兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第225回 入所申請書を出したところ、なんと】
若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさん。兄は、穏やか性格ですが、症状が進行してくる中で、排泄や食事を自分ではうまくコントロールできなくなってきています。特にマナミコさんを悩ませるのが、家中、あらゆるところで、大きい方も小さい方も排泄してしまうこと。在宅でのケアに限界を感じ、介護施設入所を視野に入れ始めたマナミコさんは、早速、兄に特別養護老人ホームでのショートステイ試してみてもらったものの、本当に兄のケアを施設にお任せしていいのか逡巡する日々。そんな中、大きく事態が動き始めたようです。
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「こちらとしてはお受け入れの方向で考えています」
兄の人生をわたくしが決めていいのか?と葛藤する日々に、ついに終止符を打ちました。特別養護老人ホームへの入所希望申請書を出したのでございます。
どうせ、申請書を出したところで、すぐに入所できるわけがないと思っておりました。緊急度が高い順に入所が決まるという説明だったからでございます。兄程度ならデイケアやショートステイをもっと頻繁に活用すれば在宅介護も可能と評価される。それなら今から希望表明しておいてもいいなと重い腰を持ち上げたのです。提出後も「どうせ無理。きっと何年も待つだろう」と勝手に覚悟しておりました。
そんな数年計画でおりましたところ、先日施設から「申請書を拝見しました」とお電話をいただきました。「先月ショートステイをご利用されましたので、ご本人さまのご様子は見ております」と続き、「本当に入所を検討されているということで間違いないですか?」と確認があり、なんと「こちらとしてはお受け入れの方向で考えています」という空耳かと思うようなキラキラしたお言葉が降ってきたのでございます。
「つきましては、一度ご本人さまを交えて面談をしたいと思っております。後日、日程をご相談させてください。よろしくお願いします」という内容でございました。
電話を切ってしばらく「ほんとに?」「早すぎない?」という戸惑いがございました。申請書提出から1週間も経っていません。ほかにもっと緊急性の高い人はいなかったのでございましょうか?
確かに、ケアマネさまのお話しでは「あの施設は、来年から10室あるショートステイを辞めて、全室入居の施設になる」と聞いておりました。つまり急に定員が10人増えることになるので、すぐに入れる可能性は高いと言われておりました。それでも、昨今の高齢化、認知症の増加を考えると兄のように若くて元気で、穏やかで、あまり手のかからない人間は後回しにされると思い込んでおりました。
もしかすると、年内に入居できてしまうかもしれません。否、これ以上ありがたいことはないのですが、嬉しい想定外に動揺しております。こんなにトントン拍子に話が進むと「何か落とし穴があるのでは?」「ぬか喜びになるのでは?」と考えてしまいます。でもきっと「神様のご加護」「ご先祖様からご褒美」。素直にそう思うことにいたします。
まだ決定ではないので、足元をすくわれるかもしれませんが、今後の展開をお楽しみに。
そして昨日は、兄の通院日でございました。多目的トイレを積極的に使用するようになりまして、昨日も病院に到着してすぐに兄のトイレに付き合ったわけですが、そこでもひと汗かきました。
「オシッコ?ウンチ?」と訊くと「真ん中ぐらいかな」という意味不明なお返事だったので、とりあえずパンツを下ろして便座に座らせると、次の瞬間に座ったままお尿さまが放物線を描いて便器の外に…! 一度出始めたものはもう止められません。なすすべもなく、終わるのを待ち、ティッシュで床のお掃除をいたしました。動かないでほしいと思ったそばから兄は動き出し、靴の裏がお尿さまで濡れてしまったので、備え付けのペーパータオルを数枚床に広げて「この上で足踏みしてください」と言いましたが、思うようにペーパータオルの上に乗ってもらえず、四苦八苦いたしました。
こちらが焦れば焦るほど、兄はわたくしの言ったこととは別のことをするのでございます。これも認知症あるあるでございましょう。冷静に言葉を選んでいるつもりでも、こちらのイライラが伝わって、ただでさえトンチンカンな行動に輪がかかると申しましょうか。
この日は、診察前に再び多目的トイレで御用を足した兄。今度はお便さまでございました。なかなか理想的な形状のお便さまだったので、兄の「健康」を確認できました。めでたしめでたし~。何があってもあと少しだと思えば頑張れるツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。