『鎌倉殿の13人』17話 頼朝(大泉洋)と義高(市川染五郎)の女装…悲運を際立たせた三谷脚本
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』17話。木曽義仲(青木崇高)に続き、その嫡男・源義高(市川染五郎)も命を奪われてしまう。源頼朝(大泉洋)の恐ろしさにネットも震撼した『助命と宿命」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが振り返りながら解説します。
祐経(坪倉由幸)「八重と私は縁が深い」?
『鎌倉殿の13人』では、ここしばらく毎回、登場人物の誰かが非業の死を遂げている。ネットでも「全部大泉のせい」と言われているとおり、すべては大泉洋演じる頼朝の命令によるもので、この状況はしばらく収まりそうにない。第17回でも、前回鎌倉軍に討たれた木曽義仲(青木崇高)に続き、その嫡男・源義高(市川染五郎)も若くして命を奪われてしまった。そればかりか、義高のあとも、さらに殺される者があいついだ。
前回、一ノ谷での義経(菅田将暉)の輝きもどこへやら、一連の出来事によって鎌倉の闇は深くなるばかりだ。そのなかで義時(小栗旬)は、自身も姉の政子(小池栄子)はじめ北条家の人間も、以前とは置かれた立場がまったく変わってしまったことに改めて気づくのだった。
そうした変化を強調するためだろう、第17回では、ドラマの最初のころを思い起こさせる人物や出来事がいくつか出てきた。まず、工藤祐経(演じるのはお笑いトリオ・我が家の坪倉由幸)の久々の登場である。おそらく第2回以来ではないか。その間、劇中ではじつに9年の歳月が流れていた。
祐経が初登場したのは第1回、伊豆の北条館にて京での勤めを終えた時政を労う宴席が催されていたときだった。祐経はこのとき、八重(新垣結衣)の父・伊東祐親(浅野和之)から伊東家の跡継ぎの座を奪われた上、妻と離縁させられて所領も取り上げられ、失意のどん底にあった。そんな自分の身の上を誰かに知ってもらいたくてたまらなかったのだろう、義時や時政に対し「その話はやめておきましょう」と言ったそばから問わず語りして、聞いているほうにも不幸が伝染しそうな疫病神感があった。このあと第2回では、祐親を襲撃したものの、へっぴり腰で結局斬りかかることもできないまま逃亡し、劇中からもしばし姿を消したのだった。
今回も祐経はいきなり義時の館にやって来ると、伊東の所領は頼朝が返してくれたが、御所での仕事がもらえないので、義時に口利きしてほしいと頼んできた。さほど親しくもなかったはずの義時にそんな頼みをしてくる時点で十分に図々しいが、祐経の「八重と私は縁が深い」との言葉に、彼のいとこにあたる八重が「よくそのようなことが言えますね。ご自分が何をしたかわかっておられるはず」と反応していたのを見ると、どうやら過去に何かしでかしたようだ。祐経が兄弟らしき二人の少年から親の仇と目され、しきりに石を投げられていたのも、きっと同じ理由からなのだろう。この少年たちはたぶん、ある事件で後世に伝えられるあの兄弟と思われるが、二人について八重が口にしかけると、祐経は「その話はいい」とさえぎった。我が家のコントでのお約束のフレーズに置き換えると「言わせねーよ」ということらしい(ただし、このフレーズは坪倉ではなくツッコミ役の杉山のだけど)。
振り返れば、第1回で祐経が訪ねて来たとき、北条の館には伊東から逃げて来た頼朝が匿われており、義時がその逃亡に手を貸すはめになった。今回の祐経の再登場もまた、その直後には義時が義高を逃す展開となり、フラグ的な意味合いを含んでいたともいえる。
父の手紙に「頼朝を恨むな」
義高の逃亡劇のなかでも、かつての出来事を思わせることがあった。言うまでもなく、政子たちが義高を逃すにあたり、彼に女装させたことだ。これは第1回で、頼朝を政子のアイデアで女装させて逃したことをどうしたって思い出させる。しかし、その結果はまるで正反対だった。
そもそも第1回では追われる側だった頼朝が、今回は追う側となった点で大きく異なる。義時はその頼朝から義高の処分を命じられながら、結局それに背く格好となった。政子が義高の助命を強く望んだからである。彼女からすれば、娘の大姫(落井実結子)の許嫁である義高を殺すなど許せるわけもなかった。そこで頼朝を説得したが、聞き入れられなかったため、義高を伊豆山権現に逃がそうと、義時のほか妹の実衣(宮澤エマ)、三浦義村(山本耕史)らも交えて作戦を練る。
すでに義高は牢に幽閉されており、実衣の夫の阿野全成(新納慎也)が兄・頼朝に変装して、二人で話がしたいと番人たちを遠ざけたうえ(新納慎也が真似る頼朝の声色がまんま大泉洋でおかしかった)、村の女房の格好をさせて連れ出した。そこから、八重が集めた村の子供たちのなかにまぎれこませ、義村の手配した寺に移動して一泊、翌朝、三浦から舟で海を渡って伊豆山権現まで送り届けるという手はずであった。
このとき、義高と入れ替わりで、信濃から彼に付き従ってきた海野幸氏(加部亜門)が自ら申し出て身代わりとなる。それに気づいたのは、甲斐源氏の一条忠頼(前原滉)だった。
忠頼は父・武田信義(八嶋智人)とともに、一ノ谷での甲斐勢の軍功に対し法皇より恩賞をもらう話が一向に進まないことにしびれを切らし、頼朝に問いただすべく鎌倉に赴いた。しかし、頼朝に恩賞を出させる気がないと確信すると、頼朝追討を企てる。そのために父子で幽閉された義高にひそかに接近するも、きっぱり断られてしまった。それというのも、義高がその直前、京から落ち延びた巴御前(秋元才加)より受け取った父・義仲の手紙に、頼朝を恨むなと書かれていたからだ。
忠頼が再び牢に赴いたのは、義高をなおも説得するためだったのだろう。その通報で義高が逃げたことを知った頼朝は、すぐさま御家人たちに見つけ出して処刑するよう命じた。御家人のなかには、藤内光澄(長尾卓磨)のように手柄を立てようと奮い立つ者もいたが、おなじみの畠山重忠(中川大志)と和田義盛(横田栄司)は気乗りせず、義時の誘いに応じて義高が無事に逃げ延びるまで時間稼ぎに協力する。
政子(小池栄子)の「許さない」は重い意味を持つ
だが、ここで計画が狂う。当の義高が預けられた寺から逃げ出したのだ。彼はそれまでにも義時に対し、父の仇と見なし不信感をあらわにしていたものの、政子の申し出ゆえ逃亡計画にも乗っていた。だが、義時への不信感は最後までぬぐえず、寺でだまし討ちされるのではないかと疑念を抱き、ひとり抜け出したのである。父親譲りの慎重さともいえるが、これが結果的に命取りとなる。山中で藤内光澄に見つかり、太刀で応戦しようとするも、鞘に吊るした毬のひもが引っかかって抜けず、あえなく討たれてしまった。
そのころ、鎌倉の御所では政子が大姫の強い望みだと、頼朝に義高の助命を申し入れていた。大姫は自分の首に小刀を当て、父上が頼みを聞き入れなければ死ぬとまで言い出し、頼朝はついに折れる。しかし、ときすでに遅し。光澄が首桶を抱えて参じると、頼朝は「これは天命ぞ」の言葉で収めようとするが、政子は「断じて許しません!」と光澄への恨み言を口にしてその場を去った。
このあと義時は、頼朝が一条忠頼を御所へ誘い出し、謀反を企んだ罪で工藤祐経ら御家人に殺させる場面に立ち会い、さらには頼朝の強い命令で、手柄を立てたはずの光澄を誅殺する。当初、義時はこの役目を拒もうとするが、父の時政(坂東彌十郎)と継母のりく(宮沢りえ)に、引き受けなければ義時ばかりか北条の家が危うくなると諭され、覚悟を決めたのだった。
とうとう汚れ仕事に手を染めた義時に、祐経が「怖いところだ、この鎌倉は」とつぶやく。それに対する義時の「私にはここしかない」の一言が悲しく響いた。光澄の誅殺は、政子の「断じて許さない」の一言が原因だった。たとえ殺せと言わずとも御台所の口にする「許さない」は重い意味を持つのだと、政子はこのとき義時からはっきり告げられる。いわく「我らはもうかつての我らではないのです」……
『吾妻鏡』では義高を逃したのは大姫
ともに女装して逃亡しながら、かつての頼朝と今回の義高とその運命は大きく分かれた。それは頼朝の言うとおり天命なのかもしれないが、自分を逃した相手との信頼関係の違いが左右したようにも思われる。相手とはもちろん義時を指す。もし、義高が義時を信じたのなら、死ぬことはなかっただろう。一方、頼朝の義時および北条家への信頼は、ドラマが始まったころから絶大だ。今回、頼朝が義時に試練を課したのは、信頼するがゆえ、相手もまた自分を信じているか確かめるためだったとも解釈できるのではないか。
いずれにせよ、今回の一連のできごとを契機として、義時は頼朝の信頼に今後ますます応えるため、残念ながら手を汚すことも増えるのだろう。ラストシーンで彼が幼い息子の金剛に語りかけた「父を……許してくれ」という言葉は、今回の件についてだけでなく、そうなることを予期してのものでもあったはずだ。
ちなみに義高が女装して逃げたことは、歴史書『吾妻鏡』にも「女房の姿を仮り」と書かれており、三谷幸喜の創作ではない。ひょっとすると三谷は義高の悲運を際立たせるため、『吾妻鏡』の記述から逆算して、第1回で頼朝に女装をさせたのかもしれない。
『吾妻鏡』の元暦元年(1184)4月21日条によれば、義高を逃したのは大姫とある。義高はこのときすでに頼朝の娘婿となっていたが、義仲の子である彼にまったく罪はないとは言えないと頼朝は考え、内々に誅殺を決めた。そこで側近たちに相談していたところ、御所に仕える女房らの耳に入り、ここから大姫の知るところとなったというのだ。
頼朝が義高の誅殺を決めたのは、義仲の死から3ヵ月後で、この時間差に彼の躊躇をうかがえないこともない。また、頼朝が本気で誅殺を考えたのなら、梶原景時のような謀略に長けた者と図ったはずなのに、そうしなかったところから察するに、義高を逃すため、わざと相談相手に大姫に話が伝わりそうな人物を選んだ可能性が高い……との見方もある(永井晋『源頼政と木曽義仲』中公新書)。それに対し、『鎌倉殿』の頼朝は、人の世を治めるには鬼にならねばならないと義時に知らしめるため、義高の処分を命じた。この点ではドラマの頼朝はより冷酷である。
今回はサイドストーリーにとどまったが、鎌倉で義高をめぐって騒動が起きていたころ、京では義経が後白河法皇(西田敏行)より検非違使に任じられていた。頼朝の任官推挙を断りながら、法皇から直々に官位を受けたことに、のちのち話がこじれそうな予感を抱かせる。義経はまた、宴席に呼んだ白拍子・静御前(石橋静河)の舞いに釘付けとなった。ちょうど鎌倉では比企能員(佐藤二朗)が、義経が凱旋しだい姪の里(三浦透子)と婚礼を挙げると張り切っていただけに、これまたこじれそうである。予告では次回、義経は壇ノ浦の戦いでもう一花咲かせるが、いまからその後を心配せずにいられない。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。