立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さん「脳卒中、半身まひ」でも悲観しなかった理由
立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さん(74才)は2021年1月に脳卒中を発症した。積極的にリハビリを行なった結果、2022年4月1日に大分県別府市内で行われたAPUの入学式で祝辞を述べるなど元気な姿を見せた。自らの経験から学内のバリアフリー化も進めたという。脳卒中、半身まひから復帰した現役大学学長が語る「病気を経て」今感じていることとは?
人類には「移動の自由」が必要
APUキャンパス内を歩いてみると段差が少なく、多くのドアが自動で開くようになっていることに気づかされる。トイレもバリアフリー対応で電動車いすが個室内で転回できるようになっている。
学内のバリアフリー化の1つの理由は、出口さん自身の経験によるものだ。
「右半身が不自由になってから、利き腕ではない左手を使って生活するようになりました。最初は、当たり前のことができないことに、とても戸惑いました。たとえば、自分のすぐ右側にゴミ箱があり、これまでは右手で捨てられた。
しかし、いまは左手で捨てるために車いすで移動して捨てねばならないのです。日頃なにげなくしていたことでも、障害を持つとハードルが上がります。少しの段差を車いすで乗り越えるのにも、大きな苦労があることが、身をもってわかりました。特に苦労したのは、電車の乗り降りです。山手線の車両は11両編成で、合計44のドアが開きます。しかし、駅職員の介助なしに車いすで乗り降りできるのは、6号車と7号車の4番ドアだけ。わずか“44分の2”です」(出口さん・以下同)
負担がかかるのは肉体だけではない。
「車いすで生活しているため、大学までは毎日タクシーで通勤していますが、往復に1万円ほどかかります。これだけ費用がかかってしまえば、行きたいところがあっても、諦めざるを得ない人も出てくるでしょう。介助を頼み、他人の手を借りることに肩身の狭さを感じる人も少なくありません。どこに行くにも申し訳なさそうな顔をしなければならず、安心して行けるのは病院だけしかないという状況に追い込まれます。しかし、障害があるからという理由で移動の自由を奪われているのはおかしいと思います」
出口さんは、私たちが「自由に移動したい」と考えるのは人類の起源に根ざす、基本的な欲求だと分析する。
「人類はアフリカ大陸で誕生し、数十万年をかけてユーラシア、アジア、南北アメリカ、そしてオセアニアへと拡散していきました。地球上のこれほどあちこちに移動した動物はほかにおらず、人類は『ホモ・モビリタス(移動する人)』とも呼ばれます。だから、障害を持った人も“移動の自由”があるべきなのです。人間は旅によって新しいものの見方を得る、と書き記したフランスの作家がいますが、ぼくもまったく同じ考えです」
“移動の自由”を体現するために学内で行われたバリアフリー化には、下半身に障害のある学生はもちろん、健常者の学生からも「使いやすくなった」という声が寄せられたそうだ。
「車いすにとって不自由な場所はベビーカーにとっても不便です。広大なキャンパス内で、バリアフリー化がまだ行き届いていない部分もありますが、もしドアが開けられなければ、周囲に『開けてください』とためらいや後ろめたさを感じずに言える社会になるべきだと思います。特に、今後は高齢者が急増するため、誰しもが他人事ではない。障害を持った人に優しい社会は、万人に優しいものになるはずです」
「落ち込む意味がわかりません」
新学部の設置準備の真っ最中に病に倒れ、体がこれまで通りに動かせず、一時は言葉も失い、社会のひずみを目の当たりにする―嘆き悲しんでもおかしくない状況を、出口さんはまったく悲観しなかった。
「脳卒中で障害が出ても落ち込まない患者は、珍しいそうです。実際にリハビリを担当してくれた理学療法士さんからも『落ち込みませんでしたか』と聞かれたのですが、ぼくには落ち込む意味がわからない(笑い)。
たしかに手足が動かなかったり、うまく話すことができなかったりすることは事実ですが、病気が起きたのはもう『過去』のことです。変えることができない事実を悲観して立ち止まるのは、時間の無駄です。泣いて時間を浪費するより、現実を直視して、いまやるべきことが何かを考えて実行に移した方がよっぽどいい。ぼくの場合は、復帰のために手足と言語のリハビリをすることだった。歩行や発話の訓練から文字を書く練習など、やるべきことがたくさんあり、悲しむ暇はまったくありませんでした」
出口さんは、そうした“底力”はもともと人類に備わっていると力説する。
「会社員として働いていたときに思い至ったのは、同じ仕事をしてもうまくいくのは10人に1人ほどしかいないということ。しかし、あとの9人にも必ずほかの適性がある。試行錯誤してそれを見つけられる人が成功していく。ダーウィンが提唱していた通り、強い者や賢い者が生き残るのではなく、変化に適応できた者だけが生き残っていくのです。
言い換えれば、障害や病気など、変えることのできない現実をそのまま受け入れ、流れ着いた場所で一所懸命がんばれば次の扉が開かれるということ。人間には、本能的に備わった、いまを生き抜こうとする力があるのですから」
教えてくれた人
出口治明さん
1948年、三重県生まれ。日本生命を経て2006年にライフネット生命を創業。2018年より立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。
撮影/宮井正樹
※女性セブン2022年9月29・10月6日号
https://josei7.com/
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