【シーズン2】兄がボケました~認知症と介護と老後と「第7回 不機嫌だったお兄ちゃん」
在宅で兄の介護、それも排泄のケアで日々奮闘していた妹でライターのツガエマナミコさんでしたが、昨年兄が施設入所したことで、今年は初めて兄のいないお正月を過ごしましたが、そのような中でも週一回、兄の面会に通うことは続けています。今回は、施設で久しぶりに見た「不機嫌な兄」を見て思うことを綴ってくれました。
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施設でおむつ替えをした兄を見て思うこと
今週も兄の施設へ面会に行ってまいりました。
先日、インフルエンザ感染者が出たという縦看板があり、「次回いらっしゃるときは、事前にお電話いただいたほうがいいかもしれません」と言われておりましたので、お電話したところ、「おかげさまで収束しましたので、大丈夫ですよ」とのことでホッといたしました。
施設に到着し、兄のフロアに行ってみると、食堂は珍しく誰の姿もなくガランとしておりました。
「体操とお歌で隣のユニットに行っているのかな」と、兄の部屋の前へ行くと、中で複数人の声があり、「え?」と思って身構えました。そのときスタッフお二人が扉を開けて出てこられ、「オムツ交換」をしていたとのことでございました。
イレギュラーなオムツ交換だったようで、なんとなく嫌な予感がしました。
案の定、兄は不機嫌で、いつもはニコッとしてくれるのに、じっとわたくしの顔をみて不信感たっぷりに睨んでおりました。「来たよ~」といつもの調子で入っていくと「なんだよぉ」と突っかかる態度でございました。その後も笑ってくれることはなく、話かけても「だめなんだよっ」とか「そういうのないんだから、ないの!」とご立腹が収まらない感じで、取りつく島もありませんでした。
15分ぐらいおりましたが「じゃ、そろそろ帰ろうかな」というと「はいはい、どうぞどうぞ」とつれない態度。久しぶりに兄にむかつき、早々に切り上げてまいりました。
「ああ、少し前までこのむかつきの中で毎日暮らしていたんだ」と苦い記憶が蘇り、わたくしまで不機嫌でございました。
兄がテレビの裏で放尿してしまわないか、食器棚にお尿さまをひっかけたりしないか、いつだって目を光らせて、でも防ぎきれずに、常に掃除をしていたそのむかつきに耐える毎日。それが今は過去のものでございます。過去になってくれたことが感謝であり、施設の方々には感謝してもしきれません。同時に「今はもう耐えられないな」と感じました。
てんかん発作以降歩けなくなったことは兄がわたくしにくれたプレゼントだと思っています。寝たきりになってくれたことで、本当に介護が楽になったからでございます。
歩き回っていたころは特別養護老人ホームから入所を断られましたし、「どこの特養さんも無理だと思いますよ」とまで言われてしまった悔しさは忘れられません。
そう思えば、今は天国。幸せの絶頂と言っても過言ではございません。
「これまで大変だったのだからこの年末年始は何もしたくない」と、暮れの大掃除もおせち料理も一切無視して新年を迎えました。兄が一緒にいない初のお正月でございます。
いつもは市販のおせちを買ってお重に詰めることぐらいはしましたが、今年はそれもせず、食事は普段通り。おせちをいただかない代わりに、冷凍ウナギでプチ贅沢を味わいました。
でも、そろそろ「甘えすぎだな」と思うようになりました。兄が施設に入所して5か月目でございます。「やっと介護から解放されたのだから」という大義名分でサボったり、贅沢をするのはもういい加減にしないと罰があたりそうだと思い始めました。
今年からは真人間にならなければいけないと思っております。時間ができた分、ちゃんと料理をし、掃除をし、この怠惰を改めないとどこまでも無制限にだらしなくなる。一人暮らしは気楽な分、そういう落とし穴があると感じています。
施設でのインフルエンザは一旦収束しましたが、「流行中!」の看板はまだデカデカと出ており、マスクと手指消毒が呼びかけられております。
先日は、電車の中でひどく痰が絡む咳をしている方がいて、その周囲から人がサ~ッといなくなる光景を拝見しました。どうか皆さまもお気をつけて。コロナ禍にはもう戻りたくないものでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現66才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ