生きているだけで精一杯の父。でも親戚の前ではシャンとしていたい【実家は 老々介護中 Vol.32】
81才になる父は、がん・認知症・統合失調症と診断され、母が在宅介護をしています。美容ライターの私は、兄と協力して実家を手伝い、忙しく過ごしています。肺炎で緊急入院した父でしたがなんとか退院でき、再び在宅介護に。もう、生きることで精一杯の父ですが、親戚が会いにくるからと身ぎれいにして張り切るときもあります。生活にハリが出るのはいいことかも。とはいえ、家族は父の変なわがままに付き合ったり…。介護の日々は続きます。
「這ってでもトイレで!」という気持ちを今になって理解
2回目の肺炎が治り、父が退院。奇跡的に帰宅でき、ヘルパーさんがじゃんじゃん来る、慌ただしい日常に。でも、これは数日しか続かない、貴重な時間かもしれないのです。
兄と私は介護と仕事でバタバタの中、抱えきれない気持ちを吐露し合っていました。
兄:「おやじを見ていてわかったんだけど、人間って、どうしてもトイレで用を足したいものなんだね」
プライドの最後の砦がトイレってことです。
兄:「もうだいぶ前だけど。おやじが、ポータブルトイレをギリギリ使えてた時期に、実家に寄ったら、訪問診療が来てさ。看護師さんがちょっとビックリした感じで、『何か、汚れてたんで〜』っておやじの足の指を拭いてたんだよ。何か、見て見ぬふりしてくれてる雰囲気でさ。そこでおふくろが言ったのはね」
私:「えっ、なになに?」
兄:「『ちょっと用事しに出かけて戻ったら、お父さん、畳の上に転がってた』って。おやじ、ウンをしたくなって、ベッドから這って降りたけど動けなくなってたらしくて」
私:「えっ、怪我しなくて良かったよね」
兄:「そうなんだけど、結局、おふくろが手を貸しても、もう限界だったみたいで。足にもウンがついちゃってたんだろうね。オムツしてても、トイレで用を足したいんだなって。俺もいつかそうなるんだとしたら、周りに迷惑かけないよう、自力で施設へ入れる貯金を死守しなきゃって、改めて思ったね」
私:「ああ、独身なんだから頼むよ。私はそこまで手が回らないからさ」
そう、シモの世話もですが、本人のプライドやわがままに対応するのが、神経すり減らして身に堪える。しかも兄の老後だなんて、自分のお金でどうにかしてくれないと絶対困る。
さて、オムツ代助成(※)の申請を兄がしてくれたおかげで、お金がかなり助かっています。父の介護で知ったのは、オムツの中に入れるパッドがあること。パッドも助成の対象なのですが、ウンでなければパッドだけ替えれば済むことも多く、手間が減らせます。
※自治体により、助成の制度有無や金額などは違います、
私:「お兄ちゃん、お父さんお母さんと一緒に住んであげれば? そのほうが安心だし、楽じゃない?」
しかし兄は「それはねえ。イヤなものはイヤなんで、無理です」、と。
長い間に積もり積もった何かがあるんだよなあ。
その日は実家に泊まり、その翌日。母はなぜか父をジャージに着替えさせようとしていました。父が元気だったころのジャージが、今はブカブカ。
母:「今日はね、おばさんが顔を見に来てくれるのよ。だからお父さん、『パリッとしていたいから、ジャージを着たい』ってさ」
えー、縫い目など、何かと肌に当たって褥瘡ができそうだけど? そもそも体調が悪いのに、そんな無駄な手間をなぜ? でも母はノリノリです。
母:「ほら、お父さん、これから外でひとっ走りしてくるって感じに見えるでしょ!」と冗談まで言っています。父はもう、外に出られないし、走り回ることもできないんだよなあ。
着替え終わる前に、やっぱり父には着心地が悪くて、結局もとの肌着に着替えさせ、一連の大騒ぎが終わりました。それでも…
母:「お父さんの気が済むなら、それでいいのよ。やりたいように過ごせればそれでいいの」
父のわがままに付き合う母はタフだなあと思います。
大変だけど、父がまた家で過ごせるようになり、顔を見にくる親戚がいる。どうにか髪を整えて待つ父を見ていると、残された時間を、私は無になって走り通すしかないと覚悟を決めました。
文/タレイカ
都心で夫、子どもと暮らすアラフィフ美容ライター。がん、認知症、統合失調症を患う父(81才)を母が老々在宅介護中のため、実家にたびたび手伝いに帰っている。
イラスト/富圭愛