兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第226回 あと少しの辛抱と言い聞かせる日々】
若年性認知症を患う兄が、お試しでショートステイした特別養護老人ホームから「こちらとしてはお受け入れの方向で考えています」という一本の電話を受けた妹のツガエマナミコさん。そうです、ついに兄の入所先が決まるかもしれないです。兄のケアを介護施設に任せていいかどうか、悩み続けマナミコさんでしたが、この知らせを受けて、兄の施設入所を決意、その日を待ち焦がれる心境にまでなってきています。しかし、それまでは、いつもように、いや、日々進行する兄の症状に悩まされる日々であることは変わりません。
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「猛烈に物を壊したくなることがございます」
我が家では、ときどき思いがけないところに「お尿さま」という名の水たまりが出現いたします。今日も朝イチのパトロールで発見いたしました。初の食器棚の前での発見でございました。これまでもテレビ、扇風機、廊下、はたまたキッチン作業台から引き出しの表面をたどって床へと流れ溜まった現場など、あれこれ見てまいりました。お初となった食器棚は真ん中に作業台があるタイプで、下側は3段の引き出し。きっちりしまっていたので中に流れ込むことはございませんでしたが、床に落ちたそれは、数時間経過していたとみえて、拭いても拭いてもシミが残ってしまいました。我が家の床はそんなシミがあちこちにございます。
頻繁に開け閉めするものには使い捨て防水シーツを貼り付けるわけにもいきませんので対処法がございません。何をされても我慢するのみ。でも施設入所になればこの生活から解放されるのでございます。「もう少しの辛抱」と、お念仏のように唱えながら、怒りを鎮め、悲しみを紛らわしているツガエでございます。
AIになりたいと思うこともございます。感情をなくし機械のように体と頭を動かせたら介護など楽勝でございます。でも、どうしても感情が伴ってしまうからやっかいなのです。腹が立つ自分を抑え込むことに労力がかかり、その過程で猛烈に物を壊したくなることもございます。窓ガラスや食器棚に並ぶ食器やスマホなど、あらゆるものを破壊したくなる衝動、あれはいったい何なのでございましょうか。
破壊したところで事態は何も変わらないのに、ガラガラガッシャーンとやってみたくなるのです。とはいえ、あと片付けやら損害の大きさを考えると、できることはせいぜいボールペンを床にたたきつけるくらいのことなのですが…。
少し前に摂食障害を経験された方を取材させていただきました。「摂食障害は長い時間をかけた自殺」という認識を初めて伺いました。「摂食障害にならなかったら、すぐに死ぬ道を選んだかもしれない。だから摂食障害になって良かった」と医師に諭されたそうです。
その方は、小学3年生から治療を始め、30歳を過ぎてやっと症状がなくなり、楽になったとおっしゃっていました。
個人差はあるのでしょうが、大きなストレスを抱えると何かを破壊したいと思うのは自然なことのようでございます。自分を壊すか、他人や物を壊すかの違いはあれど、そうやって人は怒りや憤りを解消する生き物のようでございます。
そう考えると戦争や紛争が世界からなくならないのも納得がいきます。人が感情のない生き物なら冷静に争いごとを解決し、戦争のない世界になっているはずでございましょう。誰かを執拗にネットで誹謗中傷するのも辛くてどうしようもない心の叫びの気がしてなりません。
おっと、これ以上書き進めると、よくないことを書いてしまいそうなのでここまでにしておきましょう。
こんな介護の日々でございますが、平和な日本に生きていることの幸せを噛みしめております。きっとわたしたちの目に見えないところで、今こうしている間にも頑張って世界と駆け引きしている方々がいるから、ここ何十年も日本に爆弾は落ちていないのでしょう。平和なことは当たり前ではないと、今宵はそんなことを考えて、介護の現実を紛らわしているツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ