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『鎌倉殿の13人』41話「これが鎌倉殿に取り入ろうとする者の末路にござる!」和田義盛の最期

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』41話。和田義盛(横田栄司)の悲壮な最期が描かれる。義盛へを慕う実朝(柿澤勇人)が、説得の言葉として発した「義盛、お前に罪はない」が副題に付けられた回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。

俺は生きて帰る

 前回、和田義盛(横田栄司)は義時(小栗旬)と一触即発というところまで追い詰められながらも、鎌倉殿の実朝(柿澤勇人)の仲裁により戦を回避したかに思われた。しかし、和田の館ではすでに一族の者たちが戦支度を調え、今回の冒頭で義盛が戻ったときには、息子の和田義直(内藤正記)の一隊が大江広元(栗原英雄)の館に向かったところだった。義盛は実朝と約束しただけに、義直をいますぐ呼び戻せと言うが、朝比奈義秀(栄信)ら息子たちは許さない。向こうが戦はしないと安心しきっているいまこそ勝機であり、逆にいま倒さねば向こうが必ず次の手を打ってくると口々にまくし立てられ、ついに義盛も折れた。我らの敵はあくまで北条であり、この戦は鎌倉殿に弓引くものではないと念を押したうえ、自らも覚悟を決める。

 義時はひとりですごろくをしていたところ、和田の館から軍勢が出たとトウ(山本千尋)から知らされ、盤に並べた駒を思わず払いのける(ちなみに『吾妻鏡』ではこのとき義時は碁の会を開いていたとある)。彼としてはまさに望んでいたとおりの展開だ。

 義時が和田の館に送り込んでいた三浦義村(山本耕史)は、そのころ、義盛から裏切るなら早いうちに裏切ってほしいと促されていた。彼が義時と通じていることは義盛もとっくにお見通しだったのである。それならなぜ斬らないのかと義村は訝しがるが、義盛は俺たちだっていとこ同士じゃねえかと笑い、その代わり戦場では容赦無用だと余裕を示す。いかにも坂東武者らしく潔い態度だ。

 義村としてみれば前回終わりがけ、戦を前に裏切るつもりが和田の者たちに起請文を飲まされ、不本意ながら和田方につくところだった。そこへ来て思いがけず許可が出たので、八田知家(市原隼人)、長沼宗政(清水伸)とともに迷わず義時方に寝返ることにする。このとき、神仏の罰が当たるのを恐れて、必死になって起請文を吐き出そうとするのが滑稽だった。

 戦が始まろうとしているにもかかわらず、コメディタッチのエピソードが続くのがいかにも三谷調だ。義時も自分の館に一旦戻ると、妻ののえ(菊地凛子)にまもなく敵が攻めてくると告げ、自分や実朝とともに鶴岡八幡宮へ逃げるか、それとも彼女の実家である二階堂の館に戻って匿ってもらうか、二者択一で選ばせた。のえは初めこそ離れ離れになるのはいやだと答えたが、義時に「敵の目当ては鎌倉殿だ。一緒にいるとかなり危険だが構わぬな?」と確認された途端、あっさり実家に戻るほうを選んだ。あいかわらず現金である。

 これとは対照的だったのが、義盛の妻・巴御前(秋元才加)で、自分もまだお役に立てるはずと夫に出陣を申し出る。巴は戦で死ねれば本望とまで口にしたのだが、義盛は「それは俺が死んでから言え」と言って制し、「俺は生きて帰る。そんときにおまえがいなかったら俺……困っちまうよ」と照れながらも彼女への愛情をあらわにするのだった(結局、義盛は「生きて帰る」との約束を果たせず、巴御前は鎧をまとって戦場に赴くことになるのだが……)。

泰時の戦い

 こうして義盛は兵たちを前に、「目指すは将軍御所! 奸賊・北条義時に鎌倉殿を奪われてはならん!」と叫ぶと、本隊を率いて出陣した。御所では、その鎌倉殿・実朝を八幡宮へ連れ出すべく義時が探していた。もしや早くも和田軍に奪い去られたのかと思いきや、知家が、納戸に実朝夫妻が阿野時元(森優作)と三善康信(小林隆)と隠れていたのを見つけ出す。義時からまもなく御所が和田の軍勢に囲まれると伝えられ、実朝は「戦にはならぬのではなかったか」と問いただし、義盛の決起に落胆する。しかしもはや一刻の猶予もない。実朝たちは西門から八幡宮へ避難を促される。

 その西門の防衛を命じられたのが義時の嫡男・泰時(坂口健太郎)であった。だが、あろうことか泰時はひどい二日酔いで、平盛綱(きづき)からはたかれてもなかなか起き上がれない。それは酒のせいばかりでなく、義時が何かにつけて自分を追い込んでくることに悩んでいたからでもあった。このときも、なぜ父は自分に指揮をとらせようとするのか疑問を呈す。だが、これに、弟の朝時(西本たける)が「期待されて生きるのがそんなにつらいんですか」「誰からも期待されないで生きてるやつだっているんだ。そいつの悲しみなんて考えたことねえだろ!」と一喝。さらには、いつまでも起きない夫を見かね、妻の初(福地桃子)が桶に汲んだ水を浴びせかけ、ようやく泰時は目が覚める。

 もっとも、泰時はこのあと合戦中にも酒を飲んではすぐに酔いつぶれるということを繰り返し、まるでコントのようであった。朝時も、女性には手が早いくせに(そもそもそのせいで義時に罰として鎌倉から追放されていた)、武術は不得手なのか、いざ戦が始まってもへっぴり腰でまるで頼りない。

 合戦2日目、和田軍と鶴岡八幡宮の参道(若宮大路)で相対したときも、敵方の弓矢による猛攻撃に、泰時の一隊が身動きがとれないなか、朝時は足に矢を射られたふりをして戦線を離脱する。……と思っていたら、しばらくしてどこで見つけたのか、板切れを頭上に掲げて戻ってきた。これを見て泰時ははたと思いつき、周辺の民家を壊して塀や板戸を集めさせると、隊列をそれで覆い、装甲車のごとく突き進んだ。これにより、和田軍の最前にまで迫ると、攻め込んできた敵兵に対し板戸の隙間から太刀を突き出し、迎え撃つ。そして敵がひるんだ隙に一気に追い込んだのだった。

 この逆転劇は、朝時が戦線を一旦離れて板切れで身を守りながら戻ってこなければありえなかった。例の戦法は、彼が臆病者だったからこそ生まれたといえる。合戦後、泰時は義時に対し、この戦法は朝時が思いついたものだと伝え、「役に立つ男です」と訴えた。義時はそれを聞いて、朝時に再び自分に仕えよと命じ、追放を解除する。泰時としてみれば、自分に喝を入れてくれた朝時への恩返しという気持ちもあったのだろう。

 合戦で意外な活躍を見せたといえば、大江広元もそうだった。それは時間を戻して合戦1日目の夜のこと。八幡宮に避難した実朝が、頼朝から受け継いだ祖父・義朝のしゃれこうべ(偽物だけど)を御所に忘れてきたと言い出す。それを取ってくる役目を引き受けたのが広元だった。真っ暗な御所内で、広元は次々と襲ってくる敵兵を太刀でバッタバッタとなぎ倒し、え、そんな強かったの!? と驚かせた。広元としては八幡宮を出る際、ひそかに思いを寄せる政子(小池栄子)から「このこと、生涯忘れませぬ」と手を握られ、それまで秘めていた力が開放されたところもあったのかもしれない。

義盛の末路

 さて、合戦が始まってからも、実朝は義盛のことをずっと案じていた。和田に加勢しようとしていた西相模の御家人(曽我・中村・二宮・河村氏)を義時が味方につけるべく、御教書(将軍の意を受けて従者が伝える文書)に花押(サイン)を要請されたときも、実朝は当初拒否した。だが、西相模の各氏が義盛側につけば鎌倉は火の海となると義時に半ば脅されたうえ、広元にも頭を下げられては受け入れざるをえなかった。結果的にこの御教書は効力を発揮する。

 その後、合戦は先述の泰時らの活躍もあり、義時方は勝利に近づく。ここで義時は実朝に陣頭に立ってくれるよう申し入れた。鎌倉殿がじきじきに声をかければ和田も降参するに違いないというのだ。実朝も、自分の言葉なら義盛も聞いてくれるはずだと自信を示す。これに対し乳母の実衣(宮澤エマ)が猛反対する一方、母親の政子は、戦をその目で見ていらっしゃいと後押ししてくれた。

 実朝は、双方の軍勢が見守るなか、義盛に向かって語り始めた。そして彼のほうへと歩み寄ると、サブタイトルにも掲げられた「義盛、お前に罪はない」に続けて「これからも私に力を貸してくれ。私にはお前が要るのだ!」と心の底から訴える。これに義盛は感涙し、兵たちにもここまでだと告げて投降を決めると、「これほどまでに鎌倉殿と心が通じて御家人がいたか。我こそが鎌倉随一の忠臣じゃ!」「みんな胸を張れ!」と誇らしげに叫んだ。

 と、その瞬間、義時が義村に合図を送り、義村のかけ声で射手たちが一斉に矢を放った。背中を射られた義盛は「小四郎ぉ~」と吠えるが、さらに全身に無数の矢を受け、崩れ落ちる。その姿を見せしめとして、義時は「これが鎌倉殿に取り入ろうとする者の末路にござる!」と言い放つと、一気に和田の陣を制圧するのだった。自分が戦場に駆り出されたのは、義盛を討ち取るためだったことを知った実朝は愕然とし、泣き崩れる。

 これをきっかけに、実朝は政治への態度を大きく転換した。これからは義時ら鎌倉の宿老に相談するのではなく、万事、京都の後鳥羽上皇に考えをうかがいながら政治を行っていくと言い出したのだ。この鎌倉に実朝が心を許せる者は、義盛が死んだいま、もはやいなかった。そう告げられ、義時は、頼朝は朝廷に近づきすぎることを自ら戒めていたと諭す。が、実朝は、自分は父や兄・頼家のように強くないゆえ、鎌倉で血が流れないようにするためにも強きお人にお力をお借りするのだと言って聞かない。

 和田合戦のあと、義時は政所別当に加え、それまで義盛が担ってきた侍所別当の職も兼ねることになる。弟のさらなる権勢の拡大に政子は「あなたの望みがかなったではないですか」と嫌味っぽく言うが、彼は苦笑したかと思うと、「鎌倉殿は頼家様どころか頼朝様をも超えようとされています」と述べた。ようするに義時はこのとき初めて実朝を自分の脅威と位置づけたのだろう。これは何かのフラグなのか?

 同じころ、実朝が例のしゃれこうべに「私の手で新しい鎌倉をつくる」と誓っていたところ、大地震が関東を襲った。建暦3年(1213)5月21日、義盛が死んで18日後のことであった。直後、京の後鳥羽上皇(尾上松也)へ実朝が送った奏状には、「山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも」と、上皇への忠誠を誓う和歌が添えられていた。かねてより実朝を取り込もうと企む上皇には、まさに願ったりかなったりの流れであろう。鎌倉と京、権力者たちがそれぞれ思惑を抱くなか、状況は混迷を極めていく。

義時の孤独

 和田合戦の開戦時、泰時が二日酔いだったことなど、今回も『吾妻鏡』の記述を下敷きにしたエピソードが多かった。ただ、義時と実朝の決裂を強調するためだろう、創作の部分も結構あった。たとえば、劇中では、和田につくはずだった西相模の御家人を寝返らせるため、実朝が義時たちから強引に御教書に花押を取られたというふうに描かれていたが、少なくとも『吾妻鏡』の記述では、鎌倉に集まった西相模の各氏に対し実朝からすぐ参上するよう指令があったものの、彼らが疑ったため、実朝はそれを晴らすべく自身の花押を記した御教書を送ったとされる。

 クライマックスで義盛を討ち取るため、義時が謀って実朝を担ぎ出し、説得にあたらせたという展開にいたっては完全にフィクションである。『吾妻鏡』によれば、義盛は息子の義直が先に討ち取られたのを嘆き悲しみ、あちこちを迷走したあげくに、大江能範という御家人の従者に討ち取られたという。

 今回のドラマでは終わりがけに、実朝の「山は裂け」で始まる有名な歌も出てきた。先述のとおり後鳥羽上皇に宛てた奏状のなかに実朝がこの歌を書き添えたという設定だ。実際にそのような奏状が残っているわけではないが、大切な目的を持った文書には、自筆で和歌を書き添えるのが実朝のやり方であったという。和田合戦の最中にも、泰時から敵の武力はなお侮れないとして、新たな防戦の対策を要請された際、大江広元に書かせた戦勝祈願の願文に実朝自ら2首の和歌を書き添え、鶴岡八幡宮に奉納させている。

 くだんの歌については、「たとえ山が裂け、海が干上がってしまうような世になろうとも、君(後鳥羽上皇)に対してふた心(裏切り背くような心)は絶対にない」と解釈するのが一般的だ。この場合、三句の「世なりとも」が、「そのような世になろうとも」と将来の出来事であるかのごとく訳されている。しかし、『鎌倉殿』で時代考証を担当する坂井孝一は、ここで詠まれているのは未来ではなく、大地震の起こった建暦3年の“いま”であるとして、三句も「そのような世であっても」と解釈すべきだと主張する。初句の「山は裂け」からして「山崩れ地裂く」という状態を表現しており、《ここまで激しく具体的な表現は、大地震を実際に体験した者でなければ思いつかない》と坂井は断言している(『源実朝――「東国の王権」を夢見た将軍』講談社選書メチエ)。ドラマの設定もこうした解釈を踏まえたのだろう。

 いずれにせよ、もはや鎌倉に頼る者がいなくなってしまった実朝の孤独がこの歌からはうかがえよう。ただ、孤独なのは実朝だけではなかった。義時もまた孤独を抱えている。そのことは今回、義時が義盛を滅ぼした直後、涙を流しながら鎌倉の市中を歩くシーンからはっきりと読み取れた。果たしてあの涙は何を意味したのか。頼朝の挙兵以来、行動をともにしてきた義盛を自らの手で葬ってしまったことへの悲しみか。あるいは頼朝の築いた鎌倉の町を焼け野原にし、多くの死者を出したことへの悔恨か。いずれにせよ、いまや義時はひとりでいるときにしか涙を流すことができない。おそらく彼は、他人に弱みや情けを見せたら最後、それまで為政者として示してきた威厳が崩れ、足もとをすくわれてしまうと思い込んでいるのではないか。

 ところで、義盛を好演した横田栄司は、出演を終えたのち、心身の不調から休養中である。所属劇団である文学座の今秋の公演に続き、年末から来年初めに小栗旬と再び共演が予定されたシェイクスピア劇『ジョン王』(吉田鋼太郎演出)も降板すると先頃発表された。同作は『鎌倉殿』と同時代のイングランドが舞台とあって楽しみにしていたのだが、いまはゆっくりと療養して、いつか無事に復帰されることを祈りたい。

→『鎌倉殿の13人』他の回のレビューを読む

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。

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