コメント
この記事へのみんなのコメント
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大和
2024-02-17
自分だったらと思わずにはいられない。身に余る不幸は、ある日、突然やって来る。人生なんて、まるで、薄氷を踏むようで、毎日がロシアンル-レットをやっているようなものだと思う。それが人生なら、どういう生き方が出来るんだろう。啄木は白いペスト、つまり確実に死へとつながる結核に翻弄されながら、あれだけの美しい詩句を後世に残している。だけど、それに何の意味があったのだろう。啄木は自身にとどまらず、母、妻、子どもすべてが結核に根絶やしされる悲惨な人生を過ごしている。
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KR
2024-02-17
私の母は癌で数年前に亡くなりました。母は叶井さんと同世代です。体調が悪くても無理して家のことをして更に体調が悪くなってしまう母に何度も声を荒げてしまった事があります。その時のごめんねと言って一回り小さくなった身体を丸めて座っていた母の姿を思い出すととても悲しくて、不憫で、そして自分が許せません。この記事を読んで今も涙が止まりません。お母さん強く言ってごめんね。謝りたかったけど結局謝る事ができませんでした。母に出来るだけの事はしたつもりですが思い出すと自分は後悔の気持ちばかりです。
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しいたけこ
2024-02-04
「カップ麺、食べたかったから食べたんだもんね。ごめんね、強い言い方して」 この倉田さんの一言にもらい泣きしそうでした。 亡くなった父と母に『食べられんやろ?ダメだよ』と言うばかりでした。 バナナぐらい『いいよ』って言えれば良かった。
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ななちゃん
2024-02-02
私の妹が膵臓癌で先月両親の元へ旅立ちました。 4年半前にステージ4。肝臓にも転移。余命数ヶ月でした。 抗がん剤が合いまして通院しながら普通に食べていました。 昨年の8月に数値が4桁になり新しい抗がん剤になりましたが 副作用が酷くてやめました。昨年の4月の伊香保温泉が最後に なりました。
最近のコメント
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五月病
2024-05-17
あの穏やかなお兄様が…びっくりされたことでしょう。身内とはいえ怖かったこととお察しいたします。さて、脳や精神のお薬は合うと非常に良い効果が出るのでなんとか落ち着きますように。お兄様、脳が弱り、身体も動かし辛く相当しんどいのでしょうね。そしてその苦しさを話す術も無く、今何をしているか、自分が誰か、付き添っている人が誰か、すべてよくわからない。認知症研究の第一人者の故長谷川先生曰く「確かさがなくなる病気」とは言え、切ないですね。ところで、私は田舎者で貧乏なのでよくわかりませんが、タクシーは右側扉も開けてもらえるのではないかしら、とちょっと思ってしまいました。ともあれ、もう遠距離通院は困難なので1月の連載で相談されたお医者さんにかかるのが良いのかなと思います。事態はかなり深刻だと感じます。ポストセブン編集部の皆様、もしマナミコさんがお休みをもらいたいとおっしゃられたら受け入れてあげてくださいね。こんな大変な中、一度も休載せず頑張られています。稿料もはずんであげてください。
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みかん
2024-05-17
連載が始まった頃から読ませていだいていて、その頃は穏やかでのほほんとしたお兄様にほっこりするものがあったほどなのに、そのような暴言を(しかも外で)吐くほどになるなんて 病気のせいとはいえ、せつないですね…。ツガエさんも本当によくやっておられて頭が下がるばかりですが、メンタルがおいつかないと書いてありましたし心配しております。 ケアマネさんにも相談しておられると思いますが、ツガエさんのお兄様の場合、かなり特殊なケースかもしれないので(若年性で自分の足で自由に歩き回れる・不潔行為や介護拒否がある等) ケアマネさんに全面的に頼るのも無理がありそうで、ご自分でも探されないと難しいかもしれないですね。施設の受け入れが難しいのならばとりあえずは病院ということになるのかもしれませんね。ずっとそこに入院すると決めるよりは、一時的な措置としての入院もありかもしれません。チラッとネットで見ただけですが、不潔行為や介護拒否がある場合の入院を受け入れている病院はあるようですね。排尿排便の処理が大変すぎて、誰にも真似できないほどのご苦労をツガエさんは背負っておられると思います。私もこれまで認知症関係のブログや書籍など見ておりましたが、1番大変なのでは…と感じるほどです。どうぞ早く楽になられますよう…。記事の掲載とリアルタイムではタイムラグがあるでしょうから、今ごろどこか、施設か病院か、入所されているといいなと思っています。ハラハラしながら記事を拝見してます。
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かえる
2024-05-16
ステージ4の大腸ガン肝転移有り、この病態での平均余命2年5カ月と宣告された夫が1年6カ月の辛い闘病生活の末、この3月3日旅立ちました 主治医先生の言われた通り最後の2週間は地すべり的に病状が悪化して眠ったままになり、別れの言葉を交わすこともできませんでした この身を削っても守りたい、大切な大切なひとでした 亡くなった晩と納棺の時はぎゃん泣きしましたが、それ以降全く泣くことができません 涙が出てこないのです かけがえのない大切なあの人が死んでしまった、という事実があまりにも大き過ぎて受けとめられていないのかもしれません