【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第9回 母と孫」
写真家でハーバリストの資格を持つ飯田裕子さんによる、フォトエッセイ。
父の死後、一人暮らしになった母は、認知症という診断を受け、要介護2の認定も下りた。飯田さんは、ヘルパーさんなどの手を借りながら母を支えている。
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料理も、掃除も疲れてしまい、気力が沸かない母
話は少し遡るが、父亡き後、母の住む勝浦の家を母だけの家へと模様替えをした。
昨今、シンプルに小さく暮らす家がブームになっているが、人が1人で暮らすにはさして物はいらないと改めて気づく。そして、シンプルであれば物を探す手間も省ける。いわゆる時短にもなり、限りある時間を有効に使えるようになるというわけだ。
高齢になると、食器1つとっても、どんなお皿にどんな料理が合うかなどのコーディネートをするのも面倒になってくるようだ。母はもともと料理や食事に興味が薄い人ではあったのだが、今ではスプーン1本でなんでも済ませてしまう。
食べる物の種類や好みもますますシンプルになり、修行僧のように、2個ほど食器があれば事は足りるようだ。
若かりし頃の母は、戦後すぐ、衣服デザインを学びたくて京都の学校へと通った。しかし、最近は母の衣服コーディネートに、はてな?と思う時がある。
夏になるというのに、冬物のパンツを履いていたり、下に着るはずのTシャツを上に着ていたり、時折、妙なコーディネートになっていたりするのだ。
「認知症っていうけど、私は、認知出来ない、不認知症だわね」と、自分でも呆れている。
丸の内の外資系OLだった時代には「連日同じ服を着てくる人は野暮。日々違う服を着るようにしないと外泊したとみなされるからね。女性のたしなみですよ」と幼い私に諭していた母が、今では、毎日同じ物を着ているどころか、その格好のままベッドで朝まで寝てしまっている。
お風呂も私がいる時以外は「面倒臭くて寝てしまう」と、あまり入っていないようだ。
お風呂は、本来、疲労を回復させリラックスするもののはずだが、高齢になると、体力を消耗して、疲れてしまうらしい。
ご両親を看取った体験のある友人が、かつて「母は本当にお風呂はいらなくて困っちゃう!」と愚痴をこぼしていた事を思い出す。私が知るその友人のお母様は、小柄でおしゃれな美人という記憶しかなかったので、その話は信じがたかった。
しかし、実際に今、自分の母も同じ道を辿っている。これが、認知症の進行というのだろうか?
そして、いずれ自分も「お風呂が面倒になる」時がくるのだろうか…などと思いを巡らせるこの頃だ。とにかく、母は、料理も疲れる。掃除も疲れる。体力の問題もあるが、気力自体が湧かないらしい。
そして、母は難聴の度合いも進み、最近は大声で話さなくては聞こえない時が増えてきた。お喋りするのに、私が体力を使う。大声で出すと、まるで喧嘩しているようで、心中では違和感も生まれる。
英国に住む孫がやって来る
そんな暮らしが続く中、17才になる孫が来日するという連絡があった。私の弟の一番上の息子だ。弟家族は英国在住で、彼の母は英国人。高校での大きなテストが無事に終わり、夏休みに入ったというので、今回は親の同伴なしで、初めて友人2人と来日を決めたという。
母はその知らせを聞いた時から、喜びで心がいっぱいになったようだった。ヘルパーさんが来ると真っ先に
「孫が来るから手土産に布製品を作っているの」と話す。
孫は男の子が3人いる。彼らが幼い頃、母は布袋を作っては送っていた。彼らは、それを部屋にぶら下げて整理に使ってくれていたが、今はもう高校生や中学生。声変わりもし、背丈もかなり高いのだが、母の記憶の孫たちは小さな男の子のままなのかもしれなかった。
最近は縫い物をする人も少なくなったせいか、手芸洋品店は大きなショッピングモールにしかないので、私は時折母を車に乗せて、布を買いに行く。
「あら、これ可愛い~!」と、母が飛びつくのはほぼ幼児向けの布。可愛い布は、それだけでも母の癒しになるのだが、今の孫たちにとってはキュートすぎると思い、男子好みの布に変更した。
私が幼い頃、服はほぼ母が縫っていた。よく2人で布屋さんに行った事を思い出す。特に、夏前には毎年恒例で、サン・ドレスの布を選びに行ったものだ。木綿で肌さわりのいいサッカー生地や、マドラス・チェック、インド更紗(さらさ)など、模様や質感、色合わせなどを、私は母から学んできたと思う。母の布を選ぶ目やセンスは今も確かだ。
最近の事は覚えられなくてすぐに忘れてしまうが、昔とった杵柄だけは忘れない。
出不精の母が、孫と一緒にウキウキと歩いた
梅雨の長雨が続く、あいにくの季節だったが、孫と彼の友達2人がついに勝浦へやってきた。ティーンエイジャー、青春真っ盛りの青年3名を迎え、母は満面の笑顔だ。
「活性化」とはこの事ではないか、と思った。
この数か月、手土産用にと布を縫いながらこの日を待ち望んできた母は、彼らの様子をそっと後ろから眺めて目を細めている。
到着した翌日、孫と友人は、母の住む勝浦から少し離れた大多喜という場所にあるお城に行くことになった。孫たちは勝浦に来る前、インバウンド向けの列車切符を購入して京都まで足を延ばし、伏見稲荷にも行ったという。高校生にしては、好みが渋すぎるかと思ったが、お城に興味があるというし、「ブシドー」という単語も知っていた。
まさか、と思ったが、母も一緒に行くという。私が運転する車で向かったのだが、お城のある山の上までは、駐車場から坂道を登らなければいけない。
母は、ゆっくりだが、息を整えながら付いて行った。孫の効果はすごい!
いつもの母は庭以外の場所に歩いて行きたがらないのに、孫と一緒となると足取りが違う。表情はウキウキした思春期の少女のようだった。
私の方が疲れて少し休息していても、母は疲れ知らずの様子。
「パパにね、心の中で報告してるの。こんなにカッコイイ青年になった、ってね…」と母。
認知症と判断されたとしても、それがふとした事がきっかけで回復するという話も耳にした事があったので、母の姿を見て、私は希望が持てた気持ちになった。
(つづく)
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。