情報や体験をまとめて、記憶として整理しています。
特に、強い感情を伴った出来事は、夢の中で処理されることで気持ちの安定に役立ち、心に活力をもたらすとされています。夢を見ること自体が、脳にとって欠かせないメンテナンスの一環だと言えるでしょう。